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あなたと私は違うのに。心を閉じさせる「ステルス決めつけ質問」【連載・欲深くてすみません。/第20回】

元編集者、独立して丸8年のライターちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は取材における、あまりよろしくない質問の仕方について考えているようです。

初対面の人にライターと名乗ったとき、こんな質問をされたことがある。
「人の心のシャッターを開ける質問って、どんなものですか?」

そんなものがあるなら、私が切実に知りたいです。人の心は、そんな簡単に、外から開けたり閉めたりできるのでしょうか。
ふむふむ、取材ライターをメンタリストのように「他人の心を操るプロフェッショナル」だと思っている人もいるんだなあ、と思いながら、家に帰る途中ではっと気づいた。

私、「人の心のシャッターを閉じさせる質問」は、知ってる!!

使い所はないだろうが、ここでみなさんにぜひ伝授したい。人の心を堅く閉じさせて「あんたにだけは、私の大切な話をしたくない」と思わせる、魔法の問い方。

それは、問いのなかに、自分の価値観や評価をしれっと練り込み、さも質問という体で相手に投げつけること。
通称「ステルス決めつけ質問」をするのである。

簡単な例を挙げよう。

たとえば、あなたが友達とランチをしていて
「最近、仕事でやりたい企画を提出したんだけど、企画会議で通らなかったんだー」
と話したとする。

そんなあなたに向かって、友達は何気なく、こう言う。
「そっかー。失敗しちゃったときは、どうやって気分転換してるの?」

へ?

あーーー。そうか。企画を提出して通らなかったのは「失敗しちゃった」ということなんだ。
私は「通らなかったかー」と残念には思ったけど、これを「失敗」とは考えていなかった……。まあ一般的に見れば、失敗、なのか……な?

否定するほどではないけど、なんとなーく、もやもやする。

この質問を正確に言い換えると
企画を提出して通らないということを(私は)失敗だと考えます。ところであなたは、失敗したときどうやって気分転換をしていますか?」
である。

友達のほうは悪気なく「企画が通らない=失敗」を、さも世の中の常識のように思い込んでいるのかもしれない。でも、正確にはあくまでその人の価値観であり、その人が「みんなそうだと思っている」ということでしかないはずだ。

つまり前半部分は、友達が自分の価値観を、無自覚に表明しているだけ。後半部分が、あなたへの質問。まったく異なる2つの素材を混ぜ込んで、さも1つの質問のようにしている。

しかし、問われたほうには、強烈な違和感が残る。だって「私」と「あなた」は違うのだから。むりやり「私たち」にされてもな。
人に価値観をやんわり押しつけられるのは、しんどい。さらに、相手が「これは失敗だと私は思います! あなたはどう思いますか?」と正面から聞いてきているわけではないので、反論する隙もなく、じわっと不快な気持ちを飲みこむしかない。

こういうの、日常によくある。

恋人ができたと報告したら「ようやく幸せになれたから、毎日たのしいでしょ?」。えーっと恋人がいなかった私は、幸せじゃなかったのでしょうか?

管理職の昇進試験を受けようか迷っていると話したら「プライベートを犠牲にしてまで働いて、ご両親は心配しない?」。管理職ってみんな、プライベートを犠牲にしてるの?

そんなステルス決めつけ質問を繰り出し続けると、どうなるか。
相手の顔は少しずつ歪んでいく。しんどい、しんどい、あーもう、しんどい……。
がっしゃーん!
はい、完了。心のシャッターを閉じさせることができました。

こうなったら最後、当たり障りのないことならともかく、その人の心の奥深くにある気持ちを聞き出すことは、できなくなる。

決めつけず、押しつけずに、取材をすることが大事です。

――と言えたら、まあ簡単なのだが、人の決めつけや思い込み、価値観の押しつけは、ほぼ無意識下で行われる。誰かの話にただ耳を傾けようとしても、自分の価値判断はどうしたって滲み出てしまう。

そのうえ人の心のシャッターをこじ開けて、大切な話を聞き出そうとする(しかも、私は自分を曝け出すことはしない)なんて。

取材をしていると、ときどき、私はとんでもないことをしているのではと血の気が引くときがある。はじめまして、の数秒後には、相手のプライベートな部分にもずけずけと踏み込み、見出しになりそうな引きのあるエピソードを聞き出そうとしている。そんな自分の姿を鏡で見たとき、ぞっとする。

あなただから語れる話を聞きたいです。事実の羅列ではなく、あなたの感情がぐらりと動いた瞬間について聞かせてください。
深い葛藤、悲しみ、震えるような喜びなど、言葉にしたら何か大事なものが失われてしまうのではと思うようなことについても「今すぐ言葉にしてください」と迫ってしまう。

わざわざ仕事として選んでいて矛盾があるのだが、取材という行為が、相手から何かを奪おうとする暴力的なもののように感じられることも、ままある。「伝える仕事」という使命をまとったふりをして、相手から何かを搾取しようとしていないか。
そう自分を疑うからこそ、せめて私は「私」と「あなた」の間にしっかり線を引いて、取材に臨まなければいけないと、強く思う。

うちら一緒だよね。ふつう、こういうものだよね。私とあなたは、私たち。

そういう同調圧力を、取材の場に持ちこんではいけない。これは「相手の心を閉じさせないため」というよりも、人として、だ。

冒頭で「使い所はない」と書いたが、考えてみれば、ステルス決めつけ質問を戦略的に使う取材者は意外と多いかもしれない。芸能人の離婚会見や政治家の囲み取材では、よくこの類の質問を耳にする。

主語を曖昧にし、「主張」を「質問」に偽装してしまえば、極端な価値観も押しつけられるようになる。そうすることで、わざと相手を不快な気分にさせて、感情的になる一面を引き出したいのだろうな。

ただ、一対一でじっくりお話を伺うインタビューライターの場合は、相手を怒らせることに、あまり得がない。
それに、わざわざ怒らせなくても、人の心の深いところにある話は聞けると信じたい。

自分の「決めつけ」をできるだけ自覚しようとつとめながら、可能な限りフラットな立場で、相手の言葉に耳を傾ける。ただ、読者が期待する話については聞き出したい。その人の生々しい感情、葛藤や喜び、まだどこにも話していない、心がぐらんぐらんと動いたエピソードを、一歩踏み込んで聞きたい。その人にしかない物語を書くために。あっ、もちろん相手を尊重しながら……。

平均台の上を渡りながらヘディングしてお手玉する、みたいな無理ゲーを必死でやろうとしている、今日このごろ。

文/塚田 智恵美

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