
人生バグ理論【今日もコレカラ/第646回】
20代の頃に貪るように読んだ小説シリーズをいま再読している。もう、7度目くらいだろうか。
当時付き合っていた人の家の本棚にあったのが、そのシリーズだった。というか、その人の家には本棚がなくて、食器棚の中にそのシリーズ10冊が並んでいた。あまり本を読む人ではなかったのだろう。他にもたくさん本があったら、私もそのシリーズを読もうとは思わなかったと思う。10冊しかない蔵書だったから、手がのびた。
すぐにのめり込み、その後自分でも購入し、当時まだ人口に膾炙してなかったビブリオの電子書籍でも買い、文庫版も買い、Kindleでも買い、最近オーディブルでも全巻揃えた。彼と別れてからも、読み続けた。その作家さんの本はのべ300冊は持っているだろう。通算600回は読んでいると思う。
本の中に「生きているのはバグのようなものだ」という表現がある。
人間がこの世に生まれてくるのは、コンピュータにおけるバグのようなもの。眠りに落ちるのが心地よいのは、本来人は寝ている方が(≒死んでいる方が)自然だからだといった表現だ。
22歳の時に読み、以来、ずっと頭の中にこの「生きてることはバグである」説がある。
なにかの拍子にぽろり地球に発生してしまい、そのうち正常に死んでいく。
所詮バグな人生だと思うとほんと軽やかだ。
20代の頃は、所詮バグなんだから地球を散々食べ尽くしていこうと思った。地球を食べ尽くすのは無理だとわかったいまもやはり、所詮バグなのだから軽くいこう、と思う。
右の道を選んでも左の道を選んでも、どうせどちらでもいい。ここは地球だ。どっちに歩いても結局丸いし、悩んでるよりも歩いた方が景色は変わる。
いろんな景色が見たいの。
※「今日もコレカラ」は朝7時に更新です。バックナンバーが読めるようになりました。
【この記事もおすすめ】
休日に1日中ぼーっとしていたら、なんかもったいないと思ってしまいますよね。本来は「本を読んだ」「美術館に行った」「友だちとお茶をした」など、自分の身になることをやりたいと考える。でもこう考えてしまうのは、実はしんどいことでもあります。


