
ライバルをぶち倒す【さとゆみの今日もコレカラ/第 235 回】
小学生の時、テニスの試合で対戦するライバルたちの戦力分析ノートを作っていた。スラムダンクの彦一が持っていたチェックリストのようなものだ。得点パターン、弱点、ペアの実力差……。対戦するたびにレーダーチャートを更新し、どうすれば勝てるかを考えていた。
ライターになったときも最初はそんなふうに考えていた気がする。
あの連載を持っている先輩、あの媒体で書いている先輩。自分が羨ましいと思う人たちの文章やキャラを分析して、自分がその人たちを超えるため にはどうすれば良いかを考えた。でも、のちにわかったのは、この仕事は椅子取りゲームではない、ということだ。
私がいま身を置いている世界は、上位3チームしか世界選手権に出られないといった席数を奪い合う地平線にはない。なぜなら、圧倒的に席の数が多いからだ。なんなら、席が足りなければ椅子を増やせばいいという裏技もある。
たとえ文学賞という賞レースであってさえ、大賞なしのときもあれば、審査員特別賞の人のほうが売れたりすることもある(えてして、よくある)。
つまり、倒すべきライバルがいるのではない。
もしも仕事がこなかったとしても、仕事を失ったとしても、誰かと戦って負けたからではない。単に、自分がその仕事の基準に達していないだけであ る。そう考えると、「ライバルをぶち倒す」 という考え自体が、まるでナンセンスだとわかった(わかるまでに数年かかった)。
でも、「打倒ライバル」といったわかりやすい目標がない場合、どんなふうに切磋琢磨すればいいのだろう。何との差分を自分の成長とみなせばいいのだろう。
私はあるときから、それを自分のポートフォリオにした。
今日は午後から宣伝会議さんの編集ライター養成講座に登壇するのだけれど、半年に1回、この機会に私は「はじめまして」の自己紹介をすることになる。
この自己紹介のときのポートフォリオがどれだけ更新できるかが、この半年間、自分がどれだけ新しいチャレンジをしてきたかのわかりやすい成績表になっている。
自分のポートフォリオを定点観測していると、いろんなことがわかる。
顕著なのは、今年の自分の足を引っ張るのは、意外と昨年の小さな成功体験だったりすることだ。昨年の自分の活躍に小さく満足したとき、わかりやすく成長が止まる。決して、ライバルが活躍したから自分が相対的に負けるのではない。
敵は昨年の自分だし、最大の味方も昨年の自分である。
【この記事をおすすめ】
「今の私がこのレベルの文章しか書けないのはもう仕方がない、変えようがない事実なのだ」と、受け止めることにした。
ならば、次に私がすべきは、一刻も早く上達するための努力をするだけだ。死ぬまでに私は、私の書きたいと思う文章が書けるようになるのか。


