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YouTubeで見かけた親子のやり取りが、私に会話のヒントをくれた。エッセイ『国際線外資系CAが伝えたい 自由へ飛び立つ翼の育て方』

私の日曜は、母とのビデオ通話からはじまる。
朝、起きてトイレに行く。窓を開けて換気する。顔を洗って、パジャマのままソファでひと息ついたら、
「おはよう。起きたよ」
と母にLINEする。3分も経たないうちに、
「おはよう。大丈夫です」
と母から返事がある。通話の準備ができた合図だ。メッセージを確認した私はLINEの通話ボタンを押す。母とのビデオ通話がスタートする。

コロナ禍でなんとなく遠出しづらくなってから、離れて暮らす母とのやり取りが増えた。はじめは事態がよくわからず、「なんだか心配だね」と不安な気持ちを共有した。地元スーパーの感染対策のようすを母から聞いたり、在宅勤務が想像できない母にどうやって家で仕事をしているか説明したりした。マスクや消毒スプレーが品薄と聞いたら、どちらか買えたほうがもう一方に送ったこともあった。

長引く自粛ムードでしばらくの間、帰省が難しいと気づいた頃、声だけじゃなく、母の顔が見たいと思うようになった。母が唯一使えるLINEにあるビデオ通話を教えて、操作を覚えてもらった。そこから毎週末、母と話すようになった。

それまで、母との長電話はほとんどなかった。たまにLINEして、用事があって電話しても、せいぜい15分くらい。仲が悪いわけではないけれど、何でも話す友達のような母娘とも違う。

毎週末のビデオ通話はこれまでの最長記録を簡単に破った。毎回40分ぐらい話す。長いときは1時間を超える。父親が使った水筒をすぐにカバンから出さずに毎回イラっとする話、母が友達とランチで行ったお店が美味しかった話、久しぶりに母がコメダ珈琲へひとりで行って、緊張しながらウインナーコーヒーを注文した話。会話のキャッチボールというより、母の一週間のエピソードをひたすら聞く。実家に帰ったときと似ている。台所でお皿を洗いながら、リビングでテレビを見ながら、母のおしゃべりを聞いていたあの頃と。

母のほうには聞いて欲しい話がたくさんある。愚痴や不満も多い。話をただ聞いてもらい、なんなら寄り添って欲しいと思っているようだ。私は話を聞くのは好きだけど、悩みがあれば解決してあげたいタイプだ。だから二人で話していると、しょっちゅうぶつかる。

「あ、また解決策を提案してしまった」と思ったときはたいてい遅い。

「困ったね、お父さんの水筒、すぐに洗っておきたいよね」と言えばよいところを「水筒の代わりにペットボトルにしたら、洗う手間が省けない?」と返す私。

「そういうことじゃない」と母は語気を強める。私の提案が母には反論しているように聞こえるのかもしれない。

ビデオ通話が楽しく終わる日曜日もあれば、母の話に1ミリも共感できない日もある。そういうときは、モヤっとした気持ちが残る。

コロナ禍にできた習慣がもう一つある。

それはカナダに住む日本人YouTuber「Ryucrew(リュークルー)」さんの動画を見ること。バンクーバー在住のリュークルーさんは外資系航空会社で働く現役の男性キャビンアテンダント(CA)だ。彼はコロナ渦で会社を一時解雇されて仕事がゼロになり、ぽっかり空いた時間でYouTubeをはじめた。バンクーバーの街歩きから始まった動画配信は、CA復帰後に世界各地を飛び回るようすが紹介されるようになり、客室乗務員を目指す就活生や旅好きな視聴者の心をつかんだ。2024年9月現在、チャンネル登録者数は27万人を超える。

大阪出身のリュークルーさんの動画は、9割が関西弁で埋め尽くされる。海外の街を歩きながら目に入ったものすべてを関西弁でナレーションする。現地ガイドさんの説明はコテコテの関西弁に翻訳される。ペットの柴犬や砂漠のラクダも関西弁のアフレコで擬人化される。動画の最初から最後までひとりでボケて、ひとりでつっこむ。

ハワイのビーチもロンドンのおしゃれなカフェも、「なんでやねん」「そない言いましても」と明るくテンポのよい独り語りで紹介されると、親近感が湧く。知らない街が楽しそうに思えてくる。

海外に行きたくてうずうずしていた数年間、リュークルーさんの飾らない、ユーモアあふれる配信が私の楽しみになった。

今年3月、リュークルーさんの初エッセイが出版された。

エッセイでは、外資系航空会社で働き出した頃に環境の変化に戸惑った過去、新しい人間関係に馴染めずストレスを抱えたこと、ネガティブな思考に陥ってしまった経験も綴られている。

リュークルーさんは新人時代に、ベテランのCAさんに仕事ぶりを細かく指摘されて、すっかり自信を無くしてしまったそうだ。ベテランCAさんの理不尽な言動に言い返せず悔しい思いもしたという。そんな経験を振り返るとき、彼はそのできごとに「立ち向かった」とか「乗り越えようとした」などとは言わない。苦手な相手と距離を取る、波風を立てずにその場の雰囲気に流される、日本人同士で愚痴を言い合ってストレスを発散する。その場の状況を見て、うまくやり過ごすようにしてきたそうだ。それは、人混みで体の向きを少しずつ変えながら、ぶつからないように歩くのと似ている。

あのとき自分の意見をはっきり言えればよかったのに、どうして相手はあんな態度をとるのだろうと、私も気になったことをいつまでも引きずることがある。すぐに気持ちを切り替えられたら楽だなと思う。リュークルーさんも消化不良の思いを抱えながら、自分が傷つかないコミュニケーション術、気持ちの発散方法を見つけ出そうとしている。そのようすが、本の帯にある「今日も地球のどこかでモヤモヤ乱気流を乗りこなしています」というキャッチコピーと重なる。

リュークルーさんの動画にはときどき、大阪で暮らす家族が登場する。彼はお母さんのことをオカンと呼ぶ。オカンとのLINEメッセージがちらっと映ったり、一時帰国でオカンと親戚のおばちゃんと国内旅行を楽しむ動画が配信されたりする。

マシンガントークでしゃべり続けるリュークルーさんだが、家族との会話からは「おつかれさま」「ありがとう」の言葉がたくさん聞こえてくる。仕事から帰宅したオカンを労う。母の日のプレゼントを真剣に悩む。母子家庭で育ったから母親への感謝の念が強いというリュークルーさんだが、気持ちを素直に行動に移せる姿が素敵だ。

エッセイにもオカンは登場する。留学時代にオカンが出してくれた留学費用を大切に使おうと、ドケチ生活を送っていたリュークルーさん。外食は食べたいものではなく、一番お金がかからないものを探していたという。その結果、カフェで一番安いドリンクを頼んだら苦手なエスプレッソショットが出てきたり、レストランで一番安いメニューを選んだら少なすぎる前菜だったりした。クスっと笑えるエピソードの中に家族への気遣いが垣間見えてほっこりした気持ちになる。

彼の動画で、一つ気づいたことがある。親子の会話のバランスだ。年末年始を実家で一緒に過ごした動画では、リュークルーさんはいつものように切れ目なくしゃべり倒していた。隣にいるオカンはほとんどしゃべらず、「ふぅーん」「そやなぁ」「知らんけど」とあいづちを打つ程度。ちゃんと聞いているのかさえ怪しい。それでもリュークルーさんは気持ちよさそうにしゃべっていた。そのようすを見て私は、「ひょっとして私もこのぐらいの反応でいいんじゃない? 今まで母に対して何か言わなきゃと力が入り過ぎていたのかもしれない」と感じた。

リュークルーさんはエッセイで自分のことを「ぽっと出の一般人YouTuber」と書いている。無名の客室乗務員がYouTubeをはじめたら、徐々に視聴者が増えた。たくさんの人に見てもらえるようになり、数年後に本が出版されるまでになったという。発売前に重版がかかるほど、彼の本を楽しみにしているファンは多い。明るく活気あふれる旅の動画に私も惹きつけられるが、身近な人を大切にする彼の言動に心が温かくなる瞬間もある。そしてオカンのあいづちの頻度、声のトーン、間(ま)は、私にとってちょうどよいロールプレイの教材のようだ。曲の歌詞やドラマのセリフにハッとさせられたり、胸を打たれたりすることがあるように、リュークルーさんの動画を見て、親子のリアルな会話が目に留まった。おしゃべりな私の母もリュークルーさんのように好きなだけしゃべれたら気持ちいいだろう。オカンのあいづちを私も真似してみようと思った。

今年の夏、5年ぶりの海外旅行で私は北米を訪れた。カナダにも行った。バンクーバー国際空港に飛行機が着陸し、機内を出ると、そこには見覚えのある緑色のカーペットが広がっていた。リュークルーさんの配信で見かける空港の景色だ。

空港でリュークルーさんがよく立ち寄るフレッシュジュース屋さんを見つけた。注文の列に彼が並んでいないかと、つい探してしまう。仕事に向かうために空港を歩いていないか、辺りをきょろきょろ見回した。CAとして各地を飛び回っているのだから、簡単に会えるはずがない。けれど、旅をしていたら偶然どこかで会えるかもしれないと思うと、気持ちが弾む。ミーハーな私の旅の楽しみがひとつ増えた。

文/畑 明恵

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