
これからの人間の仕事は「指示」と「チェック」……なのか? AI時代のライティングを考える【連載・欲深くてすみません。/第41回】
フリー11年目を迎えたライター・編集者のちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は、AIとライティングについて考えています。
2014年、春。
東京都の西寄りのエリアにオフィスを構える、とある会社の、とある編集部。パソコンに向かうのは、入社4年目の若手編集者。名をちえみと言う。彼女は、深いため息をついた。
「あたし最近、指示とチェックばっかりしてる。はーあ。つまらないな」
(いきなり何の話だと思われるでしょうが、これ、最終的にはAIとライティングの話になります。AIが出てくるまで、少しだけこの若手編集者の話にお付き合いください)
さて、一丁前にため息をつく彼女。彼女の仕事は企画を考えること、どんな誌面にしたいかの設計図や下書きのようなものをつくること、そしてデザイナー、イラストレーター、フォトグラファー、ライターといったクリエイターたちに依頼し、あがってくる制作物をチェックして、赤字を入れたりOKを出したりすることだ。
いい仕事じゃないか。一生懸命やれよ、ため息なんかついてないで。何か不満があるのか?
「あたし、設計図は書けても、指示はできても、実際の誌面スペースを埋める力は少しもないんだなって実感したの。そのことに、なんだか虚しさ? 退屈さ? を感じてきて」
「こうしたい」とは言える。落書きレベルのネームくらいは描ける。しかし、実際に誌面に載せるクオリティの漫画となると、彼女は描くことはできない。
これは単なる技術の話ではない。彼女が抱えるもやもやの根っこは、もっと別のところにあった。さまざまなクリエイターと仕事をするうちに、「自分の手を動かして、ものをつくり上げる人」だけが有する、特別な力やまなざしがあるように感じていたのである。
例えば、ちょっとした文章なら彼女にも書ける。読者(そのころ担当していたのは中学生向けの媒体だったので、中学生たち)を呼んで座談会を企画し、そのときの原稿を書かせてみたところ、自分で考えているから当然なのだが「企画趣旨をしっかり踏まえた文章」になっている。論理的に破綻しているわけでもなく、読める文章ではある。
でも、プロのライターが同じ原稿を書くと、何かが決定的に違うのだ。
「授業についていけなくて、悲しかった」と彼女がざっくりまとめた、座談会中の中学生の発言。同じ発言をプロのライターが取材して書くと「授業が始まって15分も経つと、いま教科書の何ページを開けばいいのかわからず、机の下で貧乏ゆすりが止まらなくなった」「必死で板書を写していて、顔を上げたら話題が変わっている。先生の言葉にみんなが笑う。私はそれが面白いことなのかもわからず、また顔を伏せる」といった、ディティールの薄紙を重ねていくような文章になる。しかも、それが冗長ではなく、主題にしっかりピンスポットが当たっており、全体としていい感じのボリュームに収まっている。
これは国語力だけの違いではない、と彼女は思った。同じように、イラストレーターは模写力を、フォトグラファーはカメラの設定技術を持っているだけではない。
五感を使い、対象を観察すること。
具体的な情報、状況、事象に「深く潜る」ような思考をすること。
どこにスポットライトを当てるのか、自分で選ぶこと。
そうした力を発揮した結晶として、絵や写真やデザインや文章がある。彼女はクリエイターと接するたびに、その力に慄き、憧れ、自分には決して手に入らない特別なものとして、畏敬の念を抱いていたのである。
「それに比べて、あたしはずっと指示とチェックばかりしてる。つまらない」
と、再び彼女が言う。うーん、気持ちはわかるけど、編集者には編集者ならではのやりがいや、発揮できる専門性があると思うよ? だいたい、それだけ尊敬するクリエイターたちを束ねてものをつくり上げるなんて、かっこいいじゃない。
「他の人はかっこいいかもしれないけど、あたしは全然かっこよくない。わかったふりして、偉そうなことを言ってるだけ。だいたい、大人になったら『東京カレンダー』に出てくるような、おしゃれライフスタイルが送れると思ったのに、オフィスの周りにはラーメン屋さんと、でかいGUと、サンリオピューロランドしかない。つまらない」
それは知らないよ。就職する前に、会社のオフィス環境をちゃんと調べておきなさいよ。
「もういいもん。あと3年くらい勤めたら、転職して丸の内OLになろうっと」
その1年後、彼女はライターを名乗ってうっかり独立してしまうのだが、それはまた別の話。
*
時を超えて2025年、冬。
自宅でパソコンに向かうのは、独立して10年目のライター兼編集者。名をちえみと言う。彼女、もとい私は目を見開いた。
原稿が、できてしまった。
指示とチェックだけで、原稿が、できてしまった。
AIで。
2023年頃からAIの進化は話題になっていたものの、当時は文字起こしはさておき、原稿を書かせてみると、まだまだ使い物にはならなかった。
しかし、わずか2年で状況は大きく変わった。AIが勝手にリサーチしたり創作したりするのではなく、ユーザーがアップロードした資料からのみ文章生成を行うことができる、インタビューライター向きのAIも出てきた。
実務で使うには、技術だけでなくセキュリティ面も非常に重要だが、しっかり課金すればアップロードしたデータがAIモデルの学習に使われず、プライベートな環境が担保されるものもあり、情報漏洩リスクに対しても対策が進んでいる。
試しにいろいろと使っていく中で、自分が過去セミナーに登壇したときの文字起こしを読み込ませ、これを「取材の文字起こし」と仮定して、インタビュー原稿のようなものをつくってみることにした。
最初に出てきた文章は、ざっくり、のっぺりとしていて、使い物にならなかった。そこで、私がこれまで書いてきた原稿を読み込ませ、文体を学習してもらった。さらに「冒頭は〇〇の話題から始めて、読者からすると意外性のある話で掴んでほしい」「話題1と2に重点を置き、話題3と4はさらっと流す感じ」「3段落目の頭に、読者の気持ちを代弁する文章をクッションで入れて」などの指示とチェックを繰り返したら……。
“それっぽいもの”が、できてしまった。
私からすれば、自分の文体と似ているようで違う、むずむずと気持ち悪い違和感があるが、それは本人だから気づくことだろう。文章を「商品」と考えるなら、「これで十分いいです」と言う買い主はいるだろうな、と思った。
何より最大の発見は、ダメ出しをするときの心理的負担がないと、これほど楽なのか、ということだった。
相手が人間の場合、しかも専門性を極めたクリエイターであればなおさら「ここをちょっと変えてほしい」とお願いするのにも気を遣う。議論を戦わせた末に、想像を超えた良いものができあがることは多々あるものの、人間同士のため「なんか通じない」「なんかうまく噛み合わない」と、時間だけを費やすこともまま起きる。
その点、AIにはどんな指示をしても、相手との関係性が悪くなることはない。事実、私も1本の原稿を仕上げる過程でどんどん口が悪くなっていき「ねー意図と全然違うんだけど。あんた話聞いてた?」のような、人間相手にしたら一発アウトなフィードバックをしたが、「失礼しました! 意図を読み違えてしまったようです」と、どこまでも素直で前向きなAIであった。
なるほど、これは時代が変わる、と思った。
五感で捉えたアナログ情報を、デジタル情報に変換できてさえいれば(つまり、取材の文字起こしやメモがあれば)あとは指示とチェックで、原稿ができる。特に書籍ライティングのように、原稿をつくる過程で大量の情報を仕分けて整理する類の執筆は、非常に相性がいいのではないか。
ただし、ボタン一発で理想の原稿が出てくるわけではない。何が理想かを示すこと、理想通りにチューニングしていくことは、依然必要そうだ。
つまり、どういうものを届けたいのかを「設計」し、適切な「指示」をして、それを世に出していいレベルに引き上げるための「チェック」をしていく。こうした「AIと協働するコンテンツ制作」が、今後主流になっていくのかもしれない。
——産業革命レベルの変革が、自分の身近な仕事で起きていることを実感し、興奮とともにパソコンを閉じる。
そして、思った。
つまらない。
めちゃくちゃ、つまらない。
目の前の事象に深く潜って、自分で考えることは、
ディティールの薄紙を重ねて、自分で文章を書き上げていくことは、
喜びだったのだ。
愉しみだったのだ。
生きることそのものだったのだ。
そういうものが「作業」として、目の前の灰色の機械に奪われていくような気持ちになった。
まあ、技術の進歩とは大概そういうものだけどな。そして、効率を求めて人間の仕事から取り上げられたものは、お金をもらうための手段ではなく、趣味や贅沢品となっていく。自分の手で1から文章を紡ぎたいのなら、趣味ですればいいのだ。自分の頭で考えることは、これからはどんどん「余暇の贅沢」のようになっていくのかもしれない。
と、思ったら!
そう簡単な話ではなかった。
次回「AIが書いた文章のチェックって、めちゃくちゃ難しくない?」編に続く。
文/塚田 智恵美
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