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4,200円の本が人生を変えた。木工作家・福田亨さんが挑む「人間と自然の間にある美」

折り紙、お絵かき、虫とり。幼い頃、多くの人が経験してきたであろう遊びから「ものづくり」の面白さに目覚め、表現の世界で活躍する人がいる。木工作家の福田亨さんだ。国内有数の展覧会『超絶技巧、未来へ!明治工芸とそのDNA』や『ポケモン×工芸展―美とわざの大発見―』に最年少で出展。国内外問わず、いま注目を集める木工作家の一人である。
福田さんの作品はすべて、伝統工芸技法である木象嵌(もくぞうがん)で制作されている。木象嵌とは、土台となる木を模様の形にくり抜き、そこに別の木材を嵌める装飾技法だ。平面的な技法として確立されていた木象嵌を、福田さんは立体表現へと昇華させた。「立体木象嵌」を考案し、虫をメインモチーフに手がける作品からは、生命の躍動感があふれ出す。

身近にいるが注視しないと気付けない、虫。その小さな存在にスポットライトを当て、人と虫の距離感をテーマにつくる作品の数々に、筆者は魅せられた。幼い頃からものづくりに没頭し、表現の幅を広げてきた福田さんに、木工作家として歩んできた過程を聞いた。
聞き手/小林 おすし

人生を変えた、4,200円の折り紙作品集

──福田さんの木工作品を初めて拝見したのはXでした。とても立派なカブトムシだなと思って見た写真が、まさか木でできた工芸作品とは思わず、驚いた記憶があります。2021年に投稿された「水滴」も、話題になっていましたよね。

Xに投稿された「水滴」の作品。(写真提供/福田亨さん)

福田:そうですね。「水滴」のシリーズは多くの反響がありました。

──私も福田さんの作品に魅了された一人です。作品展も何度か拝見していて、先ほどの水滴に蝶が水を吸いに来るシーンを表現した「吸水」を見た時は、そこに生きた蝶がいるように感じました。作品を上から見たり、真横から見たり、近づいたり離れたりしながら拝見したのですが、どの角度から見ても、自然のワンシーンそのもので。創作活動を始めたのは何歳ぐらいからだったのですか? 

福田:木工作品をつくり始めたのは高校に入学してからですね。でも、木工の道に進む前は折り紙作家になりたいと思っていて、折り紙で自分の作品を創作していたんです。

──いつ頃ですか? 

福田:小学校の頃からでしょうか。うちはひとりっ子で、両親が共働きだったので、一人でもできる遊びといえば、折り紙か、お絵かきか、虫とり。どの遊びも楽しくて好きだったのですが、なかでも折り紙は、綺麗に折れた瞬間の気持ちよさがたまらなくて。市販の折り紙の裏に載っている折り方を見ながら、色々な作品に挑戦していましたね。

作家になりたいと思ったきっかけは、小学5年生の時に見たテレビ番組ですね。折り紙通選手権というテーマで、折り紙の日本一を決める番組を見たんです。そこには、当時日本で唯一の折り紙作家さんが出演されていて、その方の作品が本当にかっこよかったんです。

いまでも覚えているのが、2本の刀を持ったカマキリ。虫が好きだったので、一瞬で心を奪われました。番組を見終わって、インターネットでその作家さんを検索したら、作品集を出版していることがわかって。どうしてもほしかったんですが、すぐには買えませんでした。というのも、4,200円したんですよ、その本。

──金額、はっきりと覚えているんですね。

福田:小学生にとって4,200円って大金じゃないですか。とてもじゃないけれど自分のお小遣いじゃ買えなくて、親に買ってほしいとお願いするしかなくて。でも「本にそんな金額出せない」と渋られちゃったんです。それでも諦めきれなくて何度もお願いして、誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントもいらないからと頼み込んで、やっと買ってもらいました。

──それがこの本ですね。

福田:そうです。表紙の赤いドラゴンは、この作家さんの代表作なんですよ。このドラゴンがつくりたくて、本を手にしてすぐに折り紙を引っ張り出して折ってみました。でも、途中で折れなくなっちゃって。

──難しかったのですか? 

福田:違うんです。どう考えても途中からそれ以上紙を折りたためなくなったんです。おかしいと思って本を見たら、「50cm四方サイズの紙を推奨」と書いてあって。よくお店で売っている折り紙は15cm四方サイズなので、市販の折り紙ではそもそも折れない作品だったんですよ。その時に「なんだこの世界は!?」となって。そこからもう、折り紙の世界にのめり込んじゃいましたね。

──どんなふうに? 

福田:まず、超複雑系折り紙を普及している日本折紙学会に所属することにしたんです。申し込みをすると会員になれて、折り紙作品が掲載された定期マガジンが届くんですよ。

──折り紙の学会があるんですね! 

福田:それから、当時はネット掲示板が流行っていたので、僕もやってみたんです。家にあったパソコンを開いて、折り紙仲間が集まるWebサイトを見つけて、チャットや画像の投稿ができる掲示板に毎日アクセスしていましたね。

──小学生の時からネットの掲示板に? 

福田:折り紙を好きな人が作ったWebサイトがあって、チャットで交流できる場があったんです。LINEもDiscordもSkypeもない時代だったので、小学生から大学生まで、折り紙を好きな人がみんなそこに集まっていたんですよ。そこで一緒に創作活動をする仲間ができて、僕もオリジナル作品を考えるようになって。

中学に入ってからは、登校中にその日つくるものを決めて、授業中は学校の机に直接図面を描きながら、どう折るかずっと考えていました。

──机に、図面ですか? 

福田:折り紙の展開図を描いていたんです。学校の机って、鉛筆で何か描いても、よく見えないじゃないですか(笑)。自分だけが見えればいいので、授業中や休み時間に図面を描いて、ノートや教科書で隠していたんです。だから僕が使っていた教科書とノートの表紙は、鉛筆で真っ黒。授業中に配られたプリントもすぐ黒ずんで、ちょっと恥ずかしかったですね。まあ、恥ずかしさよりもつくることのほうが大事で。そういう感覚で、過ごしていました。

──机に描いた図面はずっと残しておくんですか? 

福田:いや、下校する前にノートに書き写して消していました。だいたい5〜6時間目くらいには完成するので「よし、まとまった」と思ったら書き写して、机全体に描かれた図面を消しゴムで消す。そして、家に帰ったら紙で折ってみる。それが日課でした。

──つまり、毎日違う作品を創作していたということですか? 

福田:うまくいけば、そうなりますね。でも、実際に紙で折るとうまく形にならない作品もあるので。そういうときは次の日も考えることになります。家のリビングで、一人で試行錯誤しながら折っていましたね。

──福田さんが机に図面を描いている時、クラスメイトはどんな反応だったのですか? 

福田:色々でしたね。「何しているの? すごいね」と言ってくれる人もいれば、「折り紙? ダサい。変なの」と言う人もいて。なので、学校の友達には、自分から折り紙の話をしないようにしていました。校内のイベントで「折り紙の作品を出してみない?」と誘われた時も断って、なるべく表に出ないようにしていたんです。ヤンキー気質の人が多くて荒れている学校だったので、教室では目立たないように、当たり障りなく人と付き合っていましたね。

──誰かに作品を認めてほしいとは思いませんでしたか? 

福田:ネットの折り紙仲間と作品を見せ合っていたので、学校ではとくに。マニアックで一般受けしない世界なので、同じ共通言語を持つ仲間と交流したほうが、楽しかったんですよね。家に帰って、チャットで「今日はどんな作品を考えた?」と仲間と話したり、わからないことを一緒に勉強したりして。折り紙の折り方を図面にするために、図面作成ツールのCADをインストールして、みんなで練習したこともありました。

ネットが居場所だった中学時代。ものづくりに没頭できる高校へ

──折り紙中心の生活を送っていると、進路はどんなふうに考えるんですか? 

福田:折り紙は数学的な考え方で制作するものなので、数学に強い学校に進学したら理解が深まるのかなと考えたんですが、僕、勉強が嫌いだったんですよ。地元に行きたい学校もなかったし、どうしようかなと思っていた時に、当時通っていた絵画教室の先生に教えてもらった高校があって。それが、北海道おといねっぷ美術工芸高等学校だったんです。

高校がある音威子府村は小さな村なのですが、北海道内だけでなく、全国から絵や木工を学びたい人が集まってくるところだったんですよ。僕が入学する時は倍率が2倍ぐらいありました。美術的なことが学べて、木で立体的な作品を制作できると聞き、自分のためにある学校だと思いましたね。全寮制で、地元から離れた場所にあるところも良くて、進学を決めました。

──家を離れることについて、ご両親は何と? 

福田:最初は「寂しい」「心配」とかなり言われましたね。最終的に賛成はしてくれたのですが、そこに至るまでが、なかなか。ひとりっ子だったので、小さい頃から僕のことが心配で仕方なかったみたいなんです。でも、当時の僕にはそれが少し窮屈で。

学校では目立たないように気を遣って、ネットにしか居場所がない状況だったので、どうしても環境を変えたかった。だから地元を離れる選択をしたんです。高校に進学して、親から毎日「大丈夫なの?」と連絡が来ていたんですが、だいたいは既読スルー(笑)。一度、「無視は元気な証」とだけメールを送って、それ以上は連絡しないこともありました。

──入学してからの生活はどんな感じだったのですか? 

福田:それはもう、最高でしたね。ものづくりに対してやる気のある同級生が多かったので、寮で夜な夜な制作の話をしたり、ひたすら絵を描いたりしていましたね。

福田:入学してすぐの頃は「折り紙の技術をどう鍛えるか」という発想で過ごしていました。部活は美術部に入って、授業では工芸コースを専攻して、部活と授業で得た技術を両方折り紙に活かそうと思っていたんです。

絵か木工、どちらかを極めるために入学した人が多かったので、部活と専攻コースが異なる僕は珍しがられていました。でも結局、折り紙は辞めちゃいましたね。

──何かきっかけが? 

福田:1年生のときの学校祭で、作品発表の機会があって。学年関係なく出展できたので「自分が出せるものを全部見せよう」と思って、中学時代に制作した難しい折り紙作品を長テーブル2つ分くらい持ってきて、展示したんです。そうしたら金賞をもらっちゃって。1年生が金賞をとるのは学校初だと言われてとても嬉しかったんですけれど、それがきっかけで、燃え尽きたというか。注目してもらえて、満足しちゃったんだと思います。

あとは、高校に入学して絵や木工の制作を始めたことも大きかった気がしますね。

──そっちが面白くなった? 

福田:そうですね。絵の分野でも、木工の分野でも、周りには自分の作品と向き合っている人がたくさんいて。とくに先輩の技術は本当にすごくて、作品に迷いがないし、教えてくれる姿もかっこいい。自分たちとは明らかな差がありました。だから、1年生の僕にとって、3年生の先輩は師匠のような存在だったんです。先輩たちと一緒に制作できる時間が幸せで、同時に危機感を覚えることもあって。

──危機感とは? 

福田:これはとくに絵の話になるんですけど、僕、高校入学前は絵画教室に通っていて、人より絵が上手だと思っていたんです。でも、高校に入ると全然レベルが違って。みんな上手なのは当たり前で、そのうえで、味のある絵を描くんですよ。

福田:とにかく独創的なんですよね。感情を絵で表現したり、モヤモヤした思いを色にしてみたりと、目に見えないものまで表現できる人が多くて。僕は昔から「昆虫が好きだから昆虫の絵を描こう」と考えて、モチーフありきで絵を描いていたので、感覚的に絵を描く先輩の作品が衝撃的で。ただの綺麗な絵ではなく、心に訴えるものがあって、作品として成立している。そうした作品を見ていると「結構頑張らないと自分はダメかも」という危機感と、「とてもじゃないけどこれはできない」という挫折感に似た気持ちが交差していた気がします。

「自分がいいと思ったものを突き詰めるだけでいい」。恩師の言葉が心の支えに

──先輩からのアドバイスで印象に残っていることはありますか? 

福田:よく言われたのが「いい作品をつくりたいんだったら、部活も専攻コースも一緒にしたほうがいい」というアドバイスです。僕は絵も木工も好きで、どちらも大事だと思っていたんですが、先輩たちはそうじゃなかった。1つの道を極めるために入学して、素晴らしい作品を作っている人ばかりだったので、その言葉には結構悩みました。

──絵か木工を辞めようとしたのですか? 

福田:揺らいだ時期はありましたね。木工はずっと楽しかったので、辞める気はありませんでした。でも絵は、本当に描けなくて。虫が好きだから虫の絵を描くけれど、それで伝えたいものは、とくに何もなかった。先輩のように、心に訴える作品が描けなかったんです。だったら先輩の言うとおり、1つの道に専念した方がいいのかな……と思って。それで、美術部から工芸部に部活を転部しようとしたんです。

福田:当時うちの学校には、転部をする人に対して「最初に選んだ道を貫き通せないやつだ」という雰囲気があって。転部は邪道だと考える人が少なくありませんでした。でも、このまま絵が描けない状態が続くよりも、転部したほうがマシだと思って、美術部の顧問の先生に相談しにいったんです。ちょうど寮に来ていた時に舎監室に行って、「転部したい」と伝えたんですよ。きっと引き留められるだろうなと思っていたのですが、あっさり「うん、いいんじゃない?」と言われちゃって。

──え? 引き留められなかったんですか? 

福田:そうなんですよ。理由も聞かず、「じゃあ転部届を用意しておくから。明日職員室に取りに来て」と言われて。あっけなく決まってしまったんです。僕もそれ以上何も言えなくて、「よろしくお願いします」とだけ伝えて、自分の部屋に戻るしかなくて。だけど、舎監室から出るためにドアノブを掴んだ瞬間、ガチャッと音が鳴ったんですけれど、その音と同時に先生が「でも福田は、絵の面白さを1mmも味わえてないけどね」と言ってきて。そういうやり方をしてきたんですよ(笑)。

──そういうやり方(笑)。

福田:だけど既にドアは開いているし、戻って「それ、どういう意味ですか」とは聞けなくて。「あ、はい」とだけ返事をして、その場を後にしました。内心はモヤモヤしていたんですけどね。その翌日、部活が始まる時間に先生が僕のところに来て、1枚の紙を渡してくれたんです。転部届かな? と思ったら、新聞記事の切り抜きでした。

──何が書いてあったのですか? 

福田:北海道の画家さんで、石をモチーフにしたリアルな絵を描く方のことが書かれていました。その時に先生から「カラフルな絵や、独創的な絵に憧れがあるのかもしれないけど。目の前に存在するものと向き合って、石1個にすらこれだけ情熱を注いで描けば、感動的な作品が生まれるんだ」と言われて。

福田:相談しなくても、僕がモチーフのある絵しか描けない、先輩のように感覚的な作品が制作できないと悩んでいたことに気付いていたみたいなんですよね。それから、先生が「福田は周りに影響されて、人の目を伺って、人に合わせて作品を描こうとしている。でも、自分がいいと思ったものを突き詰めて、描くだけでもいいんじゃないの」と言ってくれて。その時に初めて、そっか、と思えたんです。

それを聞いて、転部したい気持ちは、まったくなくなりました。その言葉のおかげで、3年間美術部を続けられたと思っています。

──その後はどんな絵を描いたのですか? 

福田:新聞記事に載っていた画家さんに影響を受けて、石が散乱している砂利道に、コオロギが横たわって死んでいる絵を描いたんです。タイトルは「立冬」。雪ではなく、草花がない砂利道を描くことで、冬が来る様子を表現しました。

「立冬」は50号の白いキャンバスを使って描いた作品でした。縦横1m前後あるキャンパス全体に、1cmにも満たない細かな石を描き込む作業が大変で、途中でもう描けない、無理、と諦めそうになったんですよね。大変すぎて、ごまかして描きたくもなりました。

でも、転部を引き留めてくれた先生が「福田はそこで負けないで。普通の人がもうこれ以上できないと諦める、その先にいける人なんだから。ちゃんと突き詰めて、誰も到達できない世界を描ける人なんだから。続けなさい」と言われて。その言葉のおかげで描ききれて、初めて絵で賞をもらったんですよ。それがとても自信になりましたね。

──先生の言葉が支えになった。

福田:先生の言葉は、いまも作業がしんどい時に思い返します。それはもう、呪いのように(笑)。思い返しながら、ここで負けたらダメだなと、自分を奮い立たせているんです。作家人生の基礎となる言葉をもらえたと思っています。

──先生とは、いまも連絡をとっているのですか? 

福田:実は、僕が2年生に進級する時に転勤しちゃって。先生とはそれっきり、1度も会っていないんですよ。1回だけ、僕が木工作家として生計を立てられるようになった時に先輩経由で電話したことがあります。その時は近況を伝えて、「いまも先生の言葉に助けられていますよ」と話しました。先生も「よく覚えている」と言っていましたね。僕の活動を知ってくれていたみたいで、「自分にしかわからない辛さや、自分と同じレベルになった人としか分かち合えないしんどさがきっとあると思うけれど、そういうものから生まれる作品があるから。いま悩んでも、これから悩んだとしても、大丈夫だから」と、さらっと言ってくれて。その言葉も、自分の中に残り続けていますね。

自分が好きだと思うものを作っていい。木工作家の道へ歩む

──最終的に、なぜ絵ではなく木工の道を選んだのですか? 

福田:高校生の時に、生活に使えるものをつくりたいと思ったのがきっかけですね。椅子や引き出しなど、生活するうえで必要なものを制作したほうが、物理的な豊かさが得られると思っていたんです。だから、在学中の絵はあくまでもトレーニング。メインは木工で、誰かの生活を豊かにするために制作して、将来は家具作家で生計を立てる。そう、思っていました。それがいまは、彫刻家になっちゃいましたね。

──家具職人から、なぜ彫刻家に? 

福田:実は高校を卒業してから、京都の学校で家具職人になるための勉強をして、修行のために家具工房に就職したんです。でも、いざ働いてみると、自分が思うようなものづくりができなくて。

──思うようにいかないとは? 

福田:たとえば、いい椅子をつくりたい、シンプルで美しいラインの椅子を制作したいと思っても、世の中に既にある有名な職人さんの模倣になってしまうんです。じゃあ、独創的な形にしてみようと思って挑戦するんですけど、王道から外れるほどダサくて。そうした表現がとても難しくて、悩んだ時期がありました。

──壁にぶつかった? 

福田:うまくいきませんでしたね。そんな時、金属で昆虫の作品をつくる作家さんの個展があって、見に行ったんですよ。有名な作家さんで、作品はもちろんすごかったんですけど、僕が1番感動したのは売れ残っている作品が1つもなかったこと。完売していたんですよ、全部。

それまで、好きなものをつくると自己満足で終わる気がして、人のためになる作品をつくらなきゃと思っていたんです。でもその個展に行って、好きなものを作ってもちゃんと人のためになると気付けて。売却と書かれた赤丸の数だけ、作品を手に入れたいと思う人がいて、その人の生活を豊かにしていると実感できたんです。目に見えない誰かのためにつくるのではなく、自分が好きなものを作ってもいいんだと、思えたんですよね。それから、木工で、自分なりの表現をし始めました。

──どんな作品を制作したのですか? 

福田:僕も虫が好きなので、虫をモチーフにした作品をつくろうと思ったんです。真似にならないように、「虫はモチーフとしてよくあるから大丈夫だ」「素材は木だから問題ない」と、一つ一つ確認して、制作に取り掛かりました。

初めて制作したのが蝶をモチーフにした作品だったんですが、できあがった作品を見た時に、こんな作品は今まで見たことがないな、と思ったんです。僕の作品は木象嵌技法で制作しているんですが、木象嵌って、箱やカードケースなどの表面を飾りつける、装飾技法なんですよ。木象嵌がメインで、しかも立体になっている作品は、僕自身も見たことがなくて。それで、これはいけるかもしれない、と思ったんです。そうして生まれた技法が、立体木象嵌でした。

──立体木象嵌は福田さんが考案した技法なのですね。初めて制作する作品に蝶を選んだのは、なぜですか? 

福田:虫に詳しくない人でも、蝶といえばカラフルで、足や触角が細くて、羽が薄いと想像できますよね。一方、木といえば茶色くて、細いと折れる、薄いと反ってしまうとイメージできるかと思うんです。こうした、一見相性の悪そうな要素を組み合わせて作品にすると、驚きが生まれる気がして。木の魅力も、蝶の繊細さも、伝えられると思ったんです。

難易度は高いと思いましたが、だから挑戦したといいますか。先生に、「誰もやらなさそうなことをやっていけ」みたいな言葉ももらったし。

──どうして、こんなにもリアルな作品を制作できるのですか? 

福田:それはやっぱり、モチーフを知ることですね。蝶であれば、どんなふうに飛ぶのか、そもそもどういう暮らしをしているのかを知る。知るからこそ、表現できるので。

自分の感覚で「ここを反らせたほうがかっこいいんじゃないか」「躍動感が出るんじゃないか」と思って手を加えると、嘘になる。だから、羽のうねり方や羽ばたき方、風の抵抗を受けた時の変化などを理解してから制作しています。図鑑や標本を見たり、実物を捕まえて観察したり、生息地に行って撮影したりして、モチーフの「らしさ」をインプットしていきます。

このクワガタも、制作のために飼育しているんです。ブルマイスターツヤクワガタという名前で、造形が本当にかっこよくて。ずっとつくりたいと思っていたんですが、海外のクワガタで入手することが困難で。

福田:でもやっぱり制作したくて、購入しちゃったんですよね。正面から見た大あごの伸び具合とか、横から見たあごのウェーブのラインとかがもう、美しくて、見れば見るほど面白い。実物を見ないと掴めない特徴があるので、こうして観察するようにしていますね。

──そうやって実物をもとにしているからこそのリアリティなのですね。

福田:蝶の時は国内にいる種をモチーフにしてきたので、捕まえて飼育していました。以前捕まえた蝶も、冷凍庫に保管しています。いま、冷凍庫には蝶がいっぱいいますよ。

──冷凍庫に蝶! 

福田:三角紙とよばれる紙に羽を包んで保管しているんです。あとは、標本にして保管することもありますね。制作するために、必要なので。一応、食品とは別の場所に保管しています(笑)。

自然そのものを表現したい訳じゃない。福田さんが目指す表現とは

──もともと制作の拠点にしていた北海道から、関東に移動されたのはどうしてだったんですか? 

福田:2年前に引っ越してきました。北海道は自然豊かで環境はいいんですけど、作品を運送するのが大変で。それに北海道にいると、自然をそのまま表現した作品になりそうで、危惧していたんです。

──え? 自然を表現するだけではダメなのですか? 

福田:僕が表現したいものは、自然そのものではないんです。

福田:たとえば「春を表現した作品をつくりましょう」と言われた時、自然豊かな環境にいたら、実際の桜や蝶などをイメージしながら制作すると思うんです。でも、桜が見られないくらい都会に住んでいたら、桜以外のもので春を表現するという発想が生まれる気がしていて。人工物であるフェンスがあって、フェンスの下の土やアスファルトから、新芽が出ている。それも、春の表現としてありですよね。

──桜以外でも、春を表現できる。

福田:そうです。桜だけなら「春だね」で終わっていたものが、そうした視点で表現すると、味わい深くなるんじゃないかなと思って。人の暮らしがあって、そこから生まれたモダンさや、洗練されたデザインを作品にしたいと思うんです。

──自然そのものを表現するのではなく。

福田:自然からエッセンスをもらって、新しいデザインを生み出していく。この考え方は、日本でものづくりが発展してきた過程と、通ずるものがあるんですよ。

よくある麻の葉模様は、成長が早い麻の葉をモチーフにしたもので、こどもの成長を願う縁起物として今も使われています。それから、青海波とよばれる模様には、穏やかに波打つ海のように、穏やかな日々が永く続きますようにという願いが込められているんです。自然から着想を得て、その形を生活に取り入れていく。そうした豊かなものづくりを、僕はやっていきたくて。人の暮らしがあるからこそ生まれるものづくりに、取り組みたいんです。

──福田さんの想いを感じながら作品を拝見すると、これまでとは違った感動が生まれそうです。

福田:やっぱり関東は文化の最前線なので、洗練されたデザインや感覚が学べる環境だと思っています。

虫をモチーフにしているので、ニッチなジャンルに見られたり、リアルな作品をどうつくるかという話になったりしやすいんですけれど。僕がやりたいことは、人と自然の距離感をテーマに制作することなので。人と自然が共存する過程で生まれた情景や、そこに集まる虫や生き物が美しいなと思える。その繊細な美意識を形にするために、挑戦し続けていきたいですね。(了)


撮影/深山 徳幸
執筆/小林 おすし
編集/佐藤 友美

福田 亨(ふくだ・とおる)
1994年北海道生まれ。北海道おといねっぷ美術工芸高校卒、京都伝統工芸大学校卒(木工専攻)。2015年から木象嵌技法の立体表現を開始し、国内外のグループ展の数々に出展。2023年に開催された『超絶技巧、未来へ!明治工芸とそのDNA』や『ポケモン×工芸ー美と技の大発見ー』に最年少で選出。2024年『工+藝 Tokyo Art Club 2024』にて東京美術俱楽部優秀賞と特別審査員賞を受賞し、昆虫や自然をモチーフにした木工作品が高く評価されている。2024年10月より、自身4度目となる個展が開催される。

TORU FUKUDA EXHIBITION Three Dimensional Wood Inlay
会期:2024年10月9日(水)〜10月14日(月・祝)
会場:横浜高島屋7階 美術画廊


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