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「守破離」に必要なのは「飽きること」かもしれない。 【連載・聖の言葉と俗を生きる/第4回】

キャリアコンサルタントであり、山伏であり、真言宗の僧侶でもある、清乃(きよの)。俗と聖を往復しながら見つけた、人生の「道」を照らす言葉を届けます。

20年来のつきあいがある友人2人と、食事をしていたある日のこと。ふと、「私たち、長く働いているよねえ」と、仕事人生の話になりました。
「もう飽きちゃったよ、正直」と、友達が言う。もう一人も、「わかる、わかる」とうなずきます。でも私は、「研修講師になって21年目になるけれど、私は全然飽きないんだよね」と返しました。
2人は「え、なんで? 20年もやってて?」「修行しているから? 忍耐力がつくとか?」と食いついてきました。なんでだろう、と自問する。少し考えてみると確かに、修行をしていることは関係あるのかもしれない。修験道(山伏)の修行、仏道の修行、そして、15年くらい続けている茶道のお稽古。領域は違っても、「道」のつくものには何か共通して流れている姿勢があるように思います。

友人は続けて、「修行も飽きないの?」と尋ねます。即答で、「飽きるよ、うんざりするほど」と答える私。言いながら、(あれ? 矛盾している?)と思う。でも確かに、修行の最中、強烈な「飽き」に襲われた記憶があるのです。

修行に飽きたことは、ある。けれども「道」のものをずっと続けている。この図式は、普段の仕事や生活にも活きているような気がします。ちょうどいい機会、とばかりに、自分の内側をほどいてみることにしました。

即座に思い浮かんだのが、一昨年まで取り組んでいた、阿闍梨という位をいただくために行う「四度加行」という仏道の修行シーンでした。約100日間の修行で、修行者は成仏するための様々な作法を行う。中身の詳細は秘密ですが、例えば「不動明王の真言を3000回唱える」など同じことを延々と繰り返す場面が多々あるのです(ちなみに真言3000回なんて、実は全体のごくごく一部に過ぎない)。

取り組み始めた最初のうちは新鮮です。でも、慣れてくると、来る日も来る日も同じことの繰り返し。長いときは1日9時間近く、しかも約100日とゴールは遠い。うんざりする要素しかありません。すると、頭の中は煩悩ばかりがわいてくる。手と口は作法をなぞりながら、心は「あと何回かな」「あと何分かな」「早く終わらないかな」「帰り道、何食べようかな」「そもそもなんでこんな大変なことを始めてしまったんだろう」とフラフラしてしまう。そこで、自分に絶望する。3000回やったところで、煩悩まみれ。私、何やってるんだ、と。
でも、修行というものはもしかすると、そのように設計されているのかもしれません。飽きるように、煩悩が湧くように。そして、それでも続けさせるように。

茶道や武道には「守破離(しゅはり)」という教えがあります。
「守」は師の型を忠実に繰り返す段階。「破」はその型の意味を自分なりに考えたり、自ら他流を学んだりして発展させる段階。「離」は型を超えて独自の境地に至る段階。千利休の茶の湯の教えとして後世に伝えられてきた『利休道歌』にある、「規矩作法(きくさほう) 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」という一首にも、その精神が映し込まれています。

「道」のものに限らず、現代であれば仕事も、この「守」の段階で飽きて離れてしまう人が少なくないのかもしれません。でも、面白いことに「飽きる」という言葉の語源を紐解くと、古語の「飽く(あく)」に行き着きます。もともとは「十分に満足する」「満ち足りる」という意味でした。季節の「秋」も、実りの収穫の季節として「充足する」の意味で「あき」と名付けられたという説があります。飽きた、はすでに満ち足りた状態だった。「こんなものか」と飽きた気がするあの瞬間は、実は次のステージに移る予兆ーーそんな風に私には思えたのです。本当の修行は、飽きてから始まる、と。

飽きるほど繰り返して身につくのは、知識や技術だけではありません。「飽き」てから出てくる余裕を頼りにすると、自分のことばかりに向いていた意識に、余白ができます。すると、同じ型を繰り返しているはずなのに、目の前の世界が少しずつ違って見えてくる。
山伏修行であれば、ともに歩く修行者の顔ぶれや状態、天候、気温。茶道も同じく、お客様の顔ぶれや状態、水や火の温度、季節や天候。仕事ももちろん、同じです。目の前にいる人たち、関係性の状態やチームの雰囲気、この瞬間の自分。本当は、一度として同じものなどないことに気づきます。そうすれば、毎日は決して同じことの繰り返しではありません。
修行や茶道を通して「飽きた先」に気づいてから、「毎日がまっさらの、新しい日」になりました。加えるなら、もはや、今の自分が「守破離」のどこにいるのかはどうでもいい。だから、仕事「道」も飽きずに続けていられるのです。

研修で出かけた企業で、「私の仕事はルーティンで」とおっしゃる方に、よく出会います。その中には、3年ほどで「仕事ってこんなものか」と思い、つまらなくなって転職していく方も少なくありません。居場所を変えることが良い場合もたくさんあります。でも。煩悩まみれの3000回の先に、解像度の高い世界がある。飽きてからが、本番。それを身体で知ってしまった私としてはいつも、「ここから、かもよ?」と思うのです。

文/渡辺 清乃

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