
高校生の挑戦を、ひとりにしない。「マイプロジェクト」を全国10万人へと広げてきた鈴木胡美さんの原点【リレー連載・あの人の話が聞きたい/第17回】
すべての10代が、意欲と創造性を育める社会を目指している認定NPO法人カタリバ。同団体は、高校生の「マイ(My)」を起点とした社会へのアクション「マイプロジェクト」を全国で展開してきた。
2025年度にプロジェクトを実践した高校生は10万8,577人。2013年度ににわずか18人から始まった活動は、地域や学校の壁を越え、次世代を育む新しい仕組みとして定着しつつある。
この歩みを最前線で支えてきたひとりに、鈴木胡美さんがいる。2016年にカタリバへ入職して以降、各地の大人たちを巻き込みながら、高校生の挑戦の舞台をつくり続けてきた。原動力になったのは、東日本大震災と海外インターンで抱いた「痛み」と「願い」だ。模索しながら駆け抜けた、彼女の物語を聞いた。
聞き手/相内洋輔
マイプロジェクトとは、高校生が自分自身の実現したいことや、変えたいことをテーマにプロジェクトを立ち上げ、その実践から学びを深める活動だ。地域の人や専門家などの協力者を探し、企画を仕立て、試してみる。正解のない問いに向き合い、当事者としてアクションを起こすことで、また新たな問いや発見が生まれる。
近年、その実践を共有する場である「全国高校生マイプロジェクトアワード」へのエントリーが、驚異的な伸びを見せている。高校で「総合的な探究の時間」が必修化された追い風を受け、2025年度は過去最多の3,463プロジェクト、9,441人に到達した。
この広がりを事務局として支えてきたひとりが、カタリバの鈴木胡美さんだ。現在は地域パートナー領域の責任者として、全国約60人の教育関係者らと連携。高校生が安心して最初の一歩を踏み出せる環境をつくり、その挑戦を継続的にサポートするための体制づくりを担っている。
「私たちは『高校生の学びを促進したい』という情熱を持つ教育関係者や企業の方々と出会い、手をとり、共に学びの場をつくり続けてきました。その地道な積み重ねが10万人のプロジェクト実践につながったと思います」

心に残るひとつのマイプロジェクト
2016年の着任以降、鈴木さんは3,000件以上の発表に立ち会ってきた。企画から実行まで伴走した活動も30件は下らない。なかでも忘れがたいのが、ある地方都市で誕生したプロジェクトだ。LGBTQ+に悩んでいる人がいると知った高校生たちが、ありのままの自分を表現する大切さや、多様性を認め合う地域づくりを訴えた。
活動に参加した高校生はプロのカメラマンから指導を受け、女子生徒どうしが手をつないでいるイメージショットや、互いの体を抱き寄せている光景を撮影。「なぜ、異性を好きというのが常識なのか。」などの啓発メッセージを添えて、市内外の9か所で写真展を実施した。
LGBTQ+を公言できず悩んだ過去を持つ、タレント・ぺえさんを招いたトークショーも開催した。市民センターの大ホールに150人近くの観客が来場し、多くの方々が活動の賛同者になってくれた。自分自身の想いや課題を起点にし、地域や社会へアクションする中で、協力の輪が広がっていく。マイプロジェクトの目指す姿が、ここに凝縮されているような活動だった。
「最初に会ったときの彼女たちは、何かしたいけれど、どう表現すればいいかわからないとモヤモヤしている印象でした。それが、プロジェクトを通して社会とつながり、最後には本当に明るい表情になったんです。また、個人の想いが地域の大人たちの態度や考え方を変えていく様子を間近で見られたのは、私にとっても大きな財産になりました」
選択肢が限られる故郷への違和感
鈴木さんは、「主体的に人生を選択し、毎日を楽しみながら暮らせる人」が増える未来を目指し、高校生の活動に寄り添ってきた。背景には2つの原体験がある。
ひとつ目は、原発事故への風評被害だ。鈴木さんは福島県郡山市の出身で、震災当時は大学2年生として神奈川県に住んでいた。
2011年の冬。アルバイトをしていたところ、お客さんからある商品の産地を尋ねられた。嫌な予感がした。福島県産の原材料が入っていたからだ。身構えながら答えると、その方は苦笑いで商品を棚に戻し、立ち去って行った。行き場のない悔しさに、涙がこぼれた。
「あの頃の私は、なぜ福島の人たちだけがこんな思いをしなければいけないのかと、ずっと憤っていました。東北とは縁のない友達の日常があまりにもいつも通りで、イライラし、八つ当たりしそうになった日もありました」
複雑な心情を整理する糸口を求め、友人と「わたしのふるさと、ふくしま」と名づけた写真展を原宿と下北沢で開催した。来場者や、同年代の大学生との対話を通じて、悶々とした気持ちがほぐれていった。

その過程で、福島県出身の社会学者・開沼博さんと出会った。著書の『「フクシマ」論―原子力ムラはなぜ生まれたのか-』を読み、自分は何に怒ってきたのか、一気に言語化が進んだ。
「東北地方は昔から中央に労働力や資源を提供してきました。それなのにずっと対等な関係になれず、都会の論理に振り回されている。東京と比べると、進路や職業など、人生の選択肢も乏しい。開沼さんはそうした構造的な問題を鋭く指摘していて、私がずっとモヤモヤしていたのはこれだったのか、と初めて腑に落ちたんです」
海外インターンでの挫折から手にした問い
震災と並ぶもうひとつの原体験が、大学4年生時に体験した海外インターンでの挫折だ。フィリピンの困窮家庭で育った15〜20歳の青少年たちの自立支援に携わったが、培ってきた経験や知識が通用しない現実に打ちのめされた。
「教育的に恵まれない環境で育った彼らのほうが、物おじせずに発言し、勤務先のレストランをより良くするための企画を実行できたんです。それなりに勉強を重ねてきて、私にも何かできるだろうと思っていたのですが……。考えが甘かった」
一緒に渡航した仲間も同様に落ち込んでいた。日本人は、与えられた枠の中では良いパフォーマンスを発揮できる。しかし、ひとたび環境が変わると、これほど脆いのかと痛感した。
ただ、できないことだけに意識を向けていても始まらない。「今日の自分はどう成長できたか」を毎日振り返ろうと決めた。また、手助けできることを積極的に探して、SNSでのプロモーションやWebサイトの制作を引き受けた。明け方まで作業に没頭する日も珍しくなく、1年間の任期を全身全霊で走り抜いた。

その反動で、日本に帰国してからは何ヶ月も重たい気持ちを引きずった。打ち込んできたものが突然なくなった喪失感と、力を発揮できなかった自分への情けなさ。社会のために動いていない自分には生きている価値がない、とまで思いつめた。
しばらくして、ようやく自身の体験を落ち着いて振り返れるようになったとき、ふと視点が「日本の教育」に向いたという。
「私や仲間は、曲がりなりにも勉強を頑張ってきました。だからフィリピンでのインターンにも参加できたんです。それなのに、いざ環境が変わると、揃って歯が立たない。これは私たち個人の資質の問題だけではなく、既存の教育に何らかの不足があるからではないかと考えました」
知識を得るだけに留まらず、子どもたちの「生きる力」を育むためには、どのような学びが必要なのだろう?——そんな問いが自然と生まれ、教育分野で貢献したいという気持ちが芽生えた。まずはちゃんと社会人として通用する人間になろうと決意し、英会話スクールに就職した。
マイプロジェクトとの運命の出会い
それから2年後。インターン仲間のSNSで、偶然カタリバの活動に出会った。津波で甚大な被害を受けた岩手県大槌町の高校生が、地域を元気づけたいと企画したマイプロジェクトを見て、直感的に「これは私のモヤモヤをすべて晴らしてくれる活動だ!」と思った。
すぐにカタリバでマイプロジェクトを担当していた菅野祐太さんを紹介してもらい、高円寺のレストランで面会。なんとしてでも関わりたい一心で、パスタをくるくる巻きながら、復興や教育へかける想いを2時間も聞いてもらった。
菅野さんは、「あの日はあえて被災地で働くことの困難さについても伝えました」と振り返った。鈴木さんにはユースワーカーとして若者に関わった経験もなければ、企画職での実績もなかった。気持ちひとつで飛び込んでも、過酷な復興の現場で疲弊してしまうのではないかと心配したそうだ。ただ、話せば話すほど「マイプロジェクトで社会をよりよくしたい」との熱意が伝わってきて、活躍の予感が上回ったという。
それから正式に面接へと進み、採用が決まった。震災から5年が経った2016年。宮城県女川町に赴任した鈴木さんが目にしたのは、校庭に並ぶ仮設住宅と、嵩上げの砂を運ぶ無数のトラックだった。
遠く感じていた東北の復興に関われる充足感と、教育への衝動をエンジンに、鈴木さんは高校との連携強化に奔走。最初は2〜3校としか関わりがなかったが、問い合わせをくれた各校のニーズを丁寧に聞き、訪問を繰り返した。その地道な積み重ねが実り、現在は東北全体で約100校に情報共有や探究学習の支援を行うまでに拡大した。

急拡大の陰で問い直した、パートナーとの関係
こうした取り組みが認められ、2021年、地域パートナー領域の責任者に就任した。マイプロジェクトを実践した高校生は、前年の14,000人から69,912人へと約5倍に急増。取り組みをシェアし、お互いの活動から学びあう目的で開催してきた、「地域Summit」の受け皿を広げる必要があった。そのためには、全国の教育関係者との連携が欠かせない。
しかしその矢先、これまで活動を共にしてきた協力団体から、思わぬ声が届く。
「最近はマイプロジェクト事務局とのやりとりが単なる『業務』みたいでワクワクできない。一緒に活動する楽しさを見失いかけている」
コロナ禍でコミュニケーション機会が失われたことも遠因だった。チーム一丸で関係の修復に努めながら、心の支えにしたのは昔から大好きな「モーニング娘。」の楽曲だ。
「大尊敬するつんく♂さんの歌詞を机の前に貼り、『仕事の結果を他責にしないぞ』と3年間自分に言い聞かせました。この習慣のおかげで、物事を自分ごととして捉える範囲が広がったように思います」
その後、NPO法人ETIC.の研修で、課題の輪郭がくっきりした。協力団体との関わりにおいては、”仲間”として励まし合うモードと、”委託者”として品質基準を明確に伝えるモード。その両立こそが大切だったと気づいたのだ。
「仲間関係を大切にしたい一方、クオリティを全国均一にするためには要望をしっかり伝えなければならないときもある。それでジレンマを感じていたんです。研修を経て、大事なのはバランスだと納得しました」
仲間としての横の関係と、委託者としての縦の関係。どちらを優先すべきシーンかを意識できるようになり、コミュニケーションが円滑になっていった。
2025年10月の合宿では、全国のパートナーへ自身の葛藤を隠さずに伝えた。すると、帰り際に数人がメッセージカードを手渡しに来てくれた。
「何があっても鈴木さんたち事務局を信じています」
関わり方を模索してきた結果、うまくいかないことも、迷いも承知のうえで、「これからも一緒に」と思ってくれる仲間が、年々増えている。その事実が、たまらなく嬉しかった。

若者の挑戦を応援することが当たり前の社会を目指して
2025年度の「全国高校生マイプロジェクトアワード」は、長野県での「地域Summit」から開幕。以降は18府県での対面開催と、オンラインを組み合わせて実施した。
どんな環境に生まれた高校生にもマイプロジェクトを届けたい。その思いから、鈴木さんは5年以内に全国47都道府県で「地域Summit」を開催することを目標にしている。構想を加速させるため、宮城県の地域パートナー団体・一般社団法人cotohokuの立ち上げにも参画した。自ら収益モデルを確立し、横展開する狙いだ。
「私はマイプロジェクトを日本中に広げるために、関係者をそっと包み込めるような人になりたいと思ってきました。理想像は”トトロ”。ふわふわのボディでハグをしてくれる、あの感じです。いまはこの活動がもっと面白くなるよう、様々な関係者と素敵なコラボレーションを生み出せる人になりたいんです」
高校生を、そして共に歩む大人たちの探究を、決してひとりにしない。(了)
文/相内洋輔

鈴木 胡美(すずき くるみ)
認定NPO法人カタリバ職員、一般社団法人cotohoku理事
1991年、福島県に生まれる。大学進学を機に上京した2年生の春、東日本大震災が発生。故郷である東北のために働きたいという思いを強く抱くように。大学卒業後は英会話スクールに新卒で入社。その後、認定NPO法人カタリバが手がける「マイプロジェクト」の事業に携わりたいという思いから同法人へ転職した。2016年より宮城県女川町の女川向学館に勤務し、現在は「全国高校生マイプロジェクト全国事務局」を担当している。


