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赤坂の夜、ジェットコースターに乗った。伝える力は設計する力【連載・欲深くてすみません。/第11回】

元編集者、独立して丸7年のライターちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は、取材で聞けた面白い話をどんな構成で書くか、悩んでいます。

うっわー。

このままスキー場のジャンプ台に載せたら猛スピードで滑り出すのではないか、と思うほど体を前方に傾けて、その日私は、取材相手の話を聞いていた。表情だけは平静を装っているが、心の中では「うっわー。うっわー」と大騒ぎだ。

――すごい話を聞いちゃった! これは、めちゃくちゃ面白いぞ。

取材の帰り道。気を緩めたらスキップしてしまいそうなほどホクホクした気持ちを抱えて家に着き、鞄からパソコンを出したあたりで、突然、ずーーーんと落ち込んだ。

書くのか。あの、めちゃくちゃ面白かった話を。

いや、違う。

「あの話に行き着くまで」を、書くのか。

ああ、と小さく声を出し、惰性でスマホを手に取りYouTubeを開く。おすすめのショート動画が再生される。著名人の対談動画の切り抜きで、おそらく対談でいちばん盛り上がった場面のやりとりが、前後の文脈もさっぱりわからないまま、急に繰り広げられている。

もし、私の書く原稿が、切り抜き動画なら。

今日の取材でいちばん盛り上がったところ「だけ」を切り取り、書くのならば、すぐにでも書き始められるだろう。今も頭の中で再生できる。少し言い淀んだあとに、取材相手の口から飛び出した、意外なあの話。

でも、私の書く原稿は、切り抜き動画ではない。

記事には一般的に、タイトルがあって、冒頭にリード文と呼ばれるものが入る。簡単に記事の内容がまとめられ、本文への興味をそそるような導入が行われる。そして本文。語られた順にただ書き起こされているのではなく、たいていが書き手によって構成されている。

構成。取材で聞けた「あの話」を読者に届けるために、ライターは一度情報を解体し、読者の目線で組み立て直す。取材したこの人は誰で、なぜこのテーマで話をしてもらうのか。最大限においしく召し上がってもらうために、テーブルクロスを敷き、出す順番を考えて、料理、ではなく聞けたお話をお出しする。

これがまあ、難しい。いきなりステーキをお出しして、ペロリと食べていただけるシチュエーションもあれば、コース料理のように一品一品、段階を追ってメインディッシュに向かっていくほうが良い場合もある。媒体と読者によって、変えなければいけない。

難しい。

もう「あの話」をいきなり書いてお出ししてしまおうかしら。

そう思うとき、私の心はビュンと、東京は港区、赤坂にワープする。

10年ほど前、赤坂にある草月ホールに、千原ジュニアさんが出演するトークライブを見に行った。はじめてお笑い芸人さんが出演するトークライブを見る。わくわく、どきどき……しすぎたのか、私は開演前から、猛烈な睡魔に襲われていた。やばい、仕事帰りで疲れてるのかな。このままでは絶対、寝てしまう。

とろけた目の私が見つめるステージの上に、千原ジュニアさんが現れる。そして、長い前髪を人差し指ではらいながら「昨日な〜」と、まるで飲み会の途中のような何気なさで、後輩芸人さんについて話し始めた。

その後輩芸人さんのことを、私はまったく知らなかった。知らない人の知らない話が始まり「あ、ごめんなさい、興味ない。こりゃ寝てしまう」と、上まぶたと下まぶたがくっつきそうになった、そのとき。

草月ホールの座席の付け根から、にょきにょきとシートベルトが生えてきた。

なに?

私の腹の上で、パチンとシートベルトがしまる。座席の下に車輪がにゅっと出てくる。あれれ、と目をぱちぱちさせている間に、ランララランと楽しげな音楽が鳴り始める。

車輪のついた座席が、ジェットコースターのレールの上を走り出した!

乗っている人間がどんな状態でも、強制的に連れて行かれてしまうジェットコースターのように、私は強い力で千原ジュニアさんのお話に引き込まれ、お話の中を駆け巡った。

ジェットコースターに乗る人はたいてい、最終的には「落ちる」とわかっている。問題はどこで、どんなふうに落ちるかだ。上り詰め、速度が緩まり「きっとここで落ちるだろう」と思わされるのだが、そこでは落ちない。車輪が方向を変えて、目の前にお花畑が現れる。お花畑の中をぐんぐん進み、まだ上るのか、と思った途端、意外なところでズドーンと落とされる。

客席が明るくなったときには、息も絶え絶え。笑い疲れてぐったりしていた。

面白かったね、と微笑む同行者をその場に置き去りにして、私は走り出した。青山通りのバーに駆け込み、強い酒を頼む。そして、ノートを開いて、先ほど聞いた話を思い出しながら、順番に書き起こした。

知らない人の知らない話を、夢中で聞いた。

背もたれに背中をつけて話を聞いたのではなく、話の世界に「連れて行かれた」のだ。いったいどうすれば、そんなことが?

ウイスキーを3杯飲み干し、頭がとろっとろに溶けたあと、書き起こした文章を眺めて気づいた。知らない、見たこともないはずの後輩芸人さんのキャラクターが見えるようなエピソード。映像が浮かぶような情景描写。冒頭の何分かで、このあとの話の展開がおよそ予想できるまでの情報が、実は与えられていた。いわば聞き手の私にとって、話のレールがおおかた「見える」状態になっていたわけだ。

その予想が裏切られるから、聞いている私はどんどん夢中になる。「落ちると思ったのに右に曲がった」「このまま進むと思ったところで落ちた」と。

暗闇の中で上がるか下がるか、右に行くか、まったくわからない状態は不安で仕方がない。その場で背中を押され、ドンと突き落とされたところで、ちっとも楽しくないものだ。

映画『インセプション』(クリストファー・ノーラン脚本・監督)には、夢の中でまちや建築物を自由自在につくり上げられる「設計師」が出てくる。あれと似ていて、千原さんはただ話すことを通して、精巧に設計された建築物を立ち上げた。その建築物は観客にいっさいの迷いや不安を与えず、入り口から出口まで猛スピードで駆け抜けられるようになっており、そのうえ、階段に見える落とし穴や、橋に見えるエレベーターがあちこち仕掛けられている。そうか、設計の力で楽しませてもらったのだ、と思った。

べろんべろんに酔った私はマスターに話しかけた。「私ね、今日、すごい建築家を見ましたよ」。建築家? 「そうです。見えないジェットコースターを建てて、人を連れていくの」。はいはい、お水飲みましょうね。

「何もないところに、言葉で、何でもつくれるの。言葉で構築したものが、人を走らせたり、飛ばせたり、落としたりするんですよ。言葉ってすごいですね。ちゃんと組み立てたら、すごい力を持つものなんですね」

「あの話」を届けたい。だったら大事なのは「あの話」をどう書くかではなく「あの話に行き着くまで」をどう書くかだ。

きっと透明な場所に、すべり台を建てられる。

キーボードを叩く指で、ジャングルジムも欠陥住宅も、巨大迷路だってつくれる。そう信じて、構成を練る。

青山通りのバーにはこの10年間、何度探してもたどり着けず、ひょっとしてあのバーも、私の頭が建築した幻なのではと疑い始めている。

文/塚田 智恵美

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