検索
SHARE

「何者でもない」ってなんだろう【さとゆみの今日もコレカラ/第788回】

何者かにならないといけない。
40代の前半まで、そんなことを思っていた気がする。

以前、山里亮太さんの『天才はあきらめた』のレビューを書いた。
「自分は何者でもない」と言うのにも、資格がいるんだなって話 というタイトルで書いたこの原稿に対して、先輩からこんなコメントをもらったことがある。

わー…初めてさとゆみさんがなんの話ししてるかわからなかったw 
みんな天才と凡才の二極なんかで許してくれるようなゆるい世界に住んでないはずだと思ってたんだけど違うの?笑
「何者でもない」なんて語義矛盾だ。

「何者でもない」って、語義矛盾だ。
この先輩からもらったコメントのことを、かれこれ6年くらい考えていた。「何者でもない」って、一体なんなんだ。
だから、今日アップされたちゃんめいの原稿、マンガ『起承転転』のレビューを読んで、再び、思いっきり考えてしまった。

「何者でもない」って、何だろう。
そして「何者かになった」って、何だろう。
どうして以前は「何者かにならなきゃいけない」って思っていたんだろう。
そしてなぜ、今はそう思っていないんだろう(これ、今日気づいた。今は思っていない。山里さんの本のレビューを書いたときは思っていたのに)。

「何者か」「何者でもないか」
それを決めるのは多分、自分ではない。
だとしたら、自分以外に自分の人生(の評価)を決定づけてもらって良いのだろうか。
わりと長いこと、私の人生のテーマのような気がしている。

ちゃんめいの原稿を読みながら、ぜひ、一緒に考えてもらえませんか。
私はまず『起承転転』を買います。

【この記事もおすすめ】

『起承転転』が際立って心に響いたのは、50代に到達した主人公・葉子が徹底して「何者でもない」ことだ。
(中略)
けれど、そうした幾重にも重なる「ない」は、私にとってすごく魅力的に映った。なぜなら「ない」だらけの主人公が物語の中心に据えられていることで、「何者でもない」ことそのものが静かに肯定されているように感じたからだ。

【この記事もおすすめ】

無形ビジネスは特に属人的になりやすく、同じ会社の中でも人によって仕事量に偏りが出やすいものだと思う。(中略)自分で選んだ好きな仕事だからと、業務の偏りまでも信頼の証として受け入れてしまう傾向があるかもしれない。仕組みの不備も個人のがんばりで乗り越えてしまう、そんな不器用な美徳。

★「今日もコレカラ」は24時間に1回、夜あたりに更新されます。時間未定の夜更新になったので、何日か分のバックナンバーは文末においておきます。

【「今日もコレカラ」が1冊になりました】
毎朝7時に更新して24時間で消える「今日もコレカラ」の1年分がZINEになりました。ご希望の方はこちらからご注文可能です。興味があること、お悩みごとなどを書いてくだされば、「○月○日の文章がおすすめ」とメッセージを入れてお送りさせていただきます。


【バックナンバー】

しごでき先輩たちからのさらなるアドバイス!【さとゆみの今日もコレカラ/第786回】

昨日のスケジュール管理術について(この後ろにバックナンバーあります)、いろんな方が、ご自身のスケジュール管理術や、さらなるアイディアをくださった。

そこで分かった事は、締め切りを破らない人たちは、大抵昨日書いたような、着手日や、着手予定時間そのものをスケジュールに書き込んでいるということだ。
こんなにも人口に膾炙したやり方なのだということにびっくりしたし、私、25年間もフリーランスのライターをやってきて、それに一度も思い当たらなかったのが凄いし、じゃあどうやってきたのかというと、気力と体力と胆力、そして「そろそろやべえ」の直感だけで乗り切ってきたわけだから「のびしろ!!!」となった。
そして、こんな素晴らしい方法を封じられたまま(誰も封じてない)生きてきたのだから、この術を覚えたら、私は無敵になってしまうのではないか。にまにましている。

そんな、しごできな先輩たちから聞いた(コメント欄に書かれた)アドバイスが宝の山だったので、さらなる学びを共有するね。

佐々木かをりさんの「アクションプランナー」という手帳がそういう考え方で作られていて、遊ぶ時間もぼんやりする時間もすべて予約する感じ。ながーい予定もざっと自分を予約してブロックしとく。

アクションプランナー! 名前は知ってる。今日チェックにいこう。

まずはクリアファイルにその仕事の資料を挟んで、その作業をする日を小さなメモに大きく(12/25とか)書いて、日付順に並べたTo Doファイルボックス(リアルね)に積んでおきます。
で「今日はこのファイルたちをやっつける日」と決めてデスクに置いたり持ち歩くわけで、他の仕事や割り込んだものに押されたり気が乗らなくて繰り越してしまったら、カレンダー見ながら、日付メモを次の作業の日付に書き換えて、その日の場所に後ろ送りしてToDoファイルボックスに詰み、その日に作業する、と。
基本は締切の数日前に作業を完了できるような日付を設定してます。

作家さんのコメント。クリアファイルを並べるという物理的な管理法! 

私もコレあるときに気が付いて、取材の依頼が入ったら、同時に原稿を書く日もスケジュール帳に書いておくようにしてる。これはしておくと、とても良い。

ライターさんから。これはやりたい。

私も仕事やタスクが発生した時点で、Googleカレンダーに何日の何時から何時までやるかを全部入れてる。原稿仕事は必ずバッファも。 取引先ごとに色を変えて、移動時間もプライベートの予定も同じように入れる。 私の場合キャパが狭くテンパリやすいから、ずっとこのやり方なのです(しごできではない

同じく、ライターさんから。

私は手帳派ですが、同じように仕事をする時間を書き込んでいます。
ライティングの場合、文字起こし、構成、執筆、推敲に仕事を分解していつするかを書き込んでいます。そうすると、仕事が立て込んでいても時間確保できているから、安心感があります。また、プライベートの予定も一緒に書き込んでおくと、「その時間は必ず確保する」という意識が働くのでおすすめです。Googleカレンダーを週表示にすると1週間を時間で見ることができますよね。あれと同じデザインの手帳に30分単位でTO DO をどんどん書いています。会議や打ち合わせと同じように、時間を確保するイメージで。そうすると、空き時間が把握しやすくなります!

時間つきTO DOリスト

私が昔先輩から聞いた話は(その人も17時には帰宅し絶対残業しないタイプ)、仕事がわいた段階で、「スタートダッシュする」らしいです。
つまり、締め切りまで伸ばさず今やるすぐやる溜め込まない! 8割ほど仕掛けて、残り2割は締め切り前に調整するんだって。なるほどー、と。実現できる仕事とできない仕事とあるけど、やり始めたら数時間で終わりそうなやつは、わたしもスタートダッシュ派です。週末遊びたい!

これが最強だと思う。ケツカッチン仕事術。

タスクは締切で管理せず着手日や着手時間で管理してますー。
締切を決めていない(=決めたくなくて決めることを先伸ばししているやつとそれなりの時期にならないと適切な時期が決められないやつと両方)、いわゆる「緊急度が低い重要なこと」は、Google Keep(ただのメモ帳)に今年中にやることとして公私ともにリストアップした後、仮でもなんでもとにかく着手月は決めて12ヶ月にわけて箇条書きにしています。
ひと月終わったらリストを見て、無事始まったやつには○、始まらなかったやつは別の月へずらす。
とにかくいかに始めるかがポイントで、それでも始まらない時は誰かをつき合わせたりして始めたりしてますー。(日々のタスクでも誰かと一緒にやることって必ず始まるからその応用)

これは「今すぐではないスケジュールはどうしていますか?」と聞いたときにもらったアドバイス。

タイトルに締切日を記載して、取りかかる日にセットしてます。 ただね、Googleカレンダーのいいところがドラッグ&ドロップできるところなんですよね。 非常にお手軽に後ろ倒しできるんですよ。

おあともよろしい笑

昨日、書いてみてよかった。
たくさんのアドバイスをもらいました。思ってもいなかった方法ばかり。なによりのクリスマスプレゼントをもらいました。
2026年に向かって、年末練習してみる! みんなも一緒に無敵になろー!

まさかのGoogleカレンダー! これできっと締め切り厳守! できるはず!!【さとゆみの今日もコレカラ/第785回】

昨日に続き、スケジュール管理の話を。
先日、レビューをアップした、『神・時間術』を試してみて、おおお、これはすごいとなっている。(記事はこちら→東大生も選んだベスト書籍。『神・時間術』で、2026年は時間を“増やす”)この本自体はめちゃくちゃ役に立っていると感じる。

でも、多分ここに書かれているような「効率を高める」の方向性だけじゃなくて、そもそもの仕事の入れ方、スケジュールの立て方に課題があるんじゃないかって気がしているわけです。

そこで、この本を読んだあと、めちゃくちゃしごできな先輩に、スケジュール管理について聞いてみた。

先輩、ちょっと意味不明なくらいの仕事量をこなしているはずなのに、週末は毎週遊びまわっている写真がSNSにあがる。アホほど忙しい部署のはずなのに、家に仕事を持ち帰ったことはないし、残業もほとんどしないとおっしゃる。

その先輩に、「どうすれば土日休めるんですか?」「どうすれば毎日18時で仕事を終えられるんですか?」と、聞いた。

すると「さとゆみはどうやって仕事管理しているの?」と逆に聞かれたので、Googleカレンダーを見てもらう。

私のGoogleカレンダーには取材の予定やミーティングの予定、締め切りなどが書かれている。それに加え、その日やるべきTO DOリストがあって、それは手書きで毎日書き出していると話した。

先輩は、私のカレンダーとTO DOリストをざっと眺めて、「これ、カレンダーに締め切りしか書いていないのがダメなんじゃないかな」と言う。

ん??? と、なる。

え、締め切り以外に何を書くんですか? と聞いたら「どの日にその仕事をするか書き出してる?」と逆に質問された。

し、て、ない。

あー、締め切りが近づいてきてるなあというのは毎日感じている。
でも、その前には別の締め切りがあるから、それに対応しているので精一杯だ。

そして、その仕事は、締め切り当日にTO DOリストに昇格される。「ああ、今日こそは絶対にやらなきゃ」となって、その繰り返し。だいたい毎日2、3本は締め切りがあるから、そうなっていく。

先輩は、締め切りがあるものは締め切り日だけではなく、「それをいつやるか」を、スケジュールに入れると良いとおっしゃる。

2週間先くらいまでのスケジュールを見て、何をどの日にやるのかを割り振って、それをカレンダーに入れる。

やろうと思ったのに終わらない日もあるから、バッファを見て書き込む。このやり方だとどんなにずれこんでも最悪、締め切りの前日には上がっている。
そんな話をしてくれた。

さらには、毎週末遊びの予定を入れているから、絶対にそこまでには終わらせるという「本気の締め切り」があるのも大事とおっしゃる。
マジか。

締め切りを書き出すんじゃなくて、その仕事を始める日を書き出す。

仕事ができるみなさん、これ、常識ですか?
みんなそうやってるんですか?

私にとっては、天変地異くらいのライフハックだったんですけれど、みんな知ってるやつでしたか?

25年間、そんなこと、考えたこともなかった。
やべえ、私また、パワーアップしちゃうYO。

来年のことは、今年のうちに。【さとゆみの #今日もコレカラ/第784回】

もうすぐ終わろうとしている2025年ですが、みなさん、いかがでした? 私は、だいぶ、渋かった。
ちょっと悔いの残る1年だったなあと思う。与えられたことは精一杯頑張れたけれど、自分が目標にしていたことはあまりできなかった。

で、こういうときはもう次に目を向けようと思ってですね。
2025年諸君には悪いけれど、もう心は2026年の後輩たちに心を寄せることにしたよ。
ここしばらくは、2026年にやりたいことと、それをどうすればできるのかを考えていた。M-1グランプリも見ずに。

で、まずは、今年の反省。
今年はとにかく、時間がなかった。いつも時間に追われていた気がする。
そして、いつも疲れていた。ぼんやりしていた。

何が去年までと違ったのかと考えると、大きく2つあって。
運動があまりできなかった。あと、お金をだいぶ使った。

1)運動ができないと、体力が落ちる。正比例して集中力も落ちたと思う。集中力が落ちると仕事効率が落ちる。時間がない。
2)海外に3回行って遊びまわり、家をもう一軒借りたので、お金がかかった。お金が出ていくと、働かなくてはならない。時間がない。

もっとゆっくりするつもりだったのに、今年は1年間ぶっ通しで働いちゃったよ。なんなら過去最高働きました。せっかくゆるFIREへの道を歩もうとしていたのに、働きマンに逆戻りです。

そんな反省のもと、2026年、同じ轍は踏むまいとスケジュール管理術の本を立て続けに読んだ。来年のことは、今年のうちに。今年のうちに、傾向と対策!
その中でも、どえらい納得した1冊の内容を、いま毎日試している。ここに書かれた時間術をつかうと体感1.6倍くらい仕事が捗るのだけれど、その分ほんと脳が疲れる。毎日倒れるように寝ている。夢も見ねえ。

あと、めっちゃ仕事ができる先輩に教えてもらった、TO DO管理法(だから私は締め切りが守れなかったのか!)も、また明日。

2026年、手ぐすねひいて待ってろよ!(違

命からがら【さとゆみの今日もコレカラ/第783回】

突然ですが、死にかけた経験って、みんなどれくらいあるものなんだろう。
ヒヤリハットレベルだと、ほとんどの人が経験しているんだろうか。

私は注意力散漫なので、まあまあ危ない目に遭っている。ちょっとタイミングがズレていたら死んでいただろうなと思うこともままあった。
ちゃんと数えたら5回、か。

先日知り合いがfacebookで、「たこ足していたコタツのコードがショートして、もう少しで火事になるところだった」と書いていて。急に、記憶が蘇った。私も似たような経験をしたからだ。

その日、私は両親のベッドルームで寝ていた。
普段は自分の部屋で寝るのだけれど、その日は父親が家にいなくて、母と弟と遊びにきていたお客様と1階のリビングルームで一緒に映画を見ていた。
私は一人眠くなってしまって、先に寝るーと2階にあがり、父がいないんならと、両親のベッドにもぐりこんだ。理由は忘れちゃったけれど、両親の部屋の布団はふかふかだった記憶がある。

途中で息が苦しくて目をあけたら、部屋の中が霧の中のように白かった。ん? 火事? と思ったのだけれど、あまりに眠かったので、夢かなと思って二度寝した。
2回目は、本当に呼吸が苦しくて息ができなくて目が覚めた。まだ眠くて起きたくなかったけれど、これはマジのガチの火事じゃん? と思って、朦朧とする頭で這って部屋を出た。
意識がとびとびながらも、一酸化炭素は上にいくはずと思って、這って出たのがよかった気がする。部屋のドアをあけると、隣の部屋から煙が噴き出していた。
私が寝ている部屋のドアが少し開いていたから気づいたのだと、あとでわかった。

1階のみんなは、2階がそんなことになっているとはつゆ知らず、映画を見続けていた。私はなんとか下までたどりつき、「上、火事」とだけ伝えたら気持ちが悪くなって吐いてしまった。母親が慌てて2階にあがり、燃えていたこたつ布団を窓から雪の上に投げ捨てた。
どうやら、こたつの電源コードがショートしていて、こたつ布団に火が出たようだった。
雪の上に落とされたこたつ布団は、さらにスコップで上から雪を被せられたが、朝になるまで燃え続けた。

映画を見続けていたら、大火事になるまで気づかなかったかもしれない。
両親の部屋で寝ていなければ、そして、私が寝ている部屋を閉め切っていたら煙に気づかなかったかもしれない(私の部屋は2階の一番奥だったので)。
わりと、ヒヤリハットな事件だったよなあ。

それにしても、1回目は「火事かもしれないけれど、眠いからまあいっか」と思った睡眠欲ってすごい。2回目も「まいっか」と思っていたら、きっと煙に巻かれていただろう。そして、布団を窓から叩き捨てた母親もすごかった。

オチはないんだけれど、友人宅が火事を起こす寸前だったので、みなさんコタツのたこ足には気をつけてね、と思ったのでした。
あと、死にかけた経験って、みんなあるのかなと気になってみたり。

タクシーに跳ね飛ばされたバイクが突っ込んできた話と、
真冬の凍った池の上を歩いていたら氷が割れて池の真ん中で溺れた話と、
酔っ払ったディレクターに宿の鍵を閉められ氷点下の寒空にパジャマ姿で投げ出された話は
また今度。

2つの大黒湯【さとゆみの今日もコレカラ/第782回】

京都の家(事務所)は、築98年の長屋だ。先日夜遅くに東京から到着したら、お向かいに住むおかあさんとばったり会った。
「え、こんな遅くにどうしたの?」
と聞いたら
「銭湯に行ってたのよ」
という。
ずいぶん遅いんだねと聞くと、早い時間はほら、舞妓さんや芸妓さんでいっぱいだからねとおかあさんは言う。
「あ、大黒湯ですか? お湯がめちゃくちゃ熱いところ」
と私が尋ねると
「詳しいのねえ。そうそう、大黒湯。一度潰れちゃったのだけれど、若い大学生が立て直してくれたのよ」
と、おかあさん。
やっばり大黒湯の話か。その話なら知っている。
「ちくりんが立て直してくれたんだよね?」
と私が言ったのでおかあさんはビックリしてた。
「あなた、東京の人なのに、なんでそんなに詳しいの?」

ええと、話せば長いが、私はちくりんがバイトをしていた梅湯のファンで、梅湯の壁一面に貼られている梅湯新聞で、ちくりんこと、竹林さんが大黒湯を立て直すために大学を休学していたのを知っていた(ちなみのCORECOLORのコレカラ新聞は梅湯新聞を真似ている)。

で、そのちくりんが、これまたCORECOLORでインタビューさせてもらったハンケイ500mで新連載を始め、大黒湯立て直しのあれこれを書いていたのだ。

そんな話を、お向かいさんとするとは思わなかった。
「ちくりんには感謝してるのよう」と、おかあさんは言う。私だけじゃないのよ。祇園の舞妓さんや芸妓さんたち、どれだけ助かったことか。

メディアの人間として知っていた「大黒湯」の話。こんなふうに、身近な人の生活に直結しているのを知ると、また全然違った見え方をするなと思う。
たった一人の行動が、地域の人たちみんなの生活を変える。

そういえば、私が大学時代に通っていた銭湯も「大黒湯」という名前だった。
地元の人たちが集う場所で、脱衣所ではいつも、近所のおばさんたちがおしゃべりをしていた。そこで毎日安否確認をしているようだった。大河ドラマの時間になるとガラガラになる。
あの銭湯がなければ、風呂無しキッチン&トイレ共同という家賃3万円の下宿には住めなかった。

いまはもうない東京の大黒湯。
復活した京都の大黒湯。

復活したほうには、なるべくいっぱい通おう。鏡広告も出したいな。

旅の螺旋階段【さとゆみの今日もコレカラ/第781回】

先日のエッセイ講座では「旅」をテーマにエッセイを書いてもらった。
いろんな切り口の「旅」があって、いろんな景色があって、いろんな記憶があった。

旅と読書は似ている。旅をしたら家に戻る。本を読んだ時も同じだ。今いる場所は変わらない。だけど、旅をしたあとは(読書をしたあとは)、もうもとの自分ではない。
同じ場所に帰ってきているようで、実は違う場所にいるなあと思う。

以前こんな文章を書いた

メーテルリンク作の『青い鳥』は、チルチルとミチルの兄妹が、幸せの青い鳥を探して異界を旅する物語だ。どこに行っても青い鳥は見つからず、あるいは見つかっても連れて帰ろうとすると死んでしまう。失望した二人が家に戻るとそこに青い鳥がいたという話。ゆえにこの作品は、「近すぎて気づかない場所に本当の幸せがある」と解釈されることが多い。
日常にある幸せに気づけないというのは、たしかにそうかもしれない。でも、この話の肝は「旅をした」ことにあると、私は思う。旅の間に二人はいくつもの経験をした。家を出る前の二人とは別人だ。別人になっているから、自分たちの居場所を再解釈できる。
たとえるなら、螺旋階段をのぼったようなものだろうか。上から見たら、一周回って同じ場所に戻ってきたように見える。でも横から見たら、ずいぶん前に進んでいる。
新しいものさしを手に入れて戻ってきたとき、慣れ親しんだ我が家にも再発見が生まれるだろう。ずっと部屋の中にいたならば、鳥は青くならないのだ。
昨日、旅は思い出すためにすると書いたけれど旅は、戻ってくるためにするものでもある。
戻ってきた場所をもっと愛するためにする。
チルチルミチル。すきすきみちる。

チルチルミチル【さとゆみの今日もコレカラ/007】より

りょーこの「旅」のお話もまた、違う自分になって戻ってきた話。
私もいつか行きたい、カミーノ一人旅。ぜひ週末のお供にどうぞ。

「書きたいことはないけれど、書きたい」【さとゆみの今日もコレカラ/第780回】

人の文章に手を入れて直すって、難易度の高い外科手術に等しい仕事だよー!
編集者としていちばん緊張する場面だよー!
免許も持ってない顔も名前も明かさない人がやっていい所業じゃないよー!
切り刻まれた側の傷を引き受ける覚悟も想像力も技術もないまま屈折した承認欲求を排泄してんじゃねえよ

https://x.com/aikonnor/status/2001678566216630483?s=20

編集者の今野さんが、こんなポストをしていた。

福岡でエッセイ講座が終わり、まさにいっときも気の抜けない外科手術から戻った気持ちで、マッサージを呼んだ。「ガッチガチですねえ」と言われた肩こりが、この投稿を見て少し緩んだ気がする。
そうだよね、人のエッセイにコメントするなんて、全身緊張していて当たり前だよね。

エッセイに正解なんてない。
そしてエッセイは「わたくしごと」だから、否定されると、内臓まで切り刻まれる。感想言うにしても、コメントをするにしても、一番緊張するのが、エッセイだ。

何度もワークをして、グループで話をして、だんだん打ち解けて、それでやっと実際に書いた文章を真ん中にして話ができるようになる。

ライティング講座では、「書きたいことは、とくにないんです」と言う人が一定数いる。エッセイ講座でもやはり、「書きたいことは、とくにない」と言う人がいる。

「書きたいことがないのに、なぜ書くの?」と不思議に思う人もいるかもしれない。でも、この気持ち、私はよくわかる。
「書く」という行為はそれそのものが、自分に近づく行為だ。自分を知る行為でもある。書くことは自分の輪郭を確かめるようなものだし、書くことで自分や自分の過去をちょっぴり愛し直せることもある。
好きになれるかもしれないと思って、祈るように書く。
それはほんと、命懸けの行為なんだよ。

命懸けの行為に命懸けでこたえたいなあと思って臨んだ7時間でした。
みんな、また、会おうね。

家族じゃないけど「お帰りなさい」【さとゆみの今日もコレカラ/第780回】

鹿児島にいる。
福岡でエッセイ講座があるんですけれど、その途中に寄ったら会えますか? とLINEしたら「途中って!」と、笑われた。
今年、三度目の鹿児島。

何しにきたかというと、天文館図書館に会いに(?)きた。
そして、図書館の館長を務める松田さんと、松田さんに紹介してもらったお友達のみなさんに会いにきた。

以前書いたこともあるけれど、ここの図書館が本当に気持ち良いのだ。
ここにいる本たちは本当に幸せそうにしている。私の本も置いてくださっているのだが、ここにいる私の本は、本当にのびのび幸せそうにしている。訪れる人たちもとってもリラックスしているように見える。過去に二度、トークイベントをさせてもらって、大ファンになってしまった。

そして二度目のイベントの時、館長の松田さんが、私の友人たちと飲みませんか? と誘ってくれた。それが図書館同様あまりに楽しくて気持ちのいい方たちで涙が出るくらい笑って、私はその場で3ヶ月後にはまたきますと次の飲み会の約束をした。
その飲み会も、翌日腹筋が痛くなっていたくらいに笑って笑って幸せだったので、ひそかに、今年中にまた会いたいなと思っていた。

お店に着くと、先に到着していた二人が「お帰りなさい」と言ってくれた。お帰りなさいかあ、素敵な言葉だなあと嬉しい気持ちで乾杯する。
そのあと、仕事が終わって合流してくれた方が、やっぱり「さとゆみさん、お帰りなさいー」とグラスをカチンと合わせてくれた。

みんなの行きつけだというそのお店は、とってもアットホームでディープな場所だった。おばんざいがずらりと並んで思わず声が出てしまう。年末の疲れた体が今すぐ食べたいと欲しがるのがわかる。
お豆も野菜もお魚も、何から何まで美味しい。滋養という言葉が浮かぶ。
「ここにくると、1週間分の栄養をとれる感じがするよね」
と、一人が言う。
「そうそう、最近ロクなもの食べてないなあと思ったらくる場所だよね」
と、また別の一人が応じる。
おかみさんとの会話も打ち解けていて
「今日は東京から来る人がいるっていうから、気合い入れて仕込んだのよー」
などと言ってくださる。

その日、最後に合流してきてくださった方も、顔を見るなり、「わあああ、お帰りなささいい!!」といってくれた。会食が入っていたのに、絶対行くから待っててと駆けつけてくれたのだ。

お帰りなさい、すっごく嬉しい。
家族以外にこの言葉を言ってくれる人がいるの、すごく幸せ。

みんなの仕事のこぼれ話を聞く。じーんとしたり、アホほど笑ったりして、笑いすぎてシワが増えた。あまりにも楽しかったので、その場でまた次の約束をして別れた。

来年の2月にまたこよう。
また、帰ってこよう。

きっと、好きになる【さとゆみの今日もコレカラ/第778回】

毎月30軒、50軒の美容院を取材させていただいていたころ。

どうやって店ごとの特徴を書き分けようかと悩んで編み出したのが「店名の由来」と「内装のこだわり」を聞くことだった。
これを聞くと大抵、話が1時間を超える。みなさん、話したくて仕方ない、その人にしか話せないエピソードがあるのだ。

ところが、最後までうまく話を引き出せなかった方がいた。
「うーん、内装にはあまりこだわりがなくて……」とおっしゃる。だいぶ粘ったけれどなかなか口が重い。そろそろ次の取材現場にいかなきゃならない時間になったとき、ふと思いついて、「どうしてこの場所に店を構えたのですか?」と聞いてみた。

するとその方が、ああ、といって顔をあげ、ぽつぽつっとお話をしてくださった。

僕、美容師デビューした直後から、ずっと通ってきてくださったお客様がいらしたんです。まだ未熟だった僕をいつも応援してくださって、見守ってくださった大切なお客様です。でも、そのお客様、病気で車椅子生活になってしまったんですよね。

僕が当時勤めていた美容院は、階段しかないところでした。病気になったその方を、今こそ髪を整えることで元気づけてあげたかったのに、車椅子だとお迎えできなくなってしまって……。
それで、自分が独立するときは絶対に、エレベーターのあるビル、車椅子で入れるお手洗いが作れる場所って考えたんです。

そうでしたか、と私は相槌をうった。
「そのお客様、今はきてくださっているんですか?」とは聞けなかった。ちょっとうるんでいるような目に、なんとなく、聞いちゃいけない雰囲気があった。

帰り際、大事なことを思い出した気がします。今日は取材、ありがとうございましたと、その方は深く頭を下げられた。私も、聞かせてくださりありがとうございましたと、頭を下げた。

200文字のお店紹介のキャプションに、この話は書けなかった。
でも、聞いてよかったなあと思った。
その美容院やその美容師さんのことを、取材前よりもずっと好きになった。その、好きになった気持ちで、別のキャプションを書いた。

ーーーーーー

先週の土曜日、編集ライター養成講座の講義で、「興味を持てる話が聞けないときはどうしていますか?」と質問された時にお話ししたこと。

自分と約束していることがあるんです。
好きになるまで、帰らない。
帰るまでに、好きになる。きっと。

負け慣れている、という強さ【さとゆみの今日もコレカラ/第777回】

土曜日からずっと考えていることがあって。

宣伝会議さんの「編集・ライター養成講座」で話をさせていただいたときに「どうして、そんなふうに頑張れる(努力できる/自分に投資できる/自分を信用できる)のですか?」という質問をもらったんですよね。

私がやってきたことひとつひとつはそんなに特別なことじゃないけれど、どうしてそれをやろうと決断できたのか? みたいな感じの質問だった。

これ、実は、『書く仕事がしたい』を書いたときに、編集者のりり子さんにも言われたことだった。
「ここに書かれていることは、やろうと思えば全部真似できることばかりだけれど、唯一、これをやろうと思うさとゆみの心持ちだけは真似できないかもしれない。それはさとゆみの自己信頼の高さに由来していると思う」
みたいなことだった。

そのときも、うーん、そうなのか、と思った。

たしかに私、自分のことを信頼している気がする。
まあまあ忙しいときも、全然稼げないときも「まあ、そのうち私がなんとかしてくれるでしょう」と思っている。
いつかうまくいくだろうって思っているから、努力(投資)をして無駄になると思ったことがないかもしれない。

どうして私、そんなに自分を信用しているのかなあと考えて、ひとつ思い当たったことがある。
「そうだ私、負け慣れてるんだ」ってこと。

私、小さいときから軟式テニス(いまはソフトテニスと呼ばれている)をやってきたのだけれど、これがまあほんと、面白いくらいに、ずっと負け続けてきた。100戦100敗くらい。


そしてわかったことが
「努力したって負けるときは負ける」
「全国優勝する人以外は全員負ける」
「負けても死ぬわけじゃない」
ってことだ。

で、「負けたら、それまでのいろいろが全部ゼロになるか」といったら、全然そんなことはないってことも、学生時代に知った。
結果だけ見たら負けだけれど、負けるまでの過程にものすごくたくさんのものを得ているから、すでに元は取れている。
甲子園球児のみなさんだって、優勝校以外の全員が「負けたから、3年間の努力は全部無駄だった」なんて、たぶん思っていないよね。

逆に言うと、負けても元が取れるものに対して努力(投資)をすればいいのかもしれない。

ライターになりたい、ライターで稼ぎたいと思うチャレンジは、もし失敗したとしてもそこまでの過程がだいぶ楽しいから、それだけでも全然元がとれるんじゃないかしら。とか。

そうじゃなくても、仕事は、スポーツほどシビアじゃない。
1年に1回しかチャレンジできない季節モノでもない。1回負けたらそこで終わりのトーナメント戦でもない。

ってことは、よ。
失敗しても死なないし、うまくいくまでやめなきゃいいだけだし、万が一最後までうまくいかなかったとしても、努力(投資)している最中にすでに元がとれてるから、まあ、負けっぱなしでも問題ない。

みたいなことをしどろもどろ話したんだけれど、みなさんに伝わったかなあ……。

勝ち続けているから、自分を信頼できるんじゃないんです。
負け続けてもどうせ楽しかったから、自分を信頼してる気がします。


writer