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末期状態の登山道を救う! 世界的アルピニスト花谷泰広さんが挑む「エベレストに登るよりエキサイティング」な山の保全活動

「登山界のアカデミー賞」と呼ばれる賞をご存じだろうか。まだ人類が登頂していない山を制する、または誰も登頂を成功させていないルートで登頂するなどの偉業を成し遂げた登山家に贈られる「ピオレドール賞」がそれだ。登山界で最も権威あるその賞を受賞した日本人登山家のひとりが、花谷泰広さん。
子供のころから登山に親しんできた花谷さんは、大学在学中にネパール・ヒマラヤの7035mのラトナチュリ峰に初めて登頂した。以来世界の高山に挑み、そして制してきた登山家だ。
数々の功績を残し、11年前にピオレドールの栄誉を手にした彼が、今、登山よりも夢中になっていることがあるという。それが登山道の環境保全活動なのだそうだ。

登山道の環境保全……崩れた山道をなおしたり、整備した山道を維持したりすること。花谷さんは山梨県北杜市で「北杜山守隊(ほくとやまもりたい)」を立ち上げ、チームで保全活動に取り組む。
筆者は花谷さんと交流があり、これまで登山の話をたくさんうかがってきた。百戦錬磨の登山家が、ヒマラヤ登山よりも保全活動に夢中になるとはどういうことなのか? 話を聞きに、甲斐駒ヶ岳のふもとを訪ねた。

聞き手/伊藤 ゆり子
編集/佐藤 友美(さとゆみ)

登山以上の達成感。「山道をなおす」に人生初のフルコミット

――花谷さんといえば、ピオレドール賞に輝いた世界的登山家さん。いくつものアウトドアブランドのアンバサダーを務めて、たびたびメディアに登場して、若手を率いてヒマラヤに登って、世界中、日本中を飛び回って、というイメージです。その花谷さんがここ数年、北杜市で登山道の修復に力を入れていると聞きました。大変に失礼ながら、花谷さんの華やかなイメージとギャップがある気がしてお話をうかがいたくなり、おじゃましました。

花谷:行動範囲でいえば、以前よりは間違いなく狭くなりましたね。年に一度ヒマラヤに行く以外、ほとんど市内から出ないですからね。でもマインド的には今の方がグローバルだと思っているんですよ。今取り組んでいる活動は、視野を外に広げないとできません。海外を含め、いろんな人とつながっています。そしておもしろい。今の活動は本当に楽しいし、おもしろいです。僕は今この登山道の保全活動にフルコミットしています。物事にフルコミットするなんて、人生で初めてじゃないかなあ。

――えっ、登山は? フルコミットしていなかったんですか? 登山界のアカデミー賞をとられていますよね?

花谷:だって、登山はふわっとやっていたんですよ。フルコミットという感じじゃなかった。

――ふわっと? そうなんですか? それで、今の活動は登山よりもおもしろいと?

花谷:そう、おもしろいです。

――例えばどんなことですか?

花谷:僕たちは「北杜山守隊」という団体を立ち上げて保全活動をしています。その活動のひとつに「登山道保全ワークショップ」があります。保全活動を「事業」として行っているのは、ここが最初だと思います。ボランティアを募るプログラムは各地にありますが、うちはボランティアでもアルバイトでもなく、お金を払って参加してもらっているんです。

――参加費を払って、交通費を払ってでも登山道の修復活動に参加する方がたくさんいらっしゃるのですね?

花谷:2023年は日帰りワークショップを4回、1泊2日を4回実施して、のべ75人の方が参加してくださいました。日帰りは15,000円、1泊2日は宿泊食事込みで50,000円の参加費をいただいています。それでも、これだけたくさんの方が来てくれた。皆さん、新しい視点が身についたとか、実際に携われて嬉しかったとか、役に立てたとか、前向きな感想を聞かせてくれます。

――登山道をなおす作業をみんなでやってみる、ということですよね?

花谷:1泊2日のプログラムでは、修復作業だけではなく、自然観察や座学も行います。なぜ登山道が崩れるのか、崩れないようにするために何ができるのか、みんなで学びます。2日目はいよいよ朝から山に入って作業。みっちり作業します。

これが昨年行った修復活動です。左がビフォー、右がアフター。12、3人で5時間作業した後です。崩れていたところがこんなに整います。

――これは嬉しいですね! 達成感がありそうです。

花谷:めちゃくちゃあります。ワークショップで実際に修復できる距離は5メートルから10メートルくらいです。でも、どうしようもなく削れていたところが戻るわけです。自分で手を動かして、この結果を目の当たりにすると、もう明らかに自分が山の修復に貢献したって分かるじゃないですか。この達成感は他ではなかなか得られないと思います。

――どんなことを意識して修復するのですか?

花谷:登山道の周辺に植生が戻ってくることを意識して細工するんです。道は流れる水によって崩れていきます。だから水の流れをできるだけ緩める必要がある。そのためには、水が蛇行するように木を組みます。右の写真で木を交互に組んでいるのは、水の流れを作るためです。

――えっ、人が歩きやすくするためではないんですね。歩きやすそうな階段だと思って見ていました。

花谷:たしかに道が整うと人は歩きやすくなります。でも僕らの主語は「人」ではなくて「自然」なんです。生態系を元に戻すことが活動の一番大事な目的です。崩れた状態の自然をできるだけ元に戻すことで、その周囲と同じように植生が戻ります。やっていることは自然のためです。でも結果的には歩きやすくなるんです。ひいては人のためになる。

花谷:この左の写真の道も、もともとはきちんと水が流れるように細工されていたのだと思います。周りの道を見てみると、昔施された同じような細工が残っていますから。細工が残っているところは水の通り道がコントロールされているので、崩れが少ないんです。ただ、崩れてしまったこの部分はもう2、30年手入れもなく放置されていた。おそらくどこか一部分に水が流れ込んだことがきっかけになり、どんどん道を削っていって、結局左の写真のような状態になってしまったのだと思われます。

道の真ん中は窪んでいて歩きづらいので、登山者はこの場所を通る時、端の部分を通りますよね。でもこの端の部分は、本当は植物が生えていた場所です。人が歩くことで、植物が踏まれてなくなってしまっています。そうすると今度、踏まれた部分に水が流れ込んできて、道を崩していってしまう。放置しているとどんどん水に削られていきます。

――登山者として左のビフォーの道を通っても、ここが整備が必要な道だと気付かないと思います。ちょっとハードな道だなと思うだけで通り過ぎてしまいそうです。

花谷:そうでしょうね。なかなか一般の登山者には分かりづらいと思います。でも放っておくと取り返しがつかなくなってしまいます。実際、既に末期的な状況の登山道はたくさんあります。

――末期的……登山者は末期的ということには気付いていない?

花谷:気付いている人は少ないかもしれません。だからこそ、これ以上ダメージが大きくならないうちに登山道を整えないといけないわけです。この右側の写真、修復後には、道の両側に木が積んでありますよね。木を置くことで人がここを通らなくなります。障害物を置くことで人の導線を定めるんです。こうやって自然の回復を促します。

この修復方法は、生態系の復元を目指す「近自然工法」という発想を用いています。3年前、北海道の大雪山でこの方法で登山道整備をしている方に、北杜市で近自然工法による修復の体験会を開いていただきました。僕もその時に初めて手仕事で登山道をなおす作業を体験しました。実際に話を聞いて、自分の手を動かしてやってみたら、とてもおもしろかったんです。

――どんなおもしろさなのでしょう?

花谷:ひとつは、作業そのものがクリエイティブであること。どうしたら水の流れを抑えられるのか、植生が戻ってくるのかを考えながら作業をするんです。考える要素が大きいんですよ。ものすごく頭を使う、知的なアクティビティです。

もうひとつは、目の前に成果が見えることです。一般的に、環境に対する行動って成果が分かりづらいですよね。例えばCO2削減のために何かしても、自分の行動でどれだけのCO2が削減されたのかは分かりにくい。その点、登山道の整備は成果を目の当たりにできる。崩れていた道が戻るわけですからね。実際には植生が戻るまでには何年も時間がかかるので、その場では一旦の完成です。そこから1年後、2年後、3年後と経過観察をしていくことになるものの、作業の当日に一旦完成を見られる。手触り感のある環境活動なんです。

それで、この作業は体験学習型コンテンツになるなと思ったんです。山登りのツアーのように、山の道をなおすツアーが作れると思いました。学びもあって、きちんと参加者に刺さるコンテンツになる、さらにしっかり収益化できる。そう思って、2022年に山守隊を立ち上げ、事業として始めました。

――ワークショップに参加されるのはどんな人たちですか?

花谷:今は普段から山登りをやっている人が多いですが、頻度や経験年数はいろいろです。年齢も幅広い。これに参加するために登山経験は求めません。実際、登山経験はないけれど、この活動に興味があって来てくれた親子や高校生もいました。首都圏など都市部からの参加が多いですね。北杜市は東京から日帰りもできる場所です。首都圏からアクセスしやすいのもこの事業ができている理由のひとつです。

現場が山の上の方の場合には、それなりの登山経験を求めます。作業現場までの往復ができないといけないですから。今後、トレイルランナー向けのプログラムを予定しています。現場はここから1000メートル上。彼らの体力が必要です。

――1000メートル登ってやっと現場! それは猛者たちが集まりそうですね。

花谷:はりきって力を貸してくれるランナーはたくさんいると思っています。

ボランティアだけでは山は守れない。ではどうする?

――先ほど、登山者は道の荒廃に気付きにくいというお話がありました。花谷さんはどのように認識されたのですか?

花谷:僕は2017年にこの甲斐駒ヶ岳の7合目にある山小屋の管理者になりました。初めはとにかくたくさん人が来るように、宣伝したり発信したり、JRの駅から登山口までのタクシーサービスを整備したりもしました。でも、人が増えるに従って、みるみるうちに道が悪くなっていったんです。明らかに道が荒れていって、まずいなと思っていたけれど、知識もなく、なす術もなかった。そうしているうちに、2019年に大きな台風が来て、道をボコボコに壊していきました。それで、いよいよそのままではいられなくなった。それまで山小屋に人を呼ぶことばかりを考えていて、登山道の保全に真剣に向き合ってこなかったことを大反省しましたね。

――たった2年でそんなに変わってしまったのですね。

花谷:そこから本気で保全に取り組むようになりました。自分が当事者になったので、山の状態を認識して、動かざるを得なかったんです。僕が担当するエリアでも修復が必要な部分は何百とあります。

今このワークショップに来てくれる人は、マーケティングのイノベーター理論でいうところの、「イノベーター」の人たちです。山の環境に対する感度が高くて、とにかくやってみたいと思う人たちです。それはつまり、まだ「マジョリティー」には全然到達していないということでもあります。この危機をもっと多くの人に知らせていかなきゃいけない。「今、登山道は危機に瀕しています。現状を改善するには、一部の人だけの力ではもう間に合わない。皆さんの手が必要です」と伝えていく必要があります。そして参加してもらうためには、ある程度学んでもらわなきゃいけない。だから一度このワークショップに来て学んでください。活動にはお金が必要で、それはこの活動を継続していくために技術者やスタッフにきちんとお金を払う必要があるから、という流れです。

――北杜山守隊は、「みんなで守る山の道」というビジョンを掲げていますね。

花谷:登山道の荒廃の背景には主に二つの要因があります。高齢化や過疎化による保全の担い手の減少、そして予算不足です。日本中どこでも同じです。でも登山やキャンプなどのアウトドアは変わらず人気です。このままいくと、登山道の利用は増える一方、保全はおろそかなままで、山の資源は消費されていくばかりです。今、道が壊れるスピードが圧倒的に速いので、とにかく保全のスピードを上げなければいけない。

そのためにはもう誰かに任せるのではなく、みんなでやっていかないと、とてもじゃないけど間に合いません。それを進めるには仕組みが必要です。北杜山守隊が仕組み作りの中心となって、山を守っていきたいと思っています。

――仕組みとは?

花谷:北杜山守隊は、事業収入と人材育成に力を入れて、持続可能な保全活動を実現させています。

まず財源の確保。山の環境整備は、行政からの補助金などで行うのが従来のやり方です。でも、補助金に頼っていると、国や自治体の予算次第では拠出が止まり、活動が止まってしまいます。活動を持続するためには、補助金以外の収入源を作っておかないといけない。それに加えて、補助金は使途が指定されています。保全以外の活動には補助金は利用できないのです。具体的には、山を守るための技術を持った人材の育成などには使用できません。一方、自分たちで得た収入ならお金の使いみちに柔軟性をもて、人材育成や宣伝広告にも投資できます。ワークショップだけでなく、いろいろなやり方を模索して収入源を増やそうとしています。

花谷:そして人材育成。人の育成が進めば事業が拡大できます。収入を得て人を育てる、その循環を作りたいんです。修復のための近自然工法の技術者、そして自然について解説できる人が必要です。今はワークショップを実施できるのが1チームだけなんです。人が育てば、1日に複数のチームでワークショップができて、結果、より長い距離の道を修復できる。つまり保全のスピードが上がります。

ボランティアでこういう活動をしたいという人はたくさんいます。でもみんな生活もあるから、ボランティアでは続きません。続けるためにはお金が必要です。先ほどお話ししたように、僕たちの活動は、参加者にお金を払ってもらっています。ネガティブな反応は当然ありますよ。他はボランティアでやっているのに、なんでここはお金を払わされるんだって。でも、皆さんにも保全活動の背景を知ってもらうなど、学んでもらう必要がありますし、お金がなかったら何も回らない。皆さん習い事にはお金を払いますよね? それと同じ感覚で、まずは学んでもらいたいと思っています。

――みんなのボランティア精神に頼ってやってきて、今の荒廃した状態があるわけですよね。

花谷:そうです。そしてそのやり方では、もう限界を迎えたんです。次のフェーズに進まないといけない。5年もしたらみんなで山にお金を出し合うのが当たり前になっていると思いますよ。富士登山にも入山料を支払うことが義務化されますし、そのような取り組みが日本全国で定着するでしょう。国立公園もこれからは入園料をきちんととって、それを保全に回すサイクルができるかもしれません。今はその過渡期ですね。

――山守隊のメンバーはどのような人たちなのでしょう?

花谷:会員になるためには、まずワークショップに参加してもらい、その後、より学びを深めたり関わりを持ち続けることを希望される方には、会費を払って登録してもらいます。季節にもよりますが、月に2、3回は会員だけで修復作業を行います。既にワークショップで背景を学んでいて共通言語をもっているので、作業が速いです。

――究極のファンベース型ですね。

花谷:そうです。プロセスエコノミーでもあります。道を整える過程を見て知って共感してもらい、実際に作業に携わってもらうことが事業になっています。

――ここで最初の成功モデルを作って、他の地域に展開していく想定でしょうか。

花谷:環境保全の活動はそれぞれの地域に合ったやり方しかできません。この北杜市は首都圏から近いから、人に来てもらいやすい。ある程度人口密集地から近い場所では僕らのやり方が展開できると思います。でも、北海道や東北だと同じようにはいかない。少なくとも、僕らがやっているような、週末にさくっと来て作業してもらうようなやり方は難しいですよね。だからひとつの成功事例をそのまま日本中に横展開することはできないんです。その立地条件に合わせてやり方を変える必要があります。

登山も保全活動も、「かっこいい」道を選ぶ

――花谷さんはもともと事業をしたいと思われていたのですか? お話をうかがっていると、ものすごく起業マインドをお持ちだなと感じます。世界中の山を登る登山家さんのイメージとは少し離れているような。

花谷:そんなことはないです。漠然としたアイデアだけの状態で始まって、なんだか気付いたらいろいろと。でも事業について考えるのは楽しいです。

――登山を活動のメインにされていた時は、将来についてどう考えられていたのですか?

花谷:僕は2007年にこの北杜に移住してきました。ここはクライミングにとても良い環境で、クライマーや登山ガイドの移住者が多い場所です。当時から、この環境ならもっと人を呼べるのに、その魅力が全然活かせていないな、もったいないな、とは思っていました。でもそのころは自分のことしか考えていなかったので、この場所に関する活動には関心もなく、何も行動しませんでした。

その後、2013年、37歳の時にピオレドール賞をいただきました。山岳界ではアカデミー賞と呼ばれるような最高栄誉のひとつをもらって、登山家、プレーヤーとしての結果がひとつ出ました。とても嬉しかったですし、おかげでいろんな団体、企業さんからスポンサーの契約をしていただきました。ありがたいことに、山に登るには何の不自由もない状態になったんです。これはすごいことになったと思ったのですが、実は僕は20代で既に自分のプレーヤーとしての道は見切っていたんです。登山の世界では絶対にトップに行けないと、限界を感じていました。だからその後ずっとプレーヤーでい続けることは考えませんでした。

――そんなに栄誉のある賞に選ばれて、認められているのに、ですか?

花谷:ピオレドールをとった人を何人も知っていますが、彼らは本当に生涯をクライミングや登山に捧げていて、入り込み方が全然違うんですよ。僕は幸い運動神経がめちゃくちゃ良くて、それなりに登れる。だから続けてきたけれど、そこまでぐっと入り込んではいなかった。あんまりガツガツやっていないんです。

――それでも賞をとれてしまう。

花谷:山は好きだし、これからも登り続けるんだけど、彼らはもう一段上を行っています。国内だけでなく海外に行くとそのメンタリティにフィジカルの要素が加わった人がたくさんいて、もうトップってこんなに上なのかという感じです。自分が努力して高めていっても、到底無理だと見える世界で。

――そう思ったのは、20代のいつごろですか? 

花谷:20代前半です。大学を卒業してすぐのヒマラヤ遠征で一緒に登ったシェルパがものすごく強い人で、もう、異次元。これがトップの世界かと思ったら、どうひっくり返っても自分には無理だと思いましたね。世界にはそういう人が山ほどいることを知っていたから、自分の登山を追究しても、大した結果は出せないだろうと思ったんです。

それでピオレドール受賞後、自分にできることを考えていたところで、甲斐駒ヶ岳の7合目にある「七丈小屋」の管理人さんが後継者を探しているという話を聞きました。初めは何とも思わなかったのですが、ちょうど自分の中での意識の変化と山小屋の継承の話が結び付いて、小屋を引き継ぐことにしたんです。十分に活用されていないと思っていた、この北杜の魅力ある環境を活かすには、地域と一緒に活動しないといけない。でも移住者である自分には地縁も血縁もない。でもその小屋は北杜市の公共施設なので、管理人になれば行政と一緒に活動ができる。「あ、これか」と。そうするためには会社という組織があった方が便利なので、じゃあ会社作ろうか、となりました。

だから初めに会社を作った時には、「俺、起業するぞ」みたいな気持ちはありませんでした。山小屋をやるのは目的ではないです。山、つまりこの地域の資源を活用して地域を良くしたいという漠然とした想いがあって、そのための第一歩が山小屋ということです。

――「七丈小屋」をはじめ、今、山守隊の活動、他にも2か所の山小屋運営、登山ガイド、若手育成プロジェクトと様々な活動をされていますね。若手登山家の皆さんとは、毎年1、2か月間はヒマラヤに行かれているとうかがいました。

花谷:どれも向かっている方向は一緒です。こういう活動って、ビジョンが全てですよね。ひとつの理念があって、それを成し遂げたいという想いをもつ人が集まる。僕の役割は、旗を立てることです。明確なビジョンはもっていて、具体的な方策も見えている。僕にできるのはそれをみんなに示すことくらいです。そのビジョンや方法が正しいかどうかは後にならないと分からない。でも、とりあえずこうしようと決めて言う。それだけですよ。ひとりじゃ何もできないです。山守隊に関して言えば、もう現場を動かしてくれる人たちがいて、俺はいらないんじゃないと思うような時もあります。

――世界の山を登るところから、北杜で地域の活動をするというのは、大きな変化ですね。活動の舞台を変えるのはどのような感覚なのでしょう。

花谷:行動の範囲も変わりましたし、かかわる人もこれまでとは全然違います。自然の管理は国や自治体のルールに左右される場面が多いので、行政の人や政治家とも頻繁に接します。すごくおもしろいですよ。法整備や規制緩和を働きかけるんです。このようなロビイングにおいては、基本的に「行政は寄り添うもの、政治は利用するもの」と考えています。国の仕組みを作っている官僚や自治体の職員とは、僕らの考えをすり合わせておいた方が良い。一方で、それを進めるのは政治。こちらは利用することですね。ここを間違えるとなかなか上手くいかない。この何年かでいろいろ試して、何度も失敗しています。国を動かしてルールを変え、地方に展開し、自分たちの活動に良い変化をもたらす。長い道のりです。トップダウンだけでは難しいですね。

――時にはボトムアップが難しいこともありますよね?

花谷:時間はかかるけれど、ボトムアップの方が結局は物事が確実に進むなと実感しています。もう、地道にいくしかないんです。こんな面倒なこと、やりたがる人はそんなにいないですよね。でも、そこのしんどさはあまり感じないですね。僕、めっちゃ鈍感だしね。1歩ずつ前に進むというのは、登山と似ているかもしれません。

――花谷さんは、ご自身の強さは何だと思われますか。さっき、山の世界でトップまでは行かれないとおっしゃっていましたが、ふわっとやっていても賞をとるところまでは行った。その強さ、個性は何ですか。

花谷:体が恵まれていたんでしょう。あとは、そうだな、やっぱりかっこいいことをしたいっていうのかな。

――かっこいい?

花谷:やるからには結果を出したい。それはありますね。周りを驚かせたい、かな。クライミングで言えば、そこに登頂する、そこのラインで最初に登る、です。しかも今までたくさんの人が狙ってトライしてきている所。誰も登り切れなかった場所を誰よりも先にかっさらう。それやっちゃったら、かっこいいですよね。気持ちいいじゃないですか。そう、気持ちいい、だ。

――世の中には、未踏ルートはまだたくさんありますよね。その中からここを選んでチャレンジしようというのは、何を基準に決めるんでしょう。

花谷:それもやっぱり、かっこいいから。

――なるほど! ここを制したらかっこいい、ですね。

花谷:それだけです。このラインで登れたらかっこいいよねって。それだけじゃないですかね。この保全の仕組みだって、思うように進んだら気持ちいいじゃないですか。そうそう、そういうことだと思います。

――先ほど、20代で登山家としての限界を見たというお話がありました。花谷さんは、この道は上手くいかないとか、このやり方をすれば上手くいくという道すじがふっと浮かんで見えるのでしょうか。

花谷:それはありますね、めっちゃ早いです。そうかなと思いながら取り組み始めて、途中から確信します。少なくともこの保全活動については、いけるなと確信しています。この活動はおもしろいし、世の中にとっても必要です。それでもまだ誰もゴールを見出せていない。でも、僕にはなんとなく道すじが見えています。正しいかどうかは分からないですよ。

結局、この活動も山でやっていたこととつながっているんです。山でずっと、未踏峰だ未踏ルートだっていうのに挑戦していたわけで、つまりそれは誰もやっていないことへの挑戦です。今の活動も同じ。今まで誰もやっていなかったことに挑戦しています。山で費やした時間が、今全部活きています。

基本、僕は全てにおいて楽観的で、あまり深く思い悩まず、まあやってみるかというスタンスです。先の見えないことに対しても、上手くいかなかったらどうしようとか全く考えないですね。だって何が答えか良く分からないことに取り組んでいるんだから、何をもって成功かなんて分からないじゃないですか。

そもそも登山道保全の活動は、完全に新しい取り組みというわけではないと思っています。どこかにアイデアがあって、僕はそれを組み合わせているだけです。既存知と既存知をかけ合わせているだけ。かけ合わせるアイデア同士が遠いほどおもしろい、というセオリー通りだと思っています。未踏ルートで山に登る時と同じですね。

――同じですか?

花谷:この場面ならこうすれば登れるという知恵の数が多い方が、登れる可能性が高いわけです。

自分のホームマウンテンをもつ

――私も山を楽しませてもらっている者として、何かしなければ、何かしたいと思いました。

花谷:保全ワークショップ、おもしろいと思いますよ。普段山に登っている時には分からない、新しい気付きがたくさんあると思います。

――ワークショップに参加したら、自分がなおしたその道がどうなっているか、その後何年も気になりそうですね。

花谷:先日ワークショップの最中に、その前の年に参加した人が偶然見に来たんです。「去年作業したところが気になって」と、サクラを仕込んだかのように現れた。皆さんそうやって確認に来ます。

――素敵なお話ですね。

花谷:自分が手をかけた山は気になるんです。僕はそれを「ホームマウンテン」と呼んでいます。シンプルに、この山が「自分のホーム」だと思う場所がホームマウンテン。修復などに参加した山は、自然とそうなりますよ。

ホームマウンテンがひとつあると、自然とのかかわり方が変わります。漠然と山が好きですというより、山の活動にかかわることで、その山が何よりも大事だと思える存在になる。僕にとってはこの甲斐駒ヶ岳がホームマウンテンです。実は他の山に対してはそこまでの情熱はないです。熱量が全然違います。

――花谷さんは、神戸のご出身ですよね。子供のころは六甲山が遊び場だったと。たくさん山がある中で、甲斐駒ヶ岳のどういうところが好きなのでしょうか。

花谷:かっこいいじゃないですか。

――なるほど! やっぱりかっこいいが基準なんですね。

花谷:めっちゃかっこいい山だと思いますよ。あんな山、そうそうないです。あれだけ堂々としているのはなかなかない。ほれぼれとします。そう、「かっこいい」が基準です。(了)

花谷泰広(はなたに・やすひろ)
1976年兵庫県神戸市生まれ。登山家。北杜山守隊代表理事、株式会社ファーストアッセント代表取締役。
信州大学在学中にネパール・ヒマラヤのラトナチュリ峰(7035m)に初登頂。2012年にキャシャール峰(6770m)南ピラー初登攀、翌年ピオレドール賞を受賞。2015年より若手登山家養成プロジェクト「ヒマラヤキャンプ」開始。山梨県北杜市をベースに、山岳ガイド、山小屋運営、環境保全活動など、山を中心に様々な活動を行う。
北杜山守隊ホームページ https://hokuto-yamamoritai.org

撮影/中村 彰男
執筆/伊藤 ゆり子
編集/佐藤 友美

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