
そんな気持ちで書いていない【さとゆみの今日もコレカラ/第 160 回】
先日ある読書会で、「いつか、さとゆみの本を題材に読書会をしようよ」と言ってくれた人がいて、「だけど、ここが好きじゃないとか、これは共感できないとか、批判的な感想を聞いたら、作者としては辛くない?」みたいなことを別の人が言って、なるほどそういうふうに考えるのかと面白かった。
その方は私を心配して言ってくれたのだと思う。
だがしかし、申し訳ないが、そんなの全然辛くない。
物書きにとって(というと主語が大きいな)、少なくとも私という書き手にとって、最大の辛さは「読まれない」ことである。
たかだか1万冊程度しか刷られていない書籍を手に取ってもらえるだけで、奇跡なのだ。読んでくれた上で聞かせてもらえる感想や意見は、それが好意的でも批判的でも、心から嬉しい。
むしろ、自分と違う意見を聞きたくて、この先の思考をもっと深めたくて書いているようなものなのだ。自分の文章は、池に放る最初の一投目の石にすぎない。その石が作る波紋の形を知りたくて、書いている。
とくに書籍に関しては、数年かけて考え続けてきたことを書き込んでいる。それだけの時間を使って考えてきたことに対して、「自分はこう考えた」「ここは違うと思う」と聞かせてもらえることは、根を詰めて書いてきた自分に対するご褒美みたいなものだ。次の思考も、そこから生まれる。
褒められて喜ぶとか、批判されて落ち込むとか、そんな生半な気持ちでは書いていないのです。
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