
その包容に巻き込まれて【さとゆみの今日もコレカラ/第514回】
友人の堀香織さんがエッセイ集を出した。『父の恋人、母の喉仏』のタイトルが示すように、家族の物語であり、父、母、そして著者である堀さん自身の愛の物語である。
一昨日はこの本について堀さんに3時間のロングインタビューをさせていただき、昨日はSWITCH編集長の新井敏記さんが公開インタビューする場に参加した。いろんな人のこの本の感想を聞いた。
この本には、映画監督の是枝裕和さんが帯を寄せていて、そこには「乾いた筆致」とある。報知新聞の加藤弘士さんは「勇敢な一冊」と評し、作家の沢木耕太郎さんは「この言葉を今の時代に使っていいのかわからないけれど、非常に男前な文章だ」とお話されたそうだ。

たしかに筆致はドライだ。そして、父母が男と女であった時代に切り込むのが勇敢な姿勢であるとは、まさにと思う。
しかし、そういった感想を聞きながら、私は少し意外に思っていた。
私がこの文章から感じていたのは、かしこに立ち上る色気であり(上品な色気だ)、これまた今の時代に使っていい言葉なのか迷うが、たぷんとたゆたう母性であったからだ。
「母性」は、人によって捉え方が変わるワードかもしれない。現存する言葉の中で一番しっくりくる言葉で言い換えるなら、「包容」だろうか。包んで、抱き止めて、癒す。もしくは「肯定」かもしれない。
堀さんのその包容と肯定は、自分の父母にも及んでいる。
私がこの本の中で一番好きな文章は、「母の『卒業』」と名付けられた文章だ。堀さんのお母様は50代で大学に入学している。そして、その卒業式、堀さんは保護者席で母親の卒業を見届ける。その時の堀さんのまなざしがもう、「母」のそれである。
堀さんの文章を読んでいると、ああ、女は、いつでも誰かの「母」になれるのだと思う。
それが、たとえ自分より歳上であっても、たとえ自分の親であったとしても、女はその人の人生を抱きとめ包み込むことができるのだと感じる。
この本は、愛し直しの本である。
堀さんが、大好きだった母親の、そして大好きだったけれどダメちゃんだった父親を(金沢弁では「だちゃかん」というらしい)、愛し直す本である。
そして、堀さんが家族を、人間を愛し直す物語のそこかしこで、私たちは巻き込まれ事故のように、いっしょに包まれていく。堀さんが広げた腕の中に、私たちも巻き込まれて、愛されて、癒されて、肯定されて。そして、思うんだ。私も誰かをそうやって愛しているなあって。みんな、誰かの母なのだ。
かくて、私はこの本から、堀さんの中の「女」と「母」を感じたのだけれど、続きはまた。
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そこには確かに愛情があったと思えることが、時間差で自分を支えてくれることもきっとある。

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