
嫉妬心、人と比べてしまう気持ちとどう付き合っていくか【絵で食べていきたい/第40回】
いかに多くの人が、趣味や仕事の創作活動をしながら、自身の嫉妬心に苦しめられているでしょうか。今回は嫉妬というやっかいな感情について考えます。
創作者の嫉妬のやっかいさ
若い頃、特に10代から30代半ばまでの私は、今よりずっと嫉妬深かったと思います。ただし、嫉妬の相手は恋敵ではありません。
・雑誌の投稿欄にいつも載っている絵のうまい常連
・ブログランキングで常に私より上位にいるブロガー
・自分が憧れている創作者(プロアマ問わず)と仲良くしている人
・その他、自分が欲しいと思った「才能」「環境」「人脈」「知名度」などを持っている人
このように、私の嫉妬心はたいてい創作がらみの分野で刺激されました。
創作者の嫉妬がやっかいなのは、恋のライバルと異なり、対象者や対象物が無限なことです。
たとえば、ある人の創作への評価に、創作と関係ない力(「コネ」や「容姿」など)が加算されているように見えて、「ズルい」と感じる。本当なら自分に与えられるはずの「評価」「称賛」を奪われたと感じる。運がよい、それ自体がねたましい。こんな風に感じていたら、嫉妬の種が消えることはありません。
さらに面倒なのは、自分が嫉妬しているという事実を認められなかったことです。他人をねたむ、器の小さい人間だと思われたくない。だから表面上は「すごいですね」「よかったですね」と、平静を装いました。
しかし内心は転げ回るほどくやしくてたまりません。その上、「私は他人に嫉妬したことがありません。自分の創作に向き合うのみです」という人に接しようものなら、その高貴さが一層自分をみじめにさせて悶絶するのでした。
嫉妬していることを認めて被害を断つ
このような苦しみから少しずつ逃れられるようになったのはなぜか。いくつか理由があります。
1つの転機は、聖書の「私はねたむ神である」という言葉に触れたことです。
この言葉にはさまざまな解釈があると思いますが、そのときの私は「神でさえねたむし、それを認めるのか。それなら私がねたむのもしょうがない」と、ふっきれた気がしたのです。
人に嫉妬するのは誰にでもあること、しかたがないこと。そう認めてしまうと、少し楽になりました。嫉妬をしない努力はもうあきらめる。その代わり、そのエネルギーを嫉妬が原因で起きる悪い状況から自分を守る対策につかおう、と。
嫉妬により起きる悪い状況とは何でしょうか。
まず、精神の平穏が乱され、創作に向き合う時間が奪われてしまいます。対策としては、SNSならミュートやブロックをして対象者が目に入らないようにする。あるグループで対象者と接するならば、違うグループにも所属して、物理的に会う回数を減らす。自分から見えないようにするだけで、だいぶ気持ちが落ち着きます。
次に、嫉妬が原因で起きる最もまずい状況は、対象者に何らかの攻撃をしてしまうことです。足をひっぱる、誹謗中傷する、相手の存在を下げる言動をする。直接でなくても、友人との会話で「金儲けがうまいだけよね~」などとこきおろす。これらの行為は、自分が加害者となるだけでなく、相手にばれなかったとしても、結局自分自身の自尊心をも傷つけます。さらに、貴重な成長の機会をみすみす手放すことになります(この部分は後述します)。
これを避けるために、私はいっそ最初から「くやしい! なんで私じゃないの? ジェラシー!」などと、自分が嫉妬していることを隠さず公言するようになりました。はっきり「ねたましい」と口にしてしまうと、周りも「わかるわー!」「いや、くやしがりすぎ」などと、笑いにすることができます。気持ちの共有は同じでも、解消方法のベクトルが変わるのです。自分から「嫉妬している」と白状してしまうと、軽やかに生きているように見える友人も「実は私も」と共感してくれることがあります。苦しんでいるのが自分だけではない、とわかるだけで黒い気持ちがかなり浄化される気がします。
嫉妬をなくすのではなく、分析する
いったん嫉妬の対象から距離をとったら、なぜ自分が嫉妬したのか落ち着いて考えることができます。わざわざ考える理由は、嫉妬の原因と向き合うことが、自分の成長や夢の実現につながるからです。たとえば最初にあげた嫉妬の例を、さらにつっこんで分析するとこうなります。
・(自分はなかなか載れない)雑誌の投稿欄にいつも載っている絵のうまい、(けれど私とそれほど差はないと思う)常連。
・ブログランキングで常に私より上位にいる(けれど文章も知識もたいしたことがない)ブロガー。
・自分が憧れている創作者(プロアマ問わず)と仲良くしている(私よりも創作歴の浅い)人。
太字にしたのはあくまで私の視点です。つまり私が嫉妬するのは、相手を格下や、自分と同列とみなしていた人が自分にはないものを手に入れた、と感じたときなのです。はなからかなわないと思っている相手には嫉妬しません。
つまり、自分が嫉妬する相手を見れば、自分が自分をどのレベルにいると評価しているかがわかり、嫉妬する部分に着目すれば、自分が欲しいものがわかるわけです。
「なるほど自分はランキング上位など、目に見える評価が欲しいのだな。そして、この人のブログに負けないぐらいの内容は書いていると思うのだな」
そこまでわかれば、これを放置しておくのはもったいない。さきほど嫉妬は成長のチャンスと書いたのはこの先の話です。
嫉妬から見えてくること
ここで「じゃあ私も上位に上がれるように自分の文章を磨こう」と考えるのは正しいと思います。けれどそれだけでは、嫉妬が教えてくれる具体的な情報を見逃してしまいます。
せっかく見本がいるのですから、嫉妬するほどの成果を出している相手ブロガーを、つらくともしっかり研究するのです。
ブログの文章だけではなく、ランキングボタンの設置の仕方。誘導文の書き方。相互リンクの人数の違い。コメントの返し方。フォローの仕方。これらのうち、真似できるものは真似してみる。
しかしその中に1つ2つは、自分にとって「これはやりたくないなあ」と感じる方法が見つかるものです。
ここで私はたいてい「自分のやりたくないことまでは真似したくないな……」と思います。このとき「真似したくない」と感じさせるのは9割以上自分のちっぽけなプライド、過剰な自意識です。一方で、そのちっぽけなプライドは私なりの美意識とも思えます。
その手放せない自意識のせいでできないのだ、とわかれば、そこを乗り越えている相手がランキング上位にいることも納得できます(ちなみに、明確な不正をしている場合にはそもそも嫉妬せず、別の判断をします)。
相手は自分にはできないことをやっている。また、自分だったら負いたくないリスクを背負っている。そう気付くと、「私だって◯◯があればああなっている、あの人は運がいいだけ」とは思えなくなります。
懐に飛び込んで実情を知る
年齢が上がって経験が増えるにつれ、またイラストレーターになって順調に仕事を得られるようになってからはさらに、嫉妬は減ったように思います。いや、嫉妬はするのですが、苦しむ時間が大幅に減ったのです。ここまで書いたように、嫉妬する自分を受け入れて、その理由を分析できるようになったことは大きな変化でした。
また、憧れの「絵で食べていく」生活ができるようになり、自己評価が安定したこともはずせません。そして、「絵で食べている」という満足感で自己評価が高まる一方で、うぬぼれはむしろ減りました。たとえば、読者であったときには「自分でも描けそう」と感じていた雑誌のカットイラストも、実際に仕事として描いてみると難しいのです。自分が見ていたのは、とてもうまくてセンスがある作品だったのだ、と実感したのです。
しかし何より嫉妬が減った原因としては、「絵に携わる人」に実際に会えるようになったこと、交流範囲が増えたことが大きい気がします。
限定された場所での「いいね」の数、ランキング、フォロワーの数といった基準と違い、絵で食べていく方法にはずっと多くのバリエーションがあります。人と比べようにも、何を比べたらいいのかわからないことが多いのです。また、自分にとって神のようなイラストレーターの名前を、同じイラストレーター同士でも全く知らないことがあります。自分がなんと狭い世界であがいていたのかと痛感します。
もちろん、憧れの媒体に描いている人をうらやむことはあります。しかしそんなときはむしろ懐に飛び込んで、同業者として話を聞かせてもらうことができます。実情を知ると、自分より成功している人たちも同じように、いや自分以上に苦労している。有名なイラストレーターならちやほやされるかと思えば、意外と厳しい条件で交渉に苦労していることもあります。作家性の高い、良い仕事ばかりしているなあと思っていた人から「あなたは絵の仕事一本で食べているんでしょう、すごいですね」といわれてびっくりしたこともあります。
多くの人と接するうちに、私の2倍稼いでいる人は私の3倍は働いているとか、才能があると思った人は私が遊んでいる間も描いているということがわかってきました。数字はあくまで私の感覚ですが、嫉妬心をおさめるには十分です。
自分のことを「美意識」にこだわった、不器用なやりかたをしていると思っていたのに、むしろ要領がいいと思われていて驚くこともあります。たとえば、色々な絵柄を描いてたくさん仕事をもらうのは、私は「絵描きなら誰でもできるけれど、みんな自分の絵にプライドがあるからやらないのだろう」と思っていました。私はそこにはあまりこだわりがないからできるだけだと。でも実は、誰でも色々なタッチが描きわけられるわけではありません。私よりよほど画力のある人が、既存キャラクターの絵を描くのに苦労して何度もダメ出しされることもあります。
みんながそれぞれあがいていることがわかると、自分の自意識もかなり手放せるようになってきました。とはいえ、私としては決死の覚悟です。しかしいざこだわりを捨て、やらなかったことに挑戦してみると、あっけないほど反応がなかったり、ひたすら地道な作業の積み重ねだったりします。
「私だって◯◯さえすれば……」と思っていた方法は、魔法の道具でもなんでもなかったのです。才能があったとしても磨かなければ当然のように消えていくのです。
嫉妬心をあおるシステムにとらわれすぎない
昔よりはだいぶ嫉妬することも減ったとはいえ、やはり今でも「なんでこれを描いたのが私じゃないんだ!」「こんな道があったのか!」とメラメラすることはあります。しかし、嫉妬を感じたらやることが決まっているので、長引きません。目に入らないようにするか、それもつらければ懐に飛び込んでやり方を学ぶか。わざわざやり方を学ぶまでもなく、「つまりもっと絵がうまければいいし、そのためにはもっと描かないとダメ」などと結果がわかっていることも多いのです。そこで挑戦するのか、すごいなあと思いながら自分は自分のやり方でいくのか。くやしがったところで変えられるのは自分の行動だけなのです。
そう考えると、嫉妬心も悪いことばかりではありません。適切に向き合えば、自分を成長させる強いモチベーションになるからです。
気をつけたいのは、嫉妬心をたくみにあおることで、人の行動を望み通りにあやつるシステムにとらわれすぎないことです。SNSのいいねやランキングも、純粋に楽しめるうちははげみになり、交流のきっかけにもなります。しかし、必要以上に評価に固執して、最初はただただ嬉しかった1人の感想が、「たった1人の言葉なんて無意味」となってしまったら悲しいことです。
自分が本当に欲しいものは何なのか、目指すところはどこなのか。わからなくなるほど思い詰めてしまったら、全く違うことに挑戦したり、ひたすら眠ったり、旅にでたりと、ステージを変えてリセットするのも一案です。
文/白ふくろう舎
【お知らせとお詫び】
この連載に加筆修正した書籍『絵で食べていきたい!』(弘文堂)第 1 刷(2024 年 12 月 15 日発行)に、修正を要する表現がございました。 下記URLの通り変更いただけますよう、お詫びと共に、お願い申し上げます。
正誤表 https://hondana-storage.s3.amazonaws.com/83/files/85018_1.pdf
書籍『絵で食べていきたい!』は、こちらからご購入いただけます。

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