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嘘でも本当でも面白いものがいい【さとゆみの今日もコレカラ/第818回】

先日京都文学フリマで作った『舌を抜かれる』の感想をいただいています。読んでくださったみなさま、ありがとうございますっ。

「どれが嘘か全くわからなかった」というご感想がいちばん多いのですが、ここ数日「嘘とか本当とかよりも、結局エッセイとして面白いものがいいよね」という感想を立て続けにいただき、これは本当にそうだなあと思った。

嘘をどう定義するかは別として、嘘か本当かは実は読者の人たちにとってはどっちでも良くて。
白でも黒でもネズミを取ってくるネコがいいネコなのだなあと、しみじみ。

今回は、佐藤智さん、田中裕子さんという信頼する書き手のお二人と一緒だったこともあり、私史上最も気を楽にして書いたのだけれど、商業文章じゃないぶん、自分の色が前面に出たものになったなあと思う。

もっと上手くなりたい。もっともっと上手くなりたい。強欲。
(『舌を抜かれる』はこちらでご購入できます

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【バックナンバー】

聞く、が仕事になるのを夢見てる【さとゆみの今日もコレカラ/第817回】

最近、タクシーに乗ってて楽しみなのは「ひみつのPRIME」。
うさぎが、いろんな俳優さんたちの話を聞くやつです。みたことあります?
このウサギさん、めちゃくちゃ聞き上手で、しかもズバッと切り込むのだけれど、誰かというと、MEGUMIさん。ついつい、話したくなっちゃうリアクションだよなあって思っています。
MEGUMIさんにインタビューしてもらえるなら、話したいって人、いっぱいいる気がする。

最近、ファシリテーターのご相談をいただくことが増えたのだけれど
オープンな場でも、クローズな場でも、聞く、をもっとたくさん仕事にできたらなあと妄想していまちゅ。

読書を「アウトプット」する【さとゆみの今日もコレカラ/第816回】

NHKカルチャーセンターの大阪梅田で、「本を読んで感想を書く」講座がスタートしました。

私は2016年くらいから3年間、毎月1冊の本を読む読書会に参加していたのだけれど、そこでの経験があったことで「本を読む」を、もっともっと楽しめるようになった。

さらに、今は、本のレビューを書く仕事もしているのと、ポッドキャストで話すこともしているので、それでさらに本読みが楽しくなった。

読書とはインプットなのだけれど、読書会でアウトプットしたり、文章にしてアウトプットしたりすると、何度も何度も味わえる。

いま、同じ本についてのレビューを何本も書くというオファーをいただき『弱さ考』について、何本も感想を書かせてもらっている。この本は、何度も読みたいと思っていたけれど、こんなふうに強制的にいろんな読み方をさせてもらえるなんて、ほんと、幸せ。

みんなもすっごく楽しかったみたい。
東京メンバーのみなさんも、楽しみにしていねー。

「わかりやすい」と「親切」は違う【さとゆみの今日もコレカラ/第815回】


昨日の続き(バックナンバーは文末に)。古賀さんの話です。

ポッドキャストの中で古賀さんが、わかりやすい文章と、親切な文章は違うと話していらした。
たとえば書籍のブックライティングでいうと、
難しいことをただわかりやすく書こうとすると、抜け落ちるものがある。
そうじゃなくて、難しいことを親切に書く。階段を一段ずつ作るように、この段差なら誰でも上れるというに、親切の階段を作るのが大事だ、といった内容だった。

これは、なるほどと思った。ポッドキャストを聴いているときに思わず声が出たくらい。

『書く仕事がしたい』にも書いたけれど、私は、「わかりやすい文章を書く」ことをとても大事にしている。でも親切な文章という考え方はなかった。

なのだけれど、実際に私が「わかりやすい文章」と言っているものは、親切の結果だとも思った。
古賀さんの場合
「わかりやすい、ではなく、親切が良い」
なのだけれど、私は
「わかりやすい、を実現するための手段が親切」
つまり、
「親切に書くとわかりやすくなる」
と、思っている

親切は手段。
わかりやすいは結果。(と、私は思っている)

さらに言うと、
わかりやすさが、そのまま面白さだとは思っていない。
でも、面白いを実現するためにわかりやすい文章を書けることは必須だと思っている。

そんなことを考えるのも楽しい。
あと、「これが親切だと思う階段の幅」がライターによってまちまちで、その階段の幅がフィットするかどうかが、読者にとって「この人の文章は読みやすい」「読みにくい」の差になるんじゃないかという田中裕子さんの指摘もおもしろかった。こういう話、大好き。

今日は15人+22人の添削を朝から晩まで。
さすがに、ふらふらでふ。
閉店ガラガラまた明日。

「言語化しないほうがいい」と先輩は言った【さとゆみの今日もコレカラ/第814回】

昨日アップした「『下から目線』で斬る」(下部にアーカイブあります)に、たくさんのコメントをいただきありがとうございました。面白いのはDMでのコメントが多かったこと。表立って言えない言葉ほど、熱があるなあと思う。

今日はまた別の話。
『嫌われる勇気』『さみしい夜にはペンを持て』、最新刊は『集団浅慮』の古賀史健さんがゲストとしてお話されたポッドキャストを聞いた。

いくつも面白い話があったのだけれど、そのうちのひとつが「書く動機や、自分が何に興味を持っているのかを言語化 “しない” ほうがいいと思っている」という部分。言語化すると、その情報しか入ってこない。言語化せずに曖昧にしておくことで、未知との出会いを楽しめるといった内容だった。

もうひとつは、「役に立つ本 ”ではなく”面白い 本を書きたいと思った」という話。

ここ数年、「言語化」と「役に立つ」(そして「寄り添う」)という言葉を、だいぶ疑っている私なので、非常に楽しく聴かせていただきました。

「わかりやすい文章と丁寧な文章は違う」という話については、また今度。

「下から目線」で斬る【さとゆみの今日もコレカラ/第813回】

最近、上から目線より、下から目線のほうが、人を斬れるなあと思うことがある。
いや、実際に「斬れ」ているかはわからないけれど、下からご意見申すほうが、共感を得やすい側面が加速している。

「笠に着る」という言葉はもともと、強い立場や伝手を利用して好き勝手にふるまうことを指すけれど、

そのうち

「庶民」の立場に笠を着て
「弱者」の立場を笠を着て

という言葉も生まれるかもしれない。

と、思う今日この頃。

「下から目線」について書きました。
エリートの「弱者アピール」について。
よろしければ、ぜひ。

「言いにくいんですけど、「生きづらくない」のは悪いことなんですか?」(別サイトに飛びます)

酔っていい人。ダメな人【さとゆみの今日もコレカラ/第812回】

先日のこと。
ライターの先輩でもあり、日本酒サロン粋suiのママでもある堀香織さんが、まあ世にも可愛い酔っ払い方をしていた。テレビで見るコントのような酔い方だなあとみんなで爆笑していたのだけれど。

ふと思ったことがあって、質問してみた。

「堀さん、酔っ払って記憶を飛ばすの、怖くないですか?」

というのも、私は、酔いすぎるのがすごく怖い。どんなに仲の良い友人と飲んでいるときも、酔っぱらった次の日の朝は、「私、失礼なことしなかった?」「暴言吐かなかった?」と心配になるからだ。この心配が嫌で、絶対に記憶はとばさないと気を張っているところがある。

だいたい、この歳になったら、何か取り返しのつかないくらいの失敗するのは、酔った時くらいだと思う。
なので、こんなにあっけらかんと「きゃー、また記憶がないー」と笑える堀さんが、すっごいなと思ったのだ。記憶がないこと、怖くない?

すると堀さんは(盛大に酔っぱらいながら)
「んーーーー。怖くなーい」
とおっしゃった。

「どうして?」と聞くと、堀さんは多分、あんまり動いていなさそうな頭で「んーっと、んーっと… …」と考えてからこう言った。
「多分、私、人の悪口とか言わないからだと思うー。酔っ払ってやらかしちゃうことはあるけれど、言っちゃダメなこととか言わないからだと思うー」
そして、そのままバタン、とテーブルに突っ伏した。

いやあ、この回答に、わたし心から感動した。近年5本の指に入るくらい感動した。

私たちがみんなみんな堀さんのことが大好きなのは、この、スケルトンな、裏のない、陰口をたたいたりしないところに安心しきっているからなのだ。
いつも人の良い側面を肯定しようとする、その心根みたいなところが好きなのだ。

一方、記憶を飛ばすのが怖い私は、その点、100パーセント自分を信頼できていない。
いじわるだったり、いじめっこだったりはしないけれど、黒い感情がゼロかというときっとそうではないような気がするから、鍵を全開にして記憶を飛ばすような酔い方ができないのだ。

先日の堀さんの酔っぱらいぶりは本当に可愛くて、「まじで、あんな可愛い酔っ払いになりたい」とみんなに言われていたのだが、あれはほんと、悟りの境地の姿なのだと思っています。
乾杯。


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