
脱稿ぴよぴよ。妊娠ぷよぷよ【さとゆみの今日もコレカラ/第 70 回】
ちょうど1ヶ月前に書き始めた自著を脱稿した。
原稿を書き上げることを「脱稿」というのだけれど、これが自分の書籍の場合、全然「脱した」感じはしない。書き終わったときには、書き始めたときとは違う地平にいて、書く前よりもむしろ問いが増えている。
本を書き終えることを「子どもが生まれたような感じ」と言う人がよくいるけれど、私の場合、書き終えてもスリムにならない。産んだというより、むしろ、書く前より孕んでいる。体が重い。
これは書籍に限らないけれど、文章とは、「知っていることを書く」ものではない。書き始める前に、このあと何を書くことになるのかを、書き手は知らない。一行目が二行目を連れてくるし、そこに置いた接続詞によって次の論理を導かされる。毎日、今日の私は何を書いてくれるのだろうと思いながら書くことになる。
私に限って言うと、自著の執筆ほど時給が低い仕事はない。10 万部を超えた自著はまだないけれど、たとえ 10 万部超えたとて、執筆にかかる時間を考慮すると、もっとも低価格労働になるだろう。
そう。本を書くことを労働だと思うと、これほど稼げない労働はない。それでもなぜ書くかというと、10 万字を書くことで自分が変わるからだと思う。越境する。
こんな時代に、わざわざ本を書くという非効率な手段を選ぶのは、自分はまだ変わるかもしれないという可能性をみたいからではないか。という暫定解。
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