
数学的原稿と、国語的原稿【さとゆみの今日もコレカラ/第856回】
いま、私たちが書く原稿には、数学的原稿と国語的原稿があると思っている。
この「数学的原稿」と「国語的原稿」は、私の造語なので、多分に感覚的なものなのだけれど、いったん以下のように定義してみる。
・数学的原稿は、論理的に構築される文章。演繹的、もしくは帰納的に書くことができるもの。形式化できるもの。
型のあるサマリーやレポートなどはこれにあたると思う。
・国語的原稿は、書き手の固有の感覚や、思考、経験をよりどころに書くもの。
書き始めるときには、書き終わりがわからないタイプの原稿。書きながら思考するタイプの原稿。
また、そもそも、その「固有の感覚や思考、経験」の素材自体を発掘してから書くタイプの原稿。
だいぶ雑だし「数学的」「国語的」の使い方が合っているかどうか問題もあるけれど、いったんこんな感じで考えてみると。
この先はもう、「国語的原稿」だけが、ライターの仕事になっていくのではないかなと思っている。
思考途中でいったん、放出。
このことはいつか、もっとちゃんとした形で原稿にしたいと思う。
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【この記事もおすすめ】(今日のおすすめ記事も、この人にしか書けない原稿だよなあ)
夫もすなる「ひとり暮らし」といふものを、妻の私もしてみむとてするなり、だ。こんちくしょう、見てろよ!
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【バックナンバー】
ああ、恥ずかしい。【さとゆみの今日もコレカラ/第855回】
「百貨店って、ほんと、最近大変だよね」
「だよねえ。何でもかんでもネットで買える時代だし、服を買うにしても試着室みたいに使われているっていうもんね」
先日友人とそんな会話をしたばかりなのだけれど、知らないというのは本当に恥ずかしいことで。
昨日、こんな記事を読んだ。
伊勢丹新宿本店、2月は17%増収 優良客限定の「丹青会」で単日過去最高の50億円超を稼ぐ
いわゆる外商部門が、百貨店の売り上げを支えているという。
前年比がここまで伸びているなんて、想像もしていなかった。
自分にしか見えていない世界でものごとを語る浅はかさに恥じいる。
これはひとつの例だけれど、こういうのがひとつでもあると、何を話すのにも「自分に見えていない世界はないか」を考えて発言しないと恥をかくなと思うのです。
インタビューでは話す速度が0.5倍速になる理由【さとゆみの今日もコレカラ/第854回】
立て続けに公開インタビューを2回させてもらった。
私は、
友達とおしゃべりするとき>講義で話をするとき>>>インタビューするとき
くらいの感じで、しゃべりのスピードが違う。
なので、普段私の話し方を知っている人は、私のインタビューを聞くとびっくりする。
これにはいくつか理由があるのだけれど、私の頭の回転の遅さが一番大きい。
インタビューは、信じられないくらい、脳のメモリを使う。
相手の言葉に対して、次に聞く質問を3パターンくらい考えて、
その3パターンを繰り出した場合の想定回答を3パターンくらい考えて、
どれが一番面白そうか、瞬時に判断する。
それも、相手の話を傾聴しつつ、表情も観察しつつ、仕草を見つつ、
クライアントからもらっているオファーも脳の片隅におきつつ、
この9パターンを走らせると、めっちゃくちゃ脳のメモリを使う。
だから、ゆっくりしか発話できないのだ。
普段のおしゃべりや講義のスピードでは、到底脳がついていかない。
取材しながらメモを取れる人とか、
ましてやパソコンでメモを取れる人とか、
どれだけ脳の回転が速いんだろうと驚愕する。
なんて、話をしていました。
でも、私、もともとマシンガンだし、
存在しているだけで圧が強いので、
ゆっくりくらいでちょうどいいのかもと思ってる。
読みやすい本、わかりやすい本。それで?【さとゆみの今日もコレカラ/第853回】
私は書籍ライターだから、そこで書く文章はできるだけ読みやすくありたいと思うし、わかりやすくありたいと思う。
だけど、書籍の価値は「読みやすさ」にあるわけではない。
当たり前だけれど、内容がなければ、どんなに読みやすくても、その書籍に価値はない。
わかりやすくてスラスラ読める本は、もちろん「文章が読みやすい」からという場合もある。
けれども、往々にして「知っていることしか書かれていなかった」から読みやすいということもある。
注意しなくてはいけないのは、「この本、読みにくい」と思ったときの理由が
・文章が悪文だから
ではなく
・内容が自分にとって難解だから(基礎知識がないから)
の場合があるということだ。
こんな経験をしたことがある。
初読のときに、
「うっわーーー。読みにくい。難しい」
と思った本を、私の知り合いのほとんどが、「久しぶりに好みの文体だった。読みやすい論理的な日本語だった」とか、「内容が斬新で最高に面白かった」「この角度からの作家評があったのか」などと評したのだ。
びっくらたまげた。
そうか、これが読めないのは、作者の日本語や主張が稚拙なのではなく、私に読む体力が備わっていないからなのかと反省した。
その後、2回、3回と読み、関連書籍も読み、どんどん理解できる部分がふえてきた。
まだ全部を理解できるわけではないけれど、「なぜこの文章を読みにくいと思ったのだろうか」と不思議になるくらいだった。
読みやすい本は、良い。
でも、読みやすい本ばかり読んでいたら、自分の理解の範囲は広がらない。
いま、NHKカルチャーさんの青山教室と梅田教室で、「書くことについて書かれた本を読む」読書会をしている。
そこでみんなと話をしていて気づいたこと。
ゼミの仲間がガンになった【さとゆみの今日もコレカラ/第852回】
昨年10月、ゼミの卒業生180人弱と1on1の面談をした。
そこでいろんな近況を聞いたのだけれど、ガンになったんですよね、と言ったメンバーがいた。私よりだいぶ若いスタイリストさんだ。
心配する私の反応をよそに、彼女は、せっかくなのでこの話をメディアで書かせてもらおうと思っていますと話してくれた。
ライターという仕事は、よきも悪きも、糧にしていける面白い職業だよと、いつも話している。
彼女の表情はとても明るかった。すごいな、私だったら、そんなふうに思えるかなと考えた。
その彼女の記事が、先日アップされた。
Yahoo!ニュースで20万PV超えたという。
彼女からのメッセージには、こんなふうに書かれていました。
「書くことに支えてもらいました。やってて良かった!さとゆみゼミ!」
ちょっと泣いてしまう。
楽しいことも、苦しいことも、いろいろある。
書くことが、みんなの人生を少しでも支えてくれますように。
彼女の書いた文章はこちら
「残念ながら乳がんです」40代人気スタイリストが告知を受けてから約3カ月。ただ一度涙した日の「意外な理由」は
自己肯定感の低かった私が、乳がんを経験してやっと本当に理解できた「いちばん大切なこと」とは
「落とし込む」なんてしないほうがいい【さとゆみの今日もコレカラ/第851回】
「ものごとを解決しないまま、心の中においておけるのは、ある種の特殊能力です」と言われて、びっくらいこいた。
そうか、そうなのか。
わたしは、ひとつの問いを、数ヶ月とか数年とか単位で考える。
誰かに聞かれたことを、「あ、そういえば、あの話、考えてみたんだけれど」と、1年後に返事することもよくある。
でも、そういう「解決していないこと」をたくさん抱えている状態は、人にとってはある種のストレスらしくて、意外と誰にでも向くことではないらしい。
そういえば私、ライティングゼミのメンバーによく、「落とし込むとか言わないほうがいいよ」と伝える。
何かわからないことに出会ったとき、無理やり落とし込もうとすると、自分のサイズに矮小化された解釈で受け取ってしまう。
わからないものはわからないまま置いておけばいい。
いつかわかるときに、ちゃんとストンと落ちる。
無理やり落とすよりも、自然と落ちるのを待っていたほうが、ものごとをちゃんと理解できる。
最近、解けないパズルのようなものをもらったと考えていることについて書いたのがこちら。
自分のキャラ設定【さとゆみの今日もコレカラ/第849回】
「エロは書いても下(シモ)は書かない」でおなじみのさとゆみ(?)ですが、昨日アップされた新連載『50代を迎え討つ!』の「シャンパンと括約筋」が非常にたくさんの方に読まれたとのことで、嬉しいやら、お恥ずかしいやら。でもやっぱり嬉しい。
情報は発信するもののところに集まると言われるけれど、昨日の連載公開後、いろんな方から「○漏れ」に関する情報が寄せられ、いまわたくし、一時的に、○漏れ情報に非常に詳しい人になっております。
いつかゆっくり書きたいなと思っているのですが、
30代まで、「自分が目指す女性像」は、久本雅美さんだった。
久本さんのようにカラッとした感じで、女性性をあまり感じさせず、男性にも気兼ねなくツッコミ、ツッコまれできるような気さくな雰囲気。
髪も久本さんのようなベリーショートだったし、早口でサバサバっとした話し方を意識していた。
超体育会系の男社会、美容業界でライターをやるときに、目指す女性像が久本さんだったのは、我ながらとても良いセンスだったと思う。
40代になって、キャラ変しようと思ったのは、美容著者になったからだ。
当時の担当編集者さんに「美容著者になるという自覚を持ってください」と言われ、「美容著者」ってどんなイメージだろうと考えたのだけれど、久本雅美さんではないような気がした。
とはいえ、どう考えても、神崎恵さんのキャラではない。
じゃあ、誰だろう。
そんなふうに考えてぐるり周囲を見渡したとき、そうだ。YOUさん! と思った。
YOUさんとは、テレビ時代にわりと近い場所で仕事ぶりを拝見させていただいていた。
直接親しく話す場所にはいなかったけれど、オンエア中も楽屋裏も拝見していたので、イメージしやすかった(ちなみに、信じられないくらい裏表がない方です)。
「男性にも気兼ねなくツッコミ、ツッコまれできる」感じは、久本さんと同じだと思うのだけれど、YOUさんのほうが、ちょっと湿度と女子度が高い気がする。
というわけで、40代はYOUさんを目指して生活してきました。
髪をのばし、早口をだいぶ抑え、発声の方法も変えた。
わりと形から入るタイプです。
こういうのを、シンデレラレッスンというらしい。
あとはもう少し痩せたほうがいいな。
最近、立て続けに「さとゆみって、30代の頃とキャラ変わったよね」と言われたので、書いてみました。
さて、
「エロは書いても下(シモ)は書かない」
の掟を破ったので、50代はどんなキャラでいきますか。
ちょっと考えてみよう。
命だばだば【さとゆみの今日もコレカラ/第848回】
先日、京都のアーティストフェアで、ある画家の方のアトリエを見学させていただいた。
気鋭の日本画家として注目を集めるその方は、30代。
アトリエには、絵だけではなく、その方が海外を旅しながら書いた日記やスケッチが展示されている。
ツバメノートにぎっしりと書き込まれたその文章には、
自分はなぜ描くのか
なにを目指して描くのか
そして、そのために何をすべきなのかが、綴られている。
展示された絵は、いつか北斎や若冲らと並ぶことを想定して描かれている。
だから、何百年後にも残る画材が使われている。
ブルーブラックの万年筆で書かれた彼の思考を追い、習作に習作を重ねたのち披露目を許された一群の絵を見ていたら、ふつふつとこみあげてきた感慨があった。
ああ、この方は、命を、余すところなく使っているのだな。
なんて、すみずみまで、豊潤に、命を使っているのだろうか。
命のほうも、この人に使われて、幸せだろうな。
心臓がポンピングして、全身に血液が送られる。
指の爪の先まで、髪の毛の先端まで、その血がめぐるところを想像する。
毛細まで命をゆき渡らせて、描き、書き、生きるということ。
なんて激しく美しい生き方だろう。
激しさが、ダダ漏れている。
命の塊のような作品たちに囲まれて
私だって、できることなら、そんな人生でありたかったと思ったら
なんだか悔しくて情けなくて、アトリエでへなりと座り込んでしまった。
だいぶしばらくたってのろのろ立ち上がったときには
それでも、人生は続くのだと、半分諦めたような半分挑むような気持ちになっていた。
まだ間に合うことのほうを、やろう。
あと何年存在できるかわからないこの地球で、もっといっぱい、すみずみまで。
命をだばだばと使おうと思って、アトリエをあとにする。
半世紀、生きた。
50代に突入する。
このタイミングで、暴れ馬のような奔流を見てよかったな。
次の半世紀(?)は、もっと恥じなく、めいっぱい暴れよう。
2月25日、50歳になりました。
今日から、幻冬舎plusさんで『50代を迎え討つ!』の連載が始まります。
過去に1話だけ公開していた話ですが、今日から2週間に1回のペースで更新していきます。
よろしければ、ぜひお読みください。
母親50年目【さとゆみの今日もコレカラ/第847回】
お昼頃、母親から「40代、カウントダウン」というメッセージがきた。
いま、鹿児島にいるので、東京で息子をみてくれている。
私の誕生日は2月25日。
朝の6時8分に生まれたらしい。ずっと夕方だと思ってた。
30歳になるとき、母親に、「あなたの20代は長かったねえ」と言われた。その実感は、本当にそのとおりだったので、たしかに、と思った。やっと30歳かあ、と思ったのだ。
30代の10年は一瞬だったけれど、40代の10年は長かったように思う。
30歳になるときも、40歳になるときも、そんなに感慨はなかった。けれども、50歳はなんだか、重みを感じる。
それは、喜寿を超えた母が、いまも元気であることが原因かもしれないと思う。
なんというか、自分が50歳ということは、母親も50年、母親でいてくれたんだなあと、いまさら気づく。
自分が息子の50歳の誕生日まで生きていることをあまり想像できないので、すごいことだよなと思う。
自分でいうのもなんだけれど、私の母親であることは、結構大変だったのではないかと想像する。いろいろハラハラさせたんじゃないかなあ、とか。

朝まで添削して、ゼミやって、天下一品食べてるイブ。
このあと、エフエム鹿児島さんの「ゆみちゃんねる」でラジオ出演させていただきます!
ゆみねえこと、福元ゆみさんの番組にいってきまーす。
仲間ができる場所【さとゆみの今日もコレカラ/第846回】
土曜日は、友人が清澄白河にカフェをオープンしたというので、そのお祝いに。
昨日は京都に着陸のち、ダッシュでランチ会場に。
そして夜は、日本酒サロン「粋sui」にて、一日ママday。
12人の方がたが、入れ替わり立ち替わり、きてくださった。
お店をオープンした友人と、昨日のランチは、さとなおさんこと、佐藤尚之さんのラボのメンバーと。
一緒に旅したり、イベントに行ったり、お互いを応援したりされたり、時には仕事もしたり。
大人になってから仲良くなった人たちは、勉強会で出会った人たちが多いなと思う。

私にとっては、
上阪徹さんのブックライター塾
サンマーク出版の本気で著者になるゼミ
そして、さとなおさんのラボ
受講中は課題が大変だったし、さとなおさんのゼミは3回も落ちたし、へこたれそうになったりもしたけれど、そこでもらったプレゼントは学びだけじゃなかった。
こんなに素敵な友人たちを授けてもらったこと、本当にプライスレスだったなあと思う。
とくに、さとなおさんのラボは、期の違う卒業生同士が交流できる場がたくさんあって、そのおかげで今もいろんな人とつながりがある。
どれも10年以上前に卒業した勉強会だけれど、その前の自分は誰とどんなふうに遊んでいたんだっけと、思い出せないくらいだ。
この出会いがなかったら、いまの私は、全然違う私だったと思う。
私のライティングゼミも、もちろん原稿の書き方を頑張って学びあうのだけれど、それよりなにより、一生付き合える仲間ができたらいいなと思っている。
人生の後半戦を、一緒に過ごせる仲間と出会う場所でありますように。
今月25日は「粋sui」さんで、さとゆみ50歳のバースデーで、また一日ママします!
よろしければ、ちょいっとあそびにしてくださいねー。
よそものだけど、大好きです。【さとゆみの今日もコレカラ/第845回】
京都の人気フリーペーパー「ハンケイ500m」のオンライン版で、新連載が始まった。
連載タイトルは「よそものだけど、大好きです」 ライターさとゆみの、京都新参者日記です。
もしよかったら読んでくださいませ
ハンケイ500mの編集長、円城新子さんとは、CORECOLORの取材を通して出会った。ちょっと意味が不明なくらいのバイタリティとアイデアの持ち主で、この数年、私は彼女にとても強い影響を受けてきた。
CORECOLORのメディアを続けていることについて、新しい解釈をしてくれたのも新子ちゃんだ。
「やりたいことをするために、バイトをしてもいいよね」
と、言われ、以来わたしは迷うことなく、このメディアを続けてこられている。
「話す仕事」を増やして出稼ぎをし、それを「書くこと」の資金にしている。
さとゆみちゃん、うちで連載しない? と言ってもらい、「外の人だからこそ気づく京都の良さ」を書いてほしいと言われたとき、
「よそものだけど、大好きです」
という連載タイトルがぱーんと頭に浮かんだ。
今日も今日とて、京都に向かっております。
ちょうど、「ARTISTS’ FAIR KYOTO 2026」の真っ最中なので、のんびりアートを見る予定。
そして、日本酒サロン「粋」さんで、22日(日)と、25日(水)に1日ママします。
2月25日は、私の50歳のバースデー。もしよかったら、ふらり、遊びにきてお祝いしてくださいー。
安物買いと、業界NO.1メーカーの画期的なシステム【さとゆみの今日もコレカラ/第844回】
先日、椅子を買った。
いろんな店で何脚も何脚も座り、母親にも座ってもらい、息子にも座ってもらい、最終的にこれというものに決めた。
じゃあ、購入しようと思ったときに、ふと、ケータイでその椅子をネットで検索すると、Amazonで4分の3の値段で売っていた。しかも、配送料無料で、明日届くという。
家の近くの東京のショップよりも、Amazonの倉庫から送られてくるほうが速いのだ。
結局色違いのものをAmazonで購入した。
店舗にあった色じゃなく、別の色のほうがいいなと思って、色違いを買った。
得した気持ちよりも、なんだか、後味が悪い気持ちのほうが先だった。
こうやって、いろんな路面店が潰れていくのだろう。その余波はいつか自分にまわってくる。まわってくるのはわかっているけれど、消耗品ならいざしらず、椅子の代金の25%は大きい。
心苦しいけれど、同じ商品なら、やはり安い場所から買ってしまう。
別件。
美容業界にミルボンという業界NO.1メーカーがある。
このメーカーさんは、美容院専売品しか作らない。プロが販売すること、そしてその売上を美容院に還元することを信条にしているのだ。
そのメーカーが、コロナ禍に整えたのが通販システムだ。美容院に行かない日でも、シャンプーが買えるというので、人気だ。
画期的なのが、通販で購入されたとしても、マージンが美容院に入ることだ。たとえ客がアプリで購入したとしても、最初にミルボンのアプリを登録した美容院と、取り扱いディーラー(問屋)に売上のマージンが入る。これは、三方よしのシステムだと思う。
私が買った椅子も、最初に試着(とはいわないか。試乗、でもないよね)した店に、少しでもマージンが入ればいいのに
と、思いながら、帰ってきた。
安物買いしてごめんなさい。
そっちの方がいい人生 again【さとゆみの今日もコレカラ/第843回】
最近、とても残念なことと、死ぬほど残念なことと、ちょっと残念なことがあったのだけれど、わりと数時間とか半日とかでけろりとしてた。
こういう時に頭に浮かぶ言葉は、師匠、さとなおさんの「そっちの方がいい人生」である。
娘の中学受験の朝、ボクは彼女にこう言って送り出した。
さとなおさんのnote「そっちの方がいい人生」より
もし受かったら「そっちの方がいい人生」。もし落ちたら「そっちの方がいい人生」。
残念なことがあって、左に行きたかったこの分岐点を、やむなく右に曲がった。
だけど、いつか「ああ、右でよかったなあ」と思う日が来ることが、いまからわかっている。
50年生きてきて、一度の例外もなかった。
だから、いま不本意ながら別の道を行くことになったとしても、「そっちの方がいい人生」に決まっている。決まっていることを知っている。
これは多分、歳を取ったからこそ、ストンと腑に落ちる感覚だと思う。
最近、自分で何かを選べる局面ですら「まあ、どっちでも結局同じだからなあ」と、思う。
これは、例外なく「こっちの方がいい人生」だったから、という理由だけではない。
この歳になるともう、「選択」によって変化する人生の幅が若い時ほど大きくないことを知っているからだろう。
たとえば、私の場合、今から子供を産むことはない。
30代の頃の選択ほど、大きな変化は訪れにくい。
かくて、わりとなんでも、一晩寝るとけろりとしてる、最近であることよ。
これが老化であるなら、進化だな。
AIに書かせてたまるか【さとゆみの今日もコレカラ/第841回】
まだ人間にしか書けない文章があるとか
こういう部分は人間のほうが優っているとか
インタビューは人間にしかできないとか
ライターは食べていけるのかとか
そういう話じゃない。
早晩、AIが書く原稿で、世の中の多くは事足りるようになると思う。
ただ、私の場合、今、書いているような文章については、今後もAIに書かせることはないだろうと思う。
私にとって、書くことは「生活の手段」であるだけではなくて「一番好きなこと」だからだ。
たとえが正しいかどうかわからないけれど、
ゴルフが好きな人に、AIが代わりにやってくれますよ とか
山登りが趣味な人に、AIが代わりにやってくれますよ とか
言ったとて、みんな、そこをAIに譲らないでしょう?
そういう感じ。
インタビュー原稿を書く。
エッセイを書く。
書くと思考が動く。
自分の体に一番深くタッチできる。
書くのが楽しくて書く仕事をしているのに、AIに書かせてたまるかと思っている。
さっき、書くことは「一番好きなこと」と書いたけれど、これはちょっと正確じゃなくて、私が一番好きなのは「考えること」だ。その「考えること」を一番深くやらせてくれるのが「書くこと」なので、書くを手段に考えることをしている。
テープ起こしは、AIにさせる。
リサーチも、AIにさせる。
でもインタビューは(AIができるようになっても)させたくないし
原稿を書くのは(AIができるだろうけれど)させるはずはない
そんなに楽しいところ、誰に譲れるか。
そして、それで食べられなくなったら、私は別の仕事をして、それでも「書く」はやめないと思う。

