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40代は種まき【さとゆみの今日もコレカラ/第179回】

新刊『本を出したい』の中で、一番たくさん感想をいただいているのが、82ページからの峰子さんの出版エピソードだ。

峰子さんは、私が初めて通った著者になるためのゼミの同期で、同志だった。アクティブカラーセラピーという、色を使った画期的なセラピー法を開発され、それを本にしたいと、福岡から東京までゼミに通っていらした。ご縁あって、私はその後、峰子さんの本の企画を出版社に持ち込み、ライターも担当した。

峰子さんは、私の母よりも年齢が上である。品のある声でたとえば、「さとゆみさん、先にお食事なすってね」などと言う。「なすって」という上品な言い方があるのを、私は峰子さんから教わった。
九州に出張に行ったときに約束をしたら、真っ赤なスポーツカーで登場した。助手席に乗ったら、これまたすいすいと他の車を抜き去って運転するのだからびっくりした。その日の足元はシルバーのスニーカー。これまで、同じ服を着ているところを見たことがない。

先週その峰子さんが、アクティブカラーセラピー15周年のパーティを開催されるというので、福岡にお祝いに飛んだ。

冒頭のご挨拶で、峰子さんがカラーセラピーの仕事についた経緯が紹介された。峰子さんは東京の短大を出られたあと地元福岡に戻り、JAL初のグランドスタッフとして採用されたのだという。1期生だ。仕事は大好きだったという。
しかし時代が時代だったので、結婚してからは毎日1汁5菜の食事づくりにはげみ、子どもができたてからは子育てに専念し、再びご主人から「働きに出てみたら」と言われたときは、40代だったそう。

20年近く専業主婦だった峰子さんは、子育てが終わってから働きに出た人生を、こんな言葉で話していた。

40代は、種まきの時期。
50代は、働き盛りでした。
60代で、蒔いた種が実り始めて、
70代は、モテ盛り。
来年は80代になりますが、きっとありがとうの花が咲くと思っています。

その言葉はぐっと響いた。こんな素敵な女性が身近にいて、人生はこれからよと言ってくれているのだ。だって私、まだ、種まきの40代だよ。

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私が峰子さんに出会ったのは、峰子さんが70代、私が30代の時だった。死ぬ前に、どうしてもこのメソッドを本にしたいのと言ってらした。物腰やわらかなのに、その覚悟たるや、著者ゼミに参加していた誰よりも強いものだったと思う。

パーティ会場で、私は、峰子さんの書籍の出版についてトークをしてほしいと頼まれていたのだけれど、峰子さんが参加された全員に『本を出したい』をプレゼントしてくださったので、急遽、82ページからの6ページを朗読することにした。この6ページに、著者としての峰子さんの姿がつまっていると思ったからだ。
朗読をしていると当時のことが鮮明に蘇り、4ページ読んだあたりで不覚にも涙がこみあげてきた。声がふるえて、何度も息を整えた。本から顔をあげると、聞いてくださっている人たちの目にも涙が浮かんでいて、ハンカチを出してそっと目を抑えている人もいる。それを見てまた涙がこみあげてきてしまう。あの日徳島駅の前で泣き崩れたように、私は、ステージの上で身も蓋もなく泣いてしまった。

峰子さんの本、出版できて、本当によかった。

その日参加された人たちの中には、峰子さんと20年、30年来の付き合いの方もいれば、その時出版した本がきっかけで、峰子さんと出会いセラピストの勉強をされた人もいるという。本がつないでくれた、峰子さんと私の縁、そして峰子さんとその本を読んでくれた読者さんの縁を、リアルに感じることができた日だった。

参加者の一人が、「ここにいる人たちは、責任重大ですよお。峰子さんが召されてからも、その意思を受け継ぎ、次の世代に渡していくのですから」というようなことを、冗談めかして言っていた。その人生のバトンリレーに、私も参加できたことを、本当に誇りに思った日でした。

峰子さん、15周年、本当におめでとうございます。これからも、私たちの前をエレガントに歩いていってくださいね。


※この文章は毎朝7時に更新され24時間で消滅します。今日もコレラよい一日を。

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森の中には、道上さんが自分で植えた木もあれば、道上さんが生まれる前に植えられたた木もあります。それら一本一本に触れながら「これは、じいさんが植えた木」とか「これは細いけど締まっているからいい柱になる」と話してくれました。


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