(特別編)連載『絵で食べていきたい!』が書籍化できたわけ【絵で食べていきたい/第25回】
2022年11月から更新してきたこの連載が、今年の12月11日に書籍『絵で食べていきたい! -センスと才能に頼らないイラストレーターの生き残り術』(弘文堂刊)として出版されました。今回は書籍化記念の特別編として、連載から書籍化までのストーリーをお話したいと思います。書籍が出せた理由や、書籍化の間にどのような問題を乗り越えたかをお伝えして、本を出したいと思っているかたがたのお役に立てたら嬉しいです。
連載『絵で食べていきたい!』について
この連載のもとになったのは、私が受講したライター・コラムニストの佐藤友美(以下さとゆみ)さんが主宰する、ビジネスライティングゼミ2期の最終課題です。ゼミ生は書籍の企画を各自1本作り、最終日に発表します。つまり、もともと『絵で食べていきたい!』は、書籍化をめざした企画でした。メインタイトルもこのときから変わっていません。
私たち2期生の卒業後、ウェブメディア『CORECOLOR』が立ち上がりました。そこでさとゆみさんから、企画を連載してみないかと声をかけてもらったのです。連載を1年ほど続けたころ、読んでくれていた編集者さんから書籍化のオファーをいただきました。オファーからほぼ2年後、連載開始からは3年後に書籍が出版されました。
私はこれまでにコミックエッセイやぬりえなど、3冊の書籍(単著)出版の経験があります。しかし今回の書籍化は、イラストやマンガが主体ではなくすべて文章で、それまでとは違う道のりや難しさがありました。
最終課題の企画書作成から書籍の出版まで、書籍が出せた理由や問題を乗り越えた方法を考えると7つありました。
1:ゼミの書籍化第1号になるという目標があった
2:ベンチマーク書籍を正しく設定できた
3:説得力のある企画書が作れた
4:過去のつながりを活かすことができた
5:経験を積んで環境をプラスに受け止められた
6:「著者であること」を引き受けた
7:ゴール設定を「本が出ること」にしなかった
以下、一つずつ説明していきます。
1:ゼミの書籍化第1号になるという目標があった
実は当初、ゼミを受講した理由は、本を出すことではありませんでした。何かイベントをするときに魅力のある告知文を書けるように、自分のポートフォリオのプロフィールをもっと魅力的に書けるようになりたいと思ったのです。
でも、受講しているうち、ふいに「この最終課題で実際に書籍を出したい。ライティングゼミからの書籍化第1号になりたい」と思いました。それが私にとってもゼミにとってもいいことだと感じたのです。唐突ですが、何年かに一度、こういう「これをやるべきだ、やりたい」という強い気持ちが湧いてくることがあります。
会社をやめたあとに「これからは絵の仕事で食べていく」と決めたときも同じです。もちろんこれまでに立てた目標がつねに達成できたわけではありません。でも、立てていない目標が叶ったことも全くありません。精神論のようですが、心からやるぞと思える目標でなければ、くじける理由はいくらでもあるので、必ず成し遂げるという気持ちは大事なことだと思います。
2:ベンチマーク書籍を正しく設定できた
私はゼロから何かを考えるのが苦手です。その代わり、お手本を見つけて真似をするのは得意です(運動以外は)。課題で書籍企画を出されたときも、どうにも考えがまとまらなかったのですが、さとゆみさんの『書く仕事がしたい』を見て、ふと「これのイラストレーター版なら書けるのではないか」と思いつきました。そこからは早かったです。
これは発想法などでもよく使われる、「Aについての企画をBに置き換えたらどうか」という考え方ですが、うまくはまるととても効果的です。
特にイメージしやすかったのは、『書く仕事がしたい』はライティングの本でありながら「書く力以外のこと」を多く扱っていたからです。もし私が「イラストレーターになりたい人のために、絵の描きかたの本を書こう」と考えたら、「もっと絵のうまい人がたくさんいるのにおこがましい」と、勇気が出なかったでしょう。でも、仕事の獲得法や自分の強みの見つけ方などは、伝えられると以前から思っていました。なぜなら、一度他の仕事を経験したことで、絵の仕事をするにも「絵の力以外の部分」が大きいことに気付いたからです。実際にやってみた絵の力以外での工夫を他の人に教えると喜ばれました。この経験を書くことならできそうだ、と心理的ハードルが下がると、俄然頭が働きはじめます。
3:説得力のある企画書が作れた
これまで何冊か本を出して学んだことに「企画書の説得力」の大切さがあります。なぜこの企画は本にする価値があるのか、なぜこの著者が書く必要があるのか。それらへの説得力が企画書には必要なことも、ゼミで教えてもらいました。その上で、実体験で得てきたカンもとても助けになりました。
たとえば、何年も続けたレシピブログをまとめた本を出したかったとき。最初は「著名な料理研究家でないと難しい」と断られました。次に出すときには、レシピコンテスト入賞の実績や、つくれぽ(レシピサイトのレビューの数)〇〇件の人気レシピ、といった情報をわかりやすく加えました。そこから前向きに検討してもらえて、さらにコミックエッセイ化することで本になったのです。
私がゼミの卒業課題として出した企画に対しても、講評で「実際に何社のイラストの仕事を受けたか、媒体やクライアントの数などもあるといいかも」とアドバイスを受けました。苦手な作業ですが、過去の記録をひっくりかえしてすべて数え、数字を加えました。
こうしてできた企画書を、書籍化をオファーしてくれた編集者さんに送りました。もちろん編集者さんの熱意あってのことですが、企画書にはそのまま手を加えずに、企画会議を通すことができたそうです。
4:過去のつながりを活かすことができた
書籍化オファーを下さったのは、過去に書籍のイラストを依頼してくれた編集者さんでした。そのかたは、そのときはじめてイラストレーターと仕事をしたそうです。書籍化の申し出をいただいたメールには、「はじめてイラストを依頼したのに全く困ることがなかった。今思うと、色々気を遣ってもらったと思う。そんな白ふくろう舎さんはこの本を書くのにふさわしい」と書かれていました。
でも、その人がたまたま連載を目にしてくれたわけではありません。連載が開始したときに、これまでお取引のあるかたにニュースレターを送っていました。その年の終わりにはサイトで一番のPVをとったと教えてもらったので、それもニュースとして再度送りました。書籍化したいと連絡をもらったのは、この2度目のニュースレターを送ったあとです。
5:経験を積んで環境をプラスに受け止められた
ゼミの卒業課題をそのまま出版社に持ち込む方法もあったと思います。でもその前に、「まずウェブで連載をしてみたら」と声をかけてくれたのは、さとゆみさんです。そのときにこう言われました。「先に無料公開したものを書籍にするリスクはある。嫌がる編集者さんもいるかもしれない。でも、月イチで、3000字くらいの文章を強制的にアップするのは、書籍を前提にすると悪くないと思う」
これがはじめての書籍だったら、リスクという言葉に悩んだかもしれません。あるいは自分でブログや個人誌を好きなように書いていたころなら、自分は長文を書きなれているから大丈夫、と連載せずにそのまま持ち込もうと思ったかもしれません。
でもゼミでライティングを学び、仕事になる文章について取り組んでみると、いきなり書籍1冊分の原稿を書き上げるのは無謀だと感じました。それに知らない媒体ではなく、いうなればホームのような場所で連載でき、さらに原稿のチェックもしてもらえるのです。それがどれだけありがたいことかわかるので、迷わず2つ返事で引き受けました。
結果として、ウェブで先に連載したのは大正解でした。すぐに反応がわかり、しかもライティングゼミやイラストレーターの仲間が応援コメントをくれるので、執筆のモチベーションがあがり、のびのびと書くことができたからです。書籍化の作業に時間がかかり、書籍用にと書いた原稿がどんどんウェブに公開されてしまったとき、心配して編集者さんに相談したこともあります。でも編集者さんはウェブメディアと書籍は全く別物と考えているから、気にしなくてよいと言ってくれました。もちろん考え方は編集者さんや版元さんによって違いますが、今回は何の問題もありませんでした。
6:「著者であること」を引き受けた
何を言っているのだ、と思われるかもしれませんが、今回の書籍化で一番キモだったと感じているのはこれです。これまでの本は、どちらかというと、私が材料を用意して、編集者さんがそれをうまく取りまとめ、気が付いたら本になっていた! という感じでした。もちろん材料を揃える苦労はありましたが、最終的な設計図や仕上がりのイメージは、私ではなく編集者さんの頭の中にあったのです。
今回も、大きな構成や目次作り、スケジュール管理など、もちろん編集者さんにやっていただくことばかりでしたが、「どこまででよしとするか」という決定の部分は極力こちらの意志を尊重してもらいました。それは私にとって理想的でしたが、一方でいつも「誰かのOKが出たら仕事が完了する」というやり方をしていたので、「決断する」ことがとても難しいと気付きました。
連載の原稿だけでは本にならないので、毎週2本、連載と別に書籍用の原稿も書いていました。最終的には書いた原稿を取捨選択し、文章も重複や長すぎる部分を大きく削る必要がありました。ページ数には上限があるので、本に入れない原稿も多くなります。一方、足りない部分は新たに書かなくてはなりません。
ある程度の原稿を絞り込んでからも、私が「ここまで」と決められずぐずぐずしていたため、ひとまず実際のレイアウトに原稿を流し込むことになりました。そのほうがイメージしやすいという配慮だったと思います。すると今度は、一度レイアウトが組まれた原稿をどこまで直していいのかわからなくなりました。自分がいつも修正に対してネガティブな気持ちがあるので、人にそれをするのが心理的にとても負担だったのです。
これで思い出すのは会社員時代のことです。新人のときに企画をまかされて怖いもの知らずで突き進み、周りに迷惑をかけながらも最終的には製品ができました。
翌年以降はもっとうまく企画を立ててまわせるはず。そう思いましたが、経験を積んで、各部署の事情がわかってくると、無茶だとわかる要求をしにくくなりました。これを言ったら嫌な顔をされるだろうな、誰かが残業するだろうな。そう思うと、「無理なくできる範囲で作れそうなものを作る」という発想になっていきました。わかりやすく言うと、「誰にも怒られないように仕事をしたい」という気持ちになっていたのです。
自分の判断を他者にゆだねがちな気質の上に、クライアントワークに慣れたこともあり、著者として決定しなくてはいけない部分から無意識に逃げていました。そのうち予定のスケジュールがどんどん押してきました。しかも自分ではそのことに無自覚だったので、気が付いたらなぜか作業が進んでいない上に時間がないという状況になっていたのです。
この状況を別の言い方にすると「それ(著者)が自分の仕事だと認識していなかった」ということです。家事を全然しない人が、冷蔵庫を開けても欲しいものを見つけられないのも「冷蔵庫は自分の管轄外で、誰かが見つけてくれるはず」という気持ちがどこかにあるからでしょう。
結果として私は優しい編集者さんを怒らせてしまったのですが、その原因に自分が気付くのに丸1日かかりました。長々とこの部分を説明したのはそのためですが、逆に初めから「著者とは何か」がわかっている人にはこの感覚が全くないかもしれません。
7:ゴール設定を「本が出ること」にしなかった
書籍化のゴールは本が出ることではない。こう書いたらなんで? と思うでしょうか。過去に本を出したとき、私のゴールは確実にここ、つまり出版でした。そのために、本が発売されたときにはまるで燃え尽きたように感じました。
でも、本を出した人ならわかると思いますが、本は出版されてからがスタートといっても過言ではありません。著者は本を作るだけ、あとは誰かが売ってくれる、あるいは勝手に売れて世界が変わるというのは、ほぼ幻想です。
今回の私の目的は「ゼミの書籍化第1号となる」ですが、そこには「その本が売れることで次の人にも道を開きたい」という気持ちも含まれています。正直なところ、自分1人の本だと思うとなかなか売ることまでは頑張れません。もちろん版元さんに利益を出したい、多くの人に読んで欲しいと思いますが、本を売るのはそう簡単ではないので、「この本が売れたら幸せになる人」は1人でも多くイメージできたほうがいいのです。
とはいえ、私はまだまだ努力が足りません。知り合いに直接メッセージを送るのもいちいち考え込んでしまいます。その分、こういうときに応援してもらえるように、誰かが何かに挑戦するときには協力して、自分のいる場に貢献しようと心がけてはいます。応援してください、と胸を張っていう覚悟も必要だと痛感します。
本が出したい、と思う人へ
本を出すこと、特に紙の書籍を商業出版で出すことは、年々難しくなっていると感じます。よほど売れない限り、他の仕事のほうが効率よく稼げます。一夜にして世界も変わりません。それでも自分が本の世界にいたいと思うのは、自分の構成要素の大きな部分を本が占めていて、本が好きだからだと思います。私自身がたくさんの本から新しい考え方や自分にない感性、悩みごとへのヒント、そしてワクワクする喜びを受け取ってきました。
本は、書き手と読み手にとても個人的な空間を共有させてくれます。つねに手元におくことができ、ふと開いたページの言葉に、前とは違う気付きを得て驚くこともあります。本という媒体を通じて、読んでくれた人の数だけ、書き手も知らなかった世界が広がるのです。
そして、この本を開いてもらえれば、自分がどこにいても、ときには悩みに寄り添い、ときには背中を押して励ますことができるのではないか。そんな風に思えることが何より幸せです。
文/白ふくろう舎
【こちらもお知らせ】
1月6日に出版記念イベントとして、青山ブックセンターさんで、人気イラストレーターのサタケシュンスケさんとの対談を予定しています。
『CORECOLOR』は2周年記念のクラウドファンディングに挑戦しています。予想以上にたくさんの応援購入や温かいメッセージをいただき、一同感激しています。本日が最終日になります。最後まで応援していただけますよう、宜しくお願いいたします。