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理由なんて、あとからでいい。——2026年4月61冊の中の3冊【連載・月60冊読むkyoの「積んどかない」読書/第5回】

4月といえば『本屋大賞』の受賞作が発表される月だ。

大賞を受賞した朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』はもちろん、ノミネート作品はどれもとても魅力的で、読書体験の豊かさを実感する。今年も結果を追いながら、過去の受賞作や、ノミネート歴のある作家の本を手に取る時間が増えていた。

毎年、様々な文学賞が発表されるたび、読書の肴のように嗜んでいるが、本屋大賞の味わいは他と少し異なる。歴代のノミネート作品から無作為に読む本を選んでいるように見えて、自分の趣向がはっきりと晒されているような羞恥心に襲われるのだ。

この連載も、実のところかなり面映ゆい。読書歴は自分の内面そのもの。それをさらけ出す行為は、どうにもこうにも気恥ずかしい。

とはいえ、恥ずかしさ以上に、本の話をする時間は貴重で、とても楽しい。4月も気のむくままに読み漁った本たち。いつも通り積んでみたので、お付き合いいただけると嬉しい。

新年度は、心も環境も整えたくなるのだろうか。本屋大賞関連はもちろんだが、ライフスタイル系の本も多い。

子どもが進級し、夫の仕事も新しい期を迎え、私自身も新しい挑戦が始まった。忙しさの中で見落としてしまうくらい些細な出来事ほど、あとになって強く心に刻まれることがある。今月は、振り返ってこそ、これが残ったと感じた3冊を選んでみた。

最初に挙げるのは、三浦しをんさんによる『舟を編む』である。

本屋大賞を語るなら、この作品は欠かせない。言葉を扱う仕事を描いた物語として、多くの人に愛されている一冊だ。個人的なお気に入りのひとつでもある。

今回選んだものは、歴代受賞作を読み返すために本棚から取り出したものではない。所持しているにもかかわらず、書店で2冊目を買ってしまったものだ。

そう、私の大好物、「期間限定特別カバー版」である。

夜の海のような濃い藍色の装幀、静かに輝く銀の箔押し、月光のごとき淡いクリーム色の帯……これこそが、玄武書房辞書編集部の面々が作りあげた辞書『大渡海』のイメージそのものだった。

本に触れただけで、この物語が扱っているテーマの重さが、少しだけ先に伝わる気がする。これをお迎えせず何とする。当然のようにレジへ持参した。

辞書を編む。その響きだけでは、どこか静かで、地味な作業にも思える。けれど本書を読むと、ひとつの言葉に向き合う時間の長さと重さに、少しずつ圧倒されていく。言葉の世界は、まさに大海原だ。

どの言葉を残すのか。どの意味をすくい上げるのか。どこまでを言葉として定義するのか。当たり前のように使っている言葉たちは、誰かが立ち止まり、考え抜いた末に、定位置を得る。

その積み重ねの上に、今の自分の言葉があるように思う。

速さや効率が求められる日々の中で、言葉を「選ぶ」という行為は、つい後回しになりがちだ。けれど本書に描かれているのは、その逆の時間である。急がず、削らず、言葉に向き合い続ける。その営みが、静かに、しかし確実に続いている。

読了後、自分が使っている言葉の輪郭が、ほんの少しだけ変わっていることに気づく。何気なく選んでいたはずの言葉に、少しだけ立ち止まるようになる。

辞書だけではなく、たくさんの本が、私にとっての道標だと再認識する。読むたびに、また深く跡を残す一冊だ。

『舟を編む』三浦しをん(光文社)期間限定特別カバー版

2冊目は、ミヒャエル・エンデさんによる児童文学の代表作、『モモ』である。またもや大好きな特装版。邦訳刊行50年記念版として、あらためて手に取った。

子どもの頃に読んだ記憶がある人も多いだろう。時間泥棒と少女モモの物語として知られているが、今読み返してみると、その印象は少し変わる。

時間は、貯めるものでも、節約するものでもない。本来は、誰かと過ごしたり、何かに没頭したりする中で、自然と流れていくものだったはずだ。けれど作中では、その時間が、少しずつ奪われていく。

効率よく、無駄なく、役に立つように。そうした言葉に置き換えられた瞬間、時間は急に、管理すべきものへと変わってしまう。その変化は極端なものではなく、むしろ、日々の中に静かに紛れ込んでいる。

気づけば、何かを急ぎ、気づけば、立ち止まる理由を失っている。モモは、ただ話を聞く。何かを与えるわけでも、解決するわけでもない。ただ、そこにいて、相手の言葉を受け取る。それだけで、世界は少しずつ変わっていく。

言葉を扱う物語を読んだあとに、この本を読むと、「言葉になる前の時間」があることに気づかされる。考える前の時間。言葉にする前の感情。ただそこにあるだけの、何にもならない時間。

それらを切り捨ててしまったとき、何か大事なものまで一緒に失っているのかもしれない。

読み終えたあと、時間の使い方が変わるわけではない。けれど、時間の流れを、少しだけ意識するようになる。それだけで、日常の見え方は、確かに変わっていた。

『モモ』ミヒャエル・エンデ(岩波書店)邦訳刊行50年記念版

3冊目は、人生で初めて購入した、グラビア写真集だ。

主役は歌手でもアイドルでも俳優でもない。2025年夏、一際大きく輝きを放っていた大スター……ミャクミャクである。

一眼レフカメラを愛用し、レンズの沼にどっぷり足を取られている私は、写真集もそれなりに所有している。しかしグラビア写真には関心を持たなかった。理由ははっきりしている。特定の人物を被写体とした写真をたくさん見る必要性を感じないからだ。

にもかかわらず、今、グラビア写真集を手にしている。どのシーンをみても同じ表情を「崩さない」キャラクターの写真を、だ。

なぜこんな驚きのアイテムを手にしたのか。インターネットで見つけて、笑ってしまったからだ。不覚にも興味をそそられてしまった。キャラクターがどんな「定番ポーズ」をきめてくれるのか。よくあるセクシーな雰囲気を出してくるのか。200ページを超えるボリュームと、驚きの袋とじには、一体何が写されているのか。

表紙を見ただけで、妙な興味が湧いてしまった。そうなったら仕方がない。税込3,960円と結構な値段だが、悔しいかな、買うしかない。

物語のように説明できるわけでもなく、ビジネス書のように要点を抜き出せるわけでもない。ただ、見てしまう。ただ、気になってしまう。

気づけば夫と2人で、大笑いしながら注文していた。そこにあったのは、「見てみたい」という衝動だけだ。面白そう。いいじゃないか。それだけで、その本には十分、魅力がある。

写真集が届くまでの数日間、考えるだけで口角が上がる時間を過ごした。早く読みたくて待ち遠しい本は数多あれど、こんなに衝動的に、感覚だけで楽しめた本は、他にないかもしれない。

とまあ、大真面目なことを言っているようだが。白トビするほどふわふわした写真の数々も、お尻のアップも、カーテンの隙間からチラ見えする姿も、全ページ同じ表情の被写体も。袋とじを開ける経験も。何もかも初めてで、とても新鮮な感覚を味わえる一冊だった。

ミャクミャク1ST写真集『I myaku you.』(フェリシモ出版)

今月選んだ3冊は、それぞれまったく違う入口から、同じところに向かっていたのかもしれない。

言葉を選び続けること。

時間を奪われずに過ごすこと。

理由もなく、ただ惹かれてしまう感覚。

どれも、説明しようと思えばできるのかもしれない。けれど、そのすべてを言葉にしてしまうと、どこか取りこぼしてしまうものがある。

『舟を編む』では、言葉を丁寧に選び続ける時間があった。

『モモ』では、言葉になる前の時間があった。

そしてミャクミャクの写真集には、テーマパークの人気者さながら、捕まえようとすると逃げていく感覚があった。

どれも、かたちは違う。けれど、確かにそこにある。理解することだけが、受け取ることではないのだと思う。

忙しさの中で、理由や意味ばかりを求めてしまうことがある。けれど、ときには、理由のない「面白そう」や「気になる」という感覚に身を任せてもいい。それだけで、少しだけ世界が広がる。

4月は、そんなことを思い出させてくれる読書だった。

文/kyo

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