
死にたくない・死にたくない・死にたくない【今日もコレカラ/第909回】
村上春樹さんの『遠い太鼓』を聴きながら、ポルトガルの海沿いの街を歩いている。
歩いている最中、どの本を聞こうかな考えたのだけれど、オーディブルに村上さんの『遠い太鼓』を見つけたときに、ピンときた。
もう40年も前に書かれた文章で、彼がイタリアとギリシャに2年滞在した時の話が書かれているエッセイ集だ。読むのは4回目だろうか。
『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』はこの2年の間に書かれている。ワープロのなかった時代だ。この2冊は、手書きで書かれている。
以前読んだときに、「紛失しないか、火事になったりしないかと心配だ」と書かれていた記憶があったのだけれど、それ以上に今回、びっくりしたのが
「僕は死にたくない・死にたくない・死にたくない」
という記述があったことだ。
今回、耳から聞いていたので、宿についてからKindleで、どんな表記だったのかを確かめた。
「僕は死にたくない、死にたくない、死にたくない」
なのか
「僕は死にたくない。死にたくない。死にたくない」
なのか。
そうしたら、まさかの、
「僕は死にたくない・死にたくない・死にたくない」
だったし、しかもこの20文字には傍点までついていた。
いま手掛けている小説を書き上げるまえに死にたくないという意味で、
「お願いだから、僕をもう少し生かしておいてください。僕にはもう少し時間が必要なのです」
という記述もある。
ドライな筆致でウェットなことを書く村上さんだけれど、ここはひたすらにウェットだ。
いま死んだら困るというほど、執着していることが何かあるかな、と思って考えてみたのだけれど、うまく思いつかなかった。
そういえば出かけるときに、息子に何度も「死なないでね」と言われたのだけれど、最近、絶対に死にたくないみたいな(かつてはあった)強い欲望がないのかもしれないなと思う。そういうのが伝わるのだろうか。
記憶していた文章とは違って、『遠い太鼓』の中で展開される話は、わりと暗くて、ひどい話が多い。
今日は雨の中を歩いたのだけれど、「まあ、春樹さんに比べたら、こんなことはどうってことないな」と思える。
そして、さて、今日も頑張って歩こうかと、昨日干した洗濯物を取り込もうとしたら、突然、本当に突然、嵐のような雨が降ってきて、一瞬のうちに洗濯物をびしょびしょにしていった。
20メートル先にあったのだけれど、助ける暇もないどしゃぶりだったので、もう、諦めた。
降水確率は0パーセントだった。
コインランドリーがオープンするまでは、この街から出られないなと思ったけれど、村上さんが受けたトラブルに比べたら、どうってことないかと思って、まだ誰も起きてこないキッチンで、今日コレを書き始めた。
やれやれ。
↑言ってみたかった。本当は楽しくなってきてる。
サムネイルは道中であったご夫婦。長年連れそうと雰囲気が似てくるのだろうか。
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「物語」とは何なのだろう。
人は、目の前の現実のみによって、自分の生き方を決めるわけではないのかもしれない。
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