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ちゃんめい

私は今年どれだけ「NO」と言えただろうか『彼女はNOの翼を持っている』【連載・あちらのお客さまからマンガです/第21回】

「行きつけの飲み屋でマンガを熱読し、声をかけてきた人にはもれなく激アツでマンガを勧めてしまう」という、ちゃんめい。そんなちゃんめいが、今一番読んでほしい! と激推しするマンガをお届け。今回は、今年1年を振り返ってみて、決して忘れられない大きな出来事と、その時に大きな支えになったというツルリンゴスター先生の『彼女はNOの翼を持っている』について語ります。

私は今年どれだけ「NO」と言えただろう。世の中に蔓延る自分が許せないものに。あるいはそれを助長してしまうような、日常に滞る歪なものたちに。

人生で初めて経験した「一度引き受けた仕事を断る」

「2024年、特に思い出に残っていることは?」と聞かれたら。この1年の間に取材させていただいたマンガ家さん、編集者さん、声優さん……たくさんの方々のお顔が脳裏をよぎる。

とてつもない喜びと確かな緊張感を胸に挑んだ数々の取材。あの一瞬を思い出すたびに、また来年も一つ一つの取材に誠心誠意挑もうと背筋が伸びる。けれど、今年はそれ以上に、どうしても忘れたくない、私にとっては大きな出来事があった。

今年、私は人生で初めて「一度引き受けた仕事を断る」という経験をした。

引き受けた時は心から共感する仕事内容だった。断る理由は一切なかった。そのまま何も気付かなければ、見ようとしなければ、最後まで仕事を完遂していたと思う。

この記事でその仕事内容や相手のことを糾弾したいわけではないので、かなりぼかして書くけれど。この仕事を自分の名前で受けてしまうということは、私にとっては賛同しがたい性差別や暴力的なもの……そういったものに無自覚に加担してしまうのではないかと。仕事を進め、深く調べていくうちにそう思い至ったのだ。

でも、私が一番悩んだのはその後だった。え、仕事を断るって……そりゃないだろうと。私だけじゃなく複数人が関わっていて、前もってスケジュールだって押さえている。そんななかで「NO」と言えるわけがない。というか、ここで「NO」と言ったら二度と仕事が来なくなってしまうんじゃないだろうかと。本当に情けないけれど、半分は自分の保身のために悩んだ。

それは「NO」を大切にする物語『彼女はNOの翼を持っている』

――世の中には「ライターの営業方法」や「受注率を上げるには」など、「YES」の情報は溢れているのに「NO」を言うための方法はどこにもない。この記事を書くにあたって、当時の日記を見返していたら弱々しい筆圧でそう書かれていた。

狭い業界ゆえになんとなく誰かに相談することもできず、ネットにも突き放され、1人でぐるぐると思い悩んでいたあの夜。そんな私の隣で唯一、一緒に思考してくれた灯火のような作品がある。それが、ツルリンゴスター先生の『彼女はNOの翼を持っている』だ。

主人公は高校生1年生の佐久田つばさ。彼女の周りには、友達から嫌われたくない、空気を壊したくないという想いから、無きものにされそうな「NO」で溢れている。例えば、「生理痛がきついけどこれくらいなら我慢すべき」「周りがメイクをし始めたから私も」「男友達の下ネタがエグすぎてついていけないけど我慢してやりすごそう」など。本作は、そんな「NO」と言えない人たちの想いや関係性のもつれをつばさが少しずつほぐしていく物語だ。

ちなみに、つばさも同じ高校生なのになぜそんなことができるのか? というと、彼女の両親が「NO」を大切にする人たちだから。親族の集まりで当然のようにお酌を強制された時、それをただ受け入れるのではなく、自分の考えを伝えた上で断るつばさの母。そして「周りと比べるのも大事だけれど、同時に自分で選ぶという練習もした方が良い」と、娘のYES・NOを尊重する父。このご両親のもと育ったつばさは、「NO」を言うことはもちろん、「NO」を受け入れることを幼い頃からたくさん経験してきているのだ。

だからこそ、本作はつばさが一方的に正しさや「NO」を突きつけるのではなく、なぜ嫌なのか? どうすれば良いのか? ……と、時には大人や友達の力を借りながら一緒に「NO」と向き合い思考していく物語となっている。

基本的には、高校生の男女を巡る、性的同意・バイアスが主題のお話なので、冒頭から長々とお話した私の仕事とは直接的には関係がないかもしれない。でも、本作を読んで私は「NO」の本当の意味を知り、相手に「NO」を示す勇気をもらったのだ。

「NO」に蓋をすることは自分を手放すこと

「NO」と表明するのは本当に大変なことだ。だってその分、波風が立つし自分の場所を失うかもしれない。正直怖い。けれど、そもそも「NO」とは誰かを否定したり、傷つけるのではなく、自分を知ってもらう、あるいは相手を知るための言葉なのだ。自分のなかに芽生えた違和感を誤魔化して「NO」に蓋をすることは、“自分”を手放してしまうことと同じ。その方がずっと、ずっと怖いことなのだと気付かされた。

自分の思いに蓋をしてこのまま仕事を受けてしまおうか、それか、それらしい理由をつけてやんわりと断ろうか……。そんな色々な迷いが脳内を駆け巡ったが、結局私は仕事相手に今自分が思っていること全てを伝えた。つまり、「NO」を送ったのだ。

いかなる理由があろうと、一度は了承した仕事を途中でキャンセルしてしまった。それは当然社会人として信用を失う行為なのだから、どんな返信が来ようと受け入れることは覚悟していた。けれど、仕事相手からは想像だにしなかった返信がきた。

それは、私を叱責するでもなく、単なる「ご事情察します」のような定型文でもなく、私の考えや思い、その全てに十分に思いを巡らせた文章だった。仕事を一方的に断り迷惑をかけた立場で「嬉しくなった」と言うのも本当におかしな話だけれど、自分が放った「NO」が相手に真っ直ぐと伝わり、受け入れてもらったこと。決して一方通行ではない、本当の意味での「NO」を体験した気がして胸が熱くなった。

最終的にそのお仕事からは身を引くこととなったが、その担当の方とは、今でも交流がある。むしろ、私が大切にしているものや、「NO」と突きつけているものを知ってくださっているからこそ、互いに意思や想いが合致した仕事をご一緒できているように思う。

これからもきっと私は折に触れてこの出来事を思い出すことだろう。そしてこの時期が巡るたびに自分に問いたい、私は今年どれだけ「NO」と言えたのかと。

文/ちゃんめい

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