
曖昧な言葉を綱渡りする【さとゆみの今日もコレカラ/第 176 回】
『ママはキミと一緒にオトナになる』という子育てエッセイの中で、日本語の主語の曖昧さについて書いた箇所がある。主語が曖昧な言語であることが、育児に悩むママ(やパパ)を増やすのではないかという仮説があった。
子育てに関して人を批判する言葉には、ほとんどの場合、主語がない。たとえば、「子どもがかわいそう」という言葉は、一見すると、「子ども」が主語のように感じてしまう。
でも、違う。
「子どもがかわいそう」という言葉は、実のところ「(発言者である)私は、あなたの子どもがかわいそうだと感じた」というだけのことだ。
英語にすればわかりやすい。この文章は、「I think〜」で始まる。
「母親としての自覚はないんですか?」という言葉も同じ。「私は、母親としての自覚はないのだろうかという感想を持った」というだけの話だ。これもやはり、「I think〜」の構文である。「世間」があなたを批判しているわけではない。
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昨夜、とある出版記念パーティーで、ゼミメンバーのらいちゃんと一緒になったので、お夕飯を一緒に食べながらおしゃべりをしていたのだけれど、そこでもやはり日本語の曖昧さの話になった。とくに助詞は難しい。
たとえば、先日私がコレカラで書いた、
20 代の頃勤めていたテレビ制作会社は、会社「に」寝泊まりするのが日常茶飯事だった。
という書き出しの一文は実は
20 代の頃勤めていたテレビ制作会社は、会社「で」寝泊まりするのが日常茶飯事だった。
と書くべきか迷って前者にしたという話をしたら、らいちゃんが、「日本語の助詞に比べて、英語の前置詞はビジュアルがイメージしやすい気がする」と言う。on といえば上に乗る感じ、in といえば中にある感じ。前置詞ひとつでビジュアルがイメージがしやすい言語だと思うと。
たしかに、さきほどの会社に寝泊まりする話、前者は訳すなら「in 会社」で、後者は「at 会社」を使うだろう。前者はそこに日常的に住んでいるようなニュアンスが強まる。
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この「に」と「で」の違いは日本語で考えると本当に難しくて、つい最近、ライターのちえみとも同じ話をしたところだった(私は文章に迷うといつもちえみに相談をする)。
ちえみが調べてくれたところによると、
・「に」は、「その場所に存在している(いる、ある)」
・「で」は、「その場所で何かする」
が原則とされているらしい。
原稿に照らし合わせると、寝泊まりする、は「何かする」のほうともとれる(だから、会社で寝泊まりする、も間違いではない)。でも、これが「寝泊まりするのが特別なことではなく、ずっと存在しているかのようにその行為が行われ続けている」というニュアンスをはらむと「会社に寝泊まりする」になると いうのが現時点での私の仮説ですという返事がきた。つまり「日常茶飯事だった」のなら「会社『に」寝泊まりする」が自然ということだ。
この説明を聞いた時にもなるほどー! と思ったのだけれど、これが英語だと、in っぽいか、at ぽいかで、より映像的に一発でイメージしやすい。
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かように、曖昧な主語をさらに曖昧な助詞がそっと傍から支えるのが、日本語という言語であるからして。
その曖昧さを回避したり逆手に取ったり、誤解させないようにしたりわざと誤解させたり、ハイコンテクストな抜き差しに危険を感じたり醍醐味を感じたりして、今日もなんとか綱渡りするのです。
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