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被災9日目に開園した七尾市のこども園 ひまわり 「子どもたちをもう一度園庭で遊ばせてあげたい!」【能登のいま/第10回】

ライターの上田修司です。能登にボランティアに行こうと調べていると、とあるこども園のクラウドファンディングの記事が目に止まりました。気になって内容を読んでみると、未だに園庭で遊ぶことのできないこども園の様子が書かれていました。
七尾市にある、認定こども園 ひまわりの震災後の様子を、園長の都由紀彦(みやこゆきひこ)さんに聞きました。
執筆/上田修司

「1日も早い開園を!」 震災から開園までの9日間

石川県七尾市にあるこども園 ひまわりの園長の都(みやこ)さん。震災後、都さんがひまわりの様子を確認できたのは1月2日の朝。1月1日(月曜日)16時10分の発災時は、自宅にいて、その夜は家族とともに過ごした。

翌日1月2日(火曜日)の朝。園舎の様子を見に行くと、門が完全に壊れ、擁壁(建物が崩壊しないために作られる壁)が割れ、傾き、倒れていた。盛り土の上に作られた園庭に大きな亀裂が入り、壁の大半が崩れていた。一部遊具も使えず、子どもたちと野菜を作っていた菜園は壊滅的だった。都さんはただただ呆然とした。

それでも園舎に入り状況をひとつひとつ確認。電気とエアコンは使えたが、上水道、トイレ、固定電話、重油を使う暖房設備は使用不可。浄化槽などの排水設備、ガスは使用可能か確認が出来なかった。園舎は一部が壊れ、床が傾いている部屋が複数あり、給食室の食器や、保育室の備品は散乱していた。

七尾市の子育て支援課に状況を伝えたほうがいいと思い、携帯電話で状況を伝えた。水の確保と、トイレが使えなかったので仮設のトイレをお願いした。

園のインターネットと電話が使えないので、パソコンを携帯電話のテザリングでインターネットに繋ぎ保護者に連絡をした。Google Formsというインターネット上のアンケート機能を使い、それで園の状況を伝え、児童の状況やひまわりに対する希望を聞いた。児童のご家族とのやり取り、職員との連絡はこの方法を使った。1月8日までの休園を伝えた。

1月3日(水曜日)。職員全員の無事を確認。ただし、自宅が倒壊し避難所に身を寄せている職員が数名いた。金沢の設計会社に園舎の安全性の確認を依頼。水道会社に点検を依頼するも通水しないと点検ができないと返事が来た。

1月4日(木曜日)。8時に集まれる職員のみで今後の対応を話し合い。園内の状況確認と片付けを行う。9日になんとか開園するために環境を少しずつ整備していった。この日から少しずつ支援物資が届き始める。この日は飲用には使えない井戸水10リットルが届いた。

1月5日(金曜日)。午後に依頼していた設計会社の設計士に、園舎の安全性について現地確認をしてもらった。一部使えない部屋があるものの、園舎で安全に保育できるとのこと。大きな前進だった。ガスの点検を受け使用可能と確認してもらった。午後に保護者の安否確認の配信。後日全員の無事を確認。こども園に関わるすべての人が怪我もなく、無事で本当によかったと安堵。

1月6日(土曜日)。仮設トイレが設置された。1月2日に早めに連絡していたのが良かったのかもしれないと都さんは思った。

1月8日(月曜日・祝日)。9日の開園に向けて職員で打ち合わせを行い、環境を整備。無事9日の開園にこぎつけた。

都さんは、自分や職員自身の生活も大変ではあるが、七尾の復興を支える保護者の人たちを、保育を通して支えることが、七尾の1日も早い復興につながると考えていた。なので、1日も早く開園をすることを最優先に考え、1月9日の開園にこぎつけた。

こども園に子どもを預けている保護者には、自衛官、看護師、介護士、水道設備業者、電気設備業者、物流に携わる人など、けが人や病人を救う人、ライフラインを復旧する人、復旧に必要な物資を運ぶ人など、社会を維持し、復旧・復興のために働く人がたくさんいる。「こども園はそういった、エッセンシャルワーカーを支えるエッセンシャルワーカーだと誇りを持っています」と都さんは語った。

「震災が起きて、あらためて『保護者の方々が安心して働けるよう、子どもたちをお預かりしてから、迎えに来られるまでしっかりと命を守ること』を意識するようになりました」

新園舎着工間近に起こった震災と、使えなくなった園庭

園を再開し感じたのは子どもたちの様子の変化だった。外に行くこともできず、長い時間、自宅で過ごしてきたことでストレスが溜まっていると感じた。すぐに泣く、食欲がない、物音に敏感で怖がる、一人でトイレに行けない。震災前は元気に登園していた子どもも、親から離れたがらなくなったり、預かったあとも先生がそばを離れることに不安を感じたりするようだった。地震ごっこをして遊ぶ子もいた。先生たちはそんな子どもを見守りながら、保育する日々だった。

子どもたちを園庭で思い切り走らせてあげたい! 遊ばせてあげたい! 都さんや先生方が、そう思うのは自然なことだった。しかし地震から7ヶ月経っても、亀裂が入って周りの壁が崩れた園庭は使えないままだ。園庭を修理する工事は始まっているのだが、工事関係者の人が全く足りていないこと、工事の規模が大掛かりなことが重なり、なかなか修繕が進まないでいる。

こども園 ひまわり、実は新しい園舎を建設中である。47年経った園舎は、これまでも増築を重ねている。耐震基準は問題ないのだが、園舎が老朽化しており、新しい園舎が必要だと都さんは感じていた。時間をかけて新園舎の計画を立て、震災がなければ2024年1月4日に着工予定だった。新園舎建設のために多額の借り入れをしている。そこにこの地震である。既存園舎や園庭の修繕工事もあって新園舎の建設も、中止や延期になるのではと心配したが、なんとか2月の終わりに着工にこぎつけた。とはいえ、資金が足りない状況であることは変わりがない。

そんなとき、クラウドファンディングをしてみては? と知人から提案された。クラウドファンディングの存在は知っていても、自分がそれをするイメージはなかった。しかし、信頼できる知人の話を聞き、リスクが少ないクラウドファンディングにチャレンジすることにした。目的は現在の園舎の修繕資金を集め、今の園舎での保育環境を良い状態に戻すとともに、新園舎も無事完成させること、子どもたちがのびのびと遊べる環境を取り戻すことだ。現在の園庭は新園舎でも引き続き園庭として使われる。その修繕費用300万円と、今回の震災で使えなくなった保育の備品、遊具、玩具の購入費用と防災用品の購入で200万円の合計500万円を目標金額とした。

安心して子育てができる七尾を取り戻す

能登の里山里海は世界農業遺産に指定されている。こども園 ひまわりがある地域も、山の麓の丘陵地で、水田が広がる里山だ。水辺の蛙、ほのかに光る蛍、鮮やかに色づく木々や稲穂、静かに降り積もる雪を通して、季節の変化を感じることができる。そんな自然の中で遊び、五感を刺激し、様々な体験をしながら子育てをするにはうってつけの環境である。また、祭りや仏事・神事などの伝統行事を通して地域の人とふれあいながら、社会の一員であることを少しずつ自覚しながら、異なる世代との交流を通して人間関係を育んでいく。

「能登・七尾が安心して子育てできる地域であり続けるために、こども園はとても大事な役割を担っている。能登は子育てをするにはとても良い環境です。安心して子育てができる地域にこそ未来はあります」と都さんは言う。

昨年は県外の人に、能登の子育て環境の良さを体験してもらう「保育園留学」事業を、自治体のサポートを受けながら実施した。七尾に2週間滞在しながら、子どもをひまわりに預け、お父さんお母さんにはワーケーションをしてもらった。子どもも大人も、都会ではなかなか体験できない、自然の中での遊びや仕事を体験してもらったのだ。参加者からは「また参加したい!」との声もいただいた。「七尾のことを知ってもらい、体験し、将来的には七尾に移住をしたいと思ってもらえたら嬉しい」と都さんは語った。

都さんの自宅も“準半壊”と認定されている。今は少しずつ家を修繕しながら住んでいるが、「傷んだ箇所を見て見ぬふりをしながら生活している」状態。地震から7ヶ月。都さんのまわりでも、今もたくさんの人が傷んだ家で生活している。やらなければいけないことはたくさんあるけれど「なかなか、気持ちが追いつかない」状態の人も多い。それでも、避難所生活、長期の断水などから少しずつ復旧・復興に向けて歩んでいる。こども園 ひまわりで子どもたちが思い切り走り回れるようになることも、きっとその復興の道のりへの一歩になるはずだ。

「子どもたち、保護者、職員、地域の方といっしょに、焦らず、諦めず、私たちなりの歩みを止めずに頑張っていきたい」都さんは力強く語る。

ひまわりのクラウドファンディングはこちら

子どもの1日は大人の6倍! 「地割れで遊べない」園庭を修繕し、「未来の約束」に繋げたい

文/上田 修司

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