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ちゃんめい

『路傍のフジイ』“ジト目”の男が教えてくれた、他者を立ち入らせ過ぎない生き方【連載・あちらのお客さまからマンガです/第13回】

「行きつけの飲み屋でマンガを熱読し、声をかけてきた人にはもれなく激アツでマンガを勧めてしまう」という、ちゃんめい。そんなちゃんめいが、今一番読んでほしい! と激推しするマンガをお届け。今回は、眠れぬ夜に出会い、思いがけず心が救われてしまった鍋倉夫先生の『路傍のフジイ』について語ります。

今年の目標は〜! なんて勇ましくてフレッシュな気分はどこへ行ったのやら。新しい年も1ヶ月過ぎれば、昨年と地続きのいつもの日常の繰り返し。特に最近の私は急な寒暖差によって心身ともに揺さぶられているのか、いつも何をしていてもうっすら悲しくて不安だ。

――2日前に納品した原稿のレスがない、あぁもう二度と仕事が来ないのかもしれない。さっき送ったチャットの一言余計だったかな? てか3ヶ月後の私って、世界ってどうなっているのだろう。自分の意識がものすごい速さで過去や未来に行っているような感覚で、ずっと心が忙しい。

あぁもうダメだ〜! と自暴自棄になるというか、悲しいのか怒っているのか、色んな境界線が曖昧になった金曜の深夜2時(もはや土曜日)。真っ暗な部屋で布団にくるまりながら、電書ストアの一覧をひたすらスクロールしていたら1人の男と目が合った。彩り豊かでスタイリッシュな少女漫画や少年漫画の表紙に挟まれた彼は、申し訳ないけど可哀想なくらい地味だった。でも、こちらをじと〜っと見つめる半目というか、いわゆる“ジト目”からなぜか目が離せなかった。表紙には『路傍のフジイ』と書かれていた。

「何が楽しくて生きているんだろう」フジイさんの毎日を観察

その“ジト目”の男の名はフジイさん。本作の主人公であり、プロフィールは40歳、非正規社員、独身男、以上。口数も少なくて、職場では空気みたいな存在。周囲からはなめられ、仕事を押し付けられたり飲み会には誘われなかったり、正直「ああはなりたくない」といった憐みの対象にさえなっている男だ。

側から見たら、いわゆる負け組なフジイさんだが、本作はそうやってフジイさんを見下している周囲の人間が、彼を観察するような構成で話が展開していく。「ああいう人って何が楽しくて生きているんだろう」と。

例えば、フジイさんを観察する人間第1号の同僚・田中さん。彼はプライベートでも会社でもそれなりにうまく渡り歩いているタイプの人間。でも、最近心が動いた瞬間っていつだろう? と、漠然とした焦燥感に駆られ生きる意味を見いだせなくなってしまっている。そんなある日、休日に偶然フジイさんを見かけた田中さんは、一体どんな1日を過ごしているのかとフジイさんの跡をつける。

――近所の商店街でコロッケを買い食いし、公園を散歩して、亀を助けて(?!)公共施設の展示を見る。途中、通行人に絡まれるアクシデントがありながらも、自分で自分の誕生日ケーキを買って帰宅するフジイさん……。

正直すごく地味というか、冴えない休日だなと私自身思ってしまったし、彼の跡をつけた田中さんも同じような感想を抱く。その後、フジイさんと合流した田中さんは「せっかくの誕生日なのにツイてないっすね」と労いの言葉をかけたり、フジイさんのお部屋にお邪魔して彼の意外と多趣味な一面を見た時は「なんか人生楽しそうですね」とか取り繕った言葉をいうのだが、「むなしくねーのかよ」というモノローグ(心の声)がバッチリ出ている。

あぁ、田中さんわかるよ。すっごく性格が悪い発言だけど、心が荒んでいるときは自分より下の人間を見て安心する……的な。多分私が君でも同じようにフジイさんの跡をつけるし、うっかり合流した際には「強がってんじゃねぇよ」の気持ちで同じような言葉をかけるよ。なんだか、主人公ではないサブキャラにひどく共感してしまったけれど、このあと“フジイさんの逆襲”が始まる。

 “他者を立ち入らせすぎない”という生き方

田中さんに何を言われても、真っ直ぐに「今日は良い日でした」と答えるフジイさん。そして顔色ひとつ変えずに自分の人生は本当に楽しい、だから不老不死になりたい、と大真面目にいうのだ。え、こっわ! ポジティブすぎるだろ! と思ったのが正直なところだが、読み進めていけば行くほど、この男がたまらなく羨ましくなる。

その後も陶芸教室に通ったり、整体へ行った帰りに逃げたペットを探したり、なんともマイペースかつ、全然ドラマチックじゃないフジイさんの生活が描かれるわけなのだが。その姿がなんか楽しそうなのである。楽しそうというか、生きて生体として活動すること……“生活”の真髄を見せられているような気がするのだ。そんな彼の生活には徹底的に排除されているものがある。それは、例えば承認欲求やコスパ、タイパ、そういった他者や外部軸のもの。それらが彼の人生には一切介在しない。

別にフジイさんは孤独を愛しているわけでも、ロハスな生活を信仰しているわけでもない。ただ、自分の好きなもの、感情が動くものに正直に生きているだけ。もちろん、時にはある程度他者と関わることもあるが、他者から、世間から、どう思われているか? は自分のなかに取り入れない。つまり、自分の人生に“他者を立ち入らせすぎない”……そんな生き方をしているのだ。

フジイさんを観察していた周囲の人間たちは、そんな彼を見て自分を見つめ直したり、心が軽くなったり、世界が明るく見えたり。フジイさんの知らぬところで勝手に救われているという、平熱の優しさが漂っている『路傍のフジイ』だが、私も1巻を読み終える頃には例に漏れず彼に救われてしまった。

原稿のレスがこないことも、チャットの相手も、まだ見ぬ未来のことも。フジイさんのように一旦他者を自分の中から取り除こう。そうして真っ暗な部屋で布団にくるまって目を瞑ると、さすがに彼みたく「今日は良い日でした」とはまだ思えないけれど、ものすごい速さで過去や未来に行っていた自分の意識が“今”に戻ってきた気がした。

――あの夜偶然出会ってしまった“ジト目”のフジイ。おもしれー男……。

文/ちゃんめい

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