
「テープおこししないで書いた原稿が過去イチ褒められた」のはなぜ?【さとゆみの今日もコレカラ/第748回】
先日、ライターの友人と話をしていたら、「取材中の音声が取れていなかった」失敗談を教えてくれた。
取材が終わってそのことに気づいた彼女は真っ青になったのだけれど、記憶が新しいうちにと構成案を作り、なんとか原稿に仕上げたという。
面白いのはここからで、その原稿が編集者さんから過去イチ面白かったと褒められたということだ。
これは、わかる気がする。
テープおこしが手元にない時は、印象に残った言葉を中心に、物語をゼロから作る必要が出てくる。
つまりちゃんと自分がその話を解釈して、咀嚼できていないと書けない。
体を通った言葉しか残らないから、わかりやすくて読みやすい原稿になる。
一方、テープおこしが手元にあると、サマリー的な原稿になりやすい。もしくは元の論理展開に引っ張られやすい。
それなりにまとめることは簡単だ。でも、一度テープおこしを捨ててダイナミックに構成しないと、ただのまとめ記事になってしまう。
私は普段、テープおこしはほとんど使わない。テープおこし自体は手元に用意があるけれど、実際は録音の方を聞き直してその勢いで書く。ときどき詳細を確認するためにテープ起こしに戻ることはあるけれど、テープおこし自体を綺麗にまとめていくことはしない。
あるライターさんが、テープ起こしからキーになる単語だけをコピペして、あとは全部ゼロから書き進めると言っていた。私のやり方もそれに近いと思う。一度バラバラに解体して、再構築する感じかなあ。
誰かの話を誰かに伝えるという行為は、原文に忠実であるから良いわけじゃない(と思う)。
たとえば、友人Aさんに「この間Bちゃんがこんな話をしていてー」と伝える時、Bちゃんとの会話の音声を聞かせたりはしない。テープおこしもしないはず。だけど、私たちはその話をおもしろおかしく伝えられるし、そのことでAさんが爆笑してくれたりする。
そのときの言葉をそれこそ音声とってテープおこししたら、もとのBちゃんとの会話とは全然違う順番で違う言葉で話しているはずだ。
もちろん書き方に正解はないし、私自身もテープおこしは必ず用意する。でも、私は人に口伝するように原稿を書いている。
ねえねえ聞いて、あの人がこんなふうに言っていたよ。
そんな感じで書いているなあ、と思います。
今まで「こんなこと言っていない」とは一度も言われたことはなくて。著者さんの思考や哲学をより読者に伝わる言葉にするのがライターで、「代わりに書く人」ではないんですよね。

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