
何者でなくとも人生は続く、編み直せる『起承転転』【連載・あちらのお客さまからマンガです/第30回】
「行きつけの飲み屋でマンガを熱読し、声をかけてきた人にはもれなく激アツでマンガを勧めてしまう」という、ちゃんめい。そんなちゃんめいが、今一番読んでほしい! と激推しするマンガをお届け。今回は、単行本の帯を目にした瞬間、「自分の未来が描かれているのでは……?」と衝撃を受け、思わずページをめくる手が止まらなかった、雁須磨子先生の『起承転転』について語ります。
誰かの母にもならず
誰かの妻にもならず
娘のまま50才になった。
これは、雁須磨子先生の『起承転転』第1巻の帯に添えられている言葉なのだが、本作を初めて手に取ったとき、とんでもなく胸の奥がざわついた。なぜなら、このまま生きていけば、私もきっとこの帯通りの人生になるからだ。
といっても、この言葉を目にして、悲観したり、強い焦りに駆られたりしたわけではない。どちらかといえば、妙なときめきに近い感覚に包まれた。自分の未来が、ここに先回りしてそっと置かれているのだとしたら。それならちょっと覗き見してみようか……そんな不思議な嬉しさがあった。
『起承転転』の主人公は、18歳で上京し、32年間売れない役者として東京で過ごしたのち、50歳で故郷・福岡へ戻る女性・葉子。仕事はもちろん、十分な貯蓄もない。体力も、気力も衰えている。「50歳・無職」という現実を否応なく目の前に突きつけられるような人物像である。
福岡へUターンした後、どうにか住まいを見つけた葉子は、スキマバイトを始め、大家の息子やその友達の女子高生、仕事先で出会う人たちと遠からず近づきすぎず、関係を結んでいく。何かを成し遂げるわけでも、劇的な転機が訪れるわけでもない。ただ、彼女の人生は、そして生活は、続いていく。
50代、無職、何者でもない主人公
ここ数年、人生の中盤以降に光をあてたマンガが増えたように思う。30代、40代……それぞれの作品の主人公たちに魅力はあるが、なかでも『起承転転』が際立って心に響いたのは、50代に到達した主人公・葉子が徹底して「何者でもない」ことだ。
漫画なのだから、実は天才的な才能を秘めていてもいいし、日常のなかにささやかなきらめきを見出す主人公的資質があってもいい。けれど葉子はそうではない。前述の通り、わかりやすいキャリアも貯金もない。頼れるパートナーもいない。もっといえば、近年の物語で描かれることの多い、絶対的な親友や、気高い女性同士の連帯も、今のところ描かれない。
けれど、そうした幾重にも重なる「ない」は、私にとってすごく魅力的に映った。なぜなら「ない」だらけの主人公が物語の中心に据えられていることで、「何者でもない」ことそのものが静かに肯定されているように感じたからだ。
そしてその感覚は、独身で、健康体で、葉子よりもまだ若く、自分の時間を比較的自由に使える立場にある私の心に深く沁みた。頑張れて当たり前、結果を出せて当たり前。なんなら、自由な時間があるのだからもっとできるはず……。別に何者かになりたいわけではないのに、今の自分の立場に囚われ「もっといける」と無意識に今よりまた一つ上の何者かを追い求め、鼻息荒く奮闘してしまいがちな私にとって、この静かな肯定は思いのほか大きかったのだ。
身も心も転々と転がっていく
とはいえ、葉子の物語はお世辞にも彩り豊かとは言えないし、正直憧れるかといったら微妙なところ。それでも作中に漂う空気が悲壮感に飲み込まれていかないのが本作の大きな魅力だ。それは、彼女が「ない」だらけである一方、タイトルにもある通り意外なほど「転々」としているからではないだろうか。
東京から地元・福岡へ戻り、実家に戻るかと思いきや、あえて実家の近くに家を借りる。アルバイトを始めたかと思えば、過去が知られて気まずくなり、職場を去ってスキマバイトを始める。生活そのものが、案外せわしなく転がっていく。
同時に、「自分」という感覚や感情も、常に揺れている。物件の内見では、元女優の経験を活かして“感じのいい人”を演じてみるものの、うまくいかず、過去の自分を誇れなくなったり。あるいは、母親は今の自分を見てがっかりしているのではないか、と自意識をこじらせて気持ちが沈んでしまったりする。
そんなふうに、今の自分の現在地をいやというほど実感したかと思えば、スキマバイトで出会った同世代の同僚と話すことで、ほんの少しだけ自分の視界が開く瞬間もある。生活だけでなく、気持ちのありかたまでもがあちこちと「転々」としているのだ。
起承転転じると、人生を編み直す
自分の未来(仮)はどんなものか……そんな高みの見物客の気分で本作を手に取った私だが、ではこの物語は少なくとも1巻時点で何を教えてくれたのだろうか。人生はやり直せる? 人生に遅すぎることはない? いや、そんな単純な話ではない。さすがに主語が大きすぎるし、少なくとも1巻を読んだ時点では、葉子を見ていてそうは思えなかった。強いて言うなら、人生そのものを変えたり、やり直したりすることはできないけれど、その人生の物語を編み直すことはできる、ということだろうか。
歳を重ねた先で、誰かの母にも妻にも、親が誇れるような娘にも……つまり社会的にわかりやすい「何者」になれなかったとしても、生きている限り人生は続いていく。そのなかで、転がるように居場所を変え、役割を変え、ときには過去の自分や過剰な自意識を行ったり来たりしながら、少しずつあらゆるものに寛容になっていく。
まだ、人生という物語はまとめ終えていない。これまで書いてきた人生は否定しないし、まるっと書き換えることもない。けれど、一つ一つの出来事が人生に与える意味は揺れているし、改定したっていい。『起承転転』が描いているのは、そんなふうに人生を編み直していくための、静かで現実的な景色なのだと思う。
……私ごとながら、先日誕生日を迎えた。引き続き誰かの母でも、妻でもなく、娘のまま、また一つ歳を重ねた。そんな今の自分から、少し先に続くかもしれない人生として、先輩が歩む物語の続きをこれからも追っていきたい。
文/ちゃんめい
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