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音楽は耳で聞くだけじゃない。手で歌を奏でる「ホワイトハンドコーラスNIPPON」がめざす社会

近年、BTSやコールドプレイなどのアーティストを始め、エンターテインメント分野でコンサートに手話通訳者を配置する動きが広がっている。聴覚障害のある人も楽しめるように歌詞やMCや音の情報を通訳するためだ。聴者である私は「聴覚障害のある人がどうやって音楽を楽しむのだろう?」と単純に疑問だった。“音楽は耳で聞いて楽しむもの”だと思っていた私の固定観念をぶち壊し、新しい世界を見せてくれたのが「ホワイトハンドコーラスNIPPON」だ。

「ホワイトハンドコーラスNIPPON」は、障害の有無に関わらず、さまざまな個性を持つ子どもたちで構成される合唱団。声で歌う「声隊」と、歌詞を手話で表現する「サイン隊」があり、6歳から20代までの子どもたちが活動している。2024年5月下旬に横浜のあるホールで行われたコンサートで彼らの生パフォーマンスを見た私は、その表現力に圧倒され、思わず涙がこぼれた。

芸術監督として合唱の指導にあたるのは、ソプラノ歌手のコロンえりかさん。えりかさんは、「ホワイトハンドコーラスNIPPON」結成当初から共に活動する写真家の田頭真理子さんと、子どもたちの手歌(しゅか)を写真におさめた作品「第九のきせき」を制作し、その活動がバリアフリーの国際賞「ゼロ・プロジェクト・アワード」を受賞。2024年2月にはオーストリア・ウィーンでの写真展と演奏会を成功させた。

©MarikoTagashira

「私たちは革命を起こせる」と語るえりかさんと田頭さん。彼らの音楽が国境を超えて人々の心を動かす理由、そして子どもたちと実現したい目標について話を聞いた。

聞き手/早川奈緒子

ホワイトハンドコーラス、子どもたちの表現力

ーー横浜でのコンサートを拝見しました。サイン隊が、手や体の動きと豊かな表情で音楽を表現するのを見て、初めて「音楽は聞くだけのものではない」と感じました。えりかさんが聴覚障害のある人と音楽について考えるようになったのはいつごろでしたか?

えりか:大学時代にろう学校を訪問した際、聞こえない子どもたちに歌ってほしい、と言われたことがありました。心の中で「聞こえない人たちにどう歌えばいいのか……」と戸惑いながら、7人の子どもたちに向けて「七つの子」をアカペラで歌いました。すると私が歌い始めた瞬間に、彼らは体を前のめりにして、私をまっすぐな目で見つめ、意識のすべてをこちらへ向けて傾聴してくれました。その姿に、私の歌が彼らに届いている、と深く感動したんです。

私の歌を聞いた子の1人が、休み時間に廊下で「SMAPの曲を知ってる?」と話しかけてくれました。「知ってるよ」と答えたら「今から僕が踊るから、頭の中に曲を流してね」と言うのです。静かな廊下で彼が踊り始めると、私の頭の中で流れる音楽とぴったりシンクロしました。私の耳に音は聞こえないけれど、彼の体からは音楽があふれ出るようでした。私はどうして“聞こえない人は音楽がわからない”と思い込んでいたんだろう、と。それが最初の衝撃体験でした。

2015年ごろにベネズエラに行き、ホワイトハンドコーラスに出会いました。ベネズエラには、すべての子どもが無償で音楽教育を受けられる「エル・システマ」という教育システムがあり、ホワイトハンドコーラスもその取り組みの1つ。ろう者と共に音楽を楽しめることに感動し、2017年にエル・システマジャパンと共に、ホワイトハンドコーラスNIPPONの活動を始めました。現在はエルシステマ・コネクトを母体に、東京・京都・九州地方にも活動の場を広げています。

ーーコンサートでは、声隊のほがらかな歌声と、サイン隊の表現が合わさった音楽に、観客みんなをファンにするようなエネルギーを感じました。同時に、音が聞こえなくても音楽を奏でられることを知って、衝撃を受けました。聞こえない人の場合には、どんなふうに歌を「歌う」のでしょうか。

えりか:音楽の三要素にリズムとメロディとハーモニーがあります。リズムは、手や太鼓をたたくような振動や視覚でパターンがわかるので、聞こえない人もタイミングを合わせやすいです。

メロディは、歌詞の言葉にメロディの抑揚が乗っていることが多いので言葉の意味と一緒に伝えます。たとえば、聞こえない子に「この“おおぞら”の歌詞の音がどうなっているか教えて」と聞かれたら「ここは高くてのばす音になってるから、曲を作った人が空の大きさを表しているんじゃないかな」と伝えると、「それならこう表現したらどうかな」と、右手を頭上へ大きくのばして弧を描くように動かす表現を提案してくれる。そんなふうに、聞こえる人と聞こえない人とが相談しながらメロディの表現を考えます。そしてハーモニーについてはあとで詳しくお話しますが、これも実は手歌で表現できることがわかりました。

ーー本番に向けて、どんな練習をするんですか?

えりか:声隊は初心者から始める子がほとんどです。講師から発声方法を習い、呼吸法を練習して、歌の音を覚えて、ハーモニーを重ねるという合唱の勉強を重ねています。
サイン隊は、子どもたちが主体となって「手歌」を作るところから始めます。手歌は、手話を基本にした動きで歌詞を表したもの。子どもたちはまず、歌詞の意味を理解して共有し、それをどんな手歌にするかを話し合って決めるんです。メロディのフレーズと手歌の動きがあうように、リズムに合わせた手歌表現になるよう、みんなで意見を出し合って考えます。

手歌が完成したら、自分の感情と結びつけて表現できるように何度も練習します。声隊もサイン隊も練習を重ねるたびに鍛えられていきます。

ホワイトハンドコーラスでは世界初の取り組み

ーー先ほど「子どもたちみんなが主体となって手歌を作る」と言っていましたね。もう少し詳しく教えてもらえますか。

えりか:最初は、日本ろう者劇団の顧問を務める井崎哲也さんと私とで考えた手歌を子どもたちに教えていました。でも子どもたちはちっともピンとこない様子でした。「ふうん、よくわかんない」っていう感じ。

ーー田頭さんは初期のころから関わってらっしゃったのですよね? 子どもたちの様子はどう見えていましたか?

田頭:私は2017年ごろにエル・システマの活動に興味を持ち、ホワイトハンドコーラスNIPPONの活動開始のころからその様子を写真におさめてきました。最初のころの子どもたちは、先生に教えてもらった通りにやるだけで、自分から参加する感じじゃなかったよね。私から見たら、先生たちだけが一生懸命頑張ってるように見えて「これは大丈夫なのかな、成り立ってるのかな?」と心配になりました。

えりか:それで、やっぱりやり方を変えよう、と。先生が歌詞を作るのではなく、子どもたちに案を出してもらう方式に切り替えていきました。子どもたちが中心になって手歌を作るスタイルは、私たちが世界で初めてチャレンジしていること。試行錯誤しながらやってきました。

ーー1曲の手歌を作るのにどれくらいの時間がかかるんですか?

えりか:歌詞を手歌に訳す作業は、週に1度のワークショップでサイン隊の子どもたちと一緒に対話をしながら、かなり時間をかけてやっています。早いものでは1カ月くらい、長いものは半年くらいかけて手歌にします。

『ゼロプロジェクト賛歌』という曲では、1つの言葉の解釈に半年ほどかかりました。すでに世界19カ国の手歌に訳されている歌の日本版オフィシャルを私たちが作ることになったのですが、その歌詞に「障害者」という言葉があったんです。

日本の手話の「障害者」は「壊れた」+「人々」と表現されます。この言葉の手歌表現について葛藤をもったメンバーから「どうして壊れた人々と表されるのか」「“障害者”の表現を変えたい」「壊れた人以外に障害者を表すことはできないか」と意見が出て、ディスカッションが半年続きました。そして結局「いろいろな個性の人々」という表現にすることにしました。時間はかかりましたが、このとき「この表現は納得できない」と、よく言ってくれたと思います。

ベートーベンに第九を届けたい。「第九のきせきプロジェクト」のきっかけ

ーーホワイトハンドコーラスNIPPONのメンバーと共に取り組んだ、ベートーベンの第九の演奏と、その手歌を視覚化した「第九のきせき」のことを教えてください。

えりか:早い段階から、子どもたちと一緒にベートーベンの楽曲に取り組みたいと考えていました。とくに第九(交響曲第9番 ニ短調作品125 第4楽章“歓喜の歌”)は、ベートーベンが聴力を失ってから初演された曲です。聞こえない子どもたちにとって、この曲は自分ごととして考えられるのではないかと思いました。また、シラーが作詞した歌詞には「すべての人がきょうだいになり、共に歓びの声を上げよう」というメッセージが込められています。これはホワイトハンドコーラスでこそ取り組むべき曲だと思い、2018年ごろから「第九」を手話表現に翻訳することを始めました。

田頭:「第九」に関しては、3年間ほどかけて歌詞の解釈を続けていたよね。すごいことをやり始めたな、と思いました。

えりか:まず「歓びとはどんなこと?」という問いから始まりました。哲学的で大人にも難しい問いです。でも子どもたちからは「マラソンを走っていて、もうダメかもしれないと思ったら、ゴールの向こうでお母さんが応援してくれたから頑張ってゴールできたこと」といった具体的なエピソードがどんどん出てくるんです。そんなたくさんのアイデアから、どんな手歌でこの歌詞を表すかを1つずつ決めていきました。

えりか:先ほど、音楽はリズムとメロディとハーモニーの3つで表現されると言いました。実は、ホワイトハンドコーラスNIPPONの活動に取り組む数年間で最も難しいと感じていたのがハーモニーを表現することでした。ハーモニーの色合いや温かさ、協和音と不協和音などを手歌で表せたら、もっと声と手歌がひとつになった表現ができるんじゃないか、と。

そこで、第九に取り組むにあたり、ハーモニーの視覚化にチャレンジしてみることにしたのです。第九の第4楽章には、4つの合唱パートが追いかけるように重なり合う「フーガ」と呼ばれる部分があります。そこで、手歌も4つのパートに分けてそれぞれ違う動きで演奏してみました。隣のパートの人が違う動きをしているとつられてしまったりして、とても難しい練習でした。でも、4パート異なる手歌でのハーモニーを表現してみたら、歌っているだけではわからない作曲家の意図のようなものが見えてきたんです。

ーー「作曲家の意図」ですか?

田頭:4パートを異なる手歌で歌うと、ソプラノパートの呼びかけに、バスパートが応える、ようなパートごとの音の対話が目に見えるんです。すごくおもしろいですよね。

その第九の練習中の子どもたちの様子を見ていて、あるインスピレーションが湧いたんです。彼らの手の動きを光で視覚化できるんじゃないかって。

光の軌跡を撮影して、手歌を1枚の写真に閉じ込めた

ーーそのアイデアはどうやって浮かんだんですか?

田頭:写真家として子どもたちの活動を撮影しながら、手歌は写真ではなかなか伝えるのが難しく、どう表現するか試行錯誤していました。この子たちのエネルギーをどうにかして表したい、その方法をずっと考え続けていたんです。

2021年の第九の本番前はコロナ禍で大変なときで、毎日メンバー全員が検査をしてから練習室に入り、ピリピリした緊張感がありました。だけど、そんな中でも子どもたちは自由でエネルギーいっぱい。ある日練習を見ていたら、楽しそうに手歌を演奏する子どもたちの指先から光が放たれているように感じたんです。私にとって、それは希望の光のように見えました。

この子たちから放たれる光を写真で表現できれば、ホワイトハンドコーラスの素晴らしさ、おもしろさ、魅力が伝えられるんじゃないかなと。彼らの音楽を視覚化できるのではないか、と。

ーー手歌の動きを表現するために指先にLEDが入った手袋をつけたのがとてもユニークです。

田頭:単純に、子どもたちの指先から光が放たれていたことをヒントに、手の先に光をつけてみよう、と。光の軌跡を写真で撮影する技術的な知識はあったので、まず指先が光る手袋をネットで探しました(笑)

えりか:「光る 手袋」で検索したらけっこうたくさんヒットしたんだよね(笑)。秋葉原に行って大量に買い込んだりして。

田頭:子どもたちに手袋をしてもらって、真っ暗な空間で第九のいくつかのフレーズを表現してもらい、それを撮影して作品を制作しました。そして12月の東京芸術劇場の公演にあわせて展示会ができたら……と思ってギャラリーの空き状況を問い合わせたら、たまたま11月に4日間だけ空いていて、展示会をすることができたんです。それが「第九のきせき」プロジェクトの始まりです。

えりか:思いついてから写真展までの準備期間が短すぎて、田頭さんは7kgくらい痩せてたよね(笑)

田頭:そうだったね(笑)。でも運命を感じたからどうしても実現させたかった。
第九の歌詞を手話言語によって視覚化する試みは、おそらく世界で初めてのこと。お客さんの反応が心配でしたが、ろう者のお客さんが写真を見て「音楽を感じた」と言ってくれたんです。その感想を聞いて「よかった、この活動を続ける意味がある」と強く思いました。

そのあと、ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森®️」の代表である志村季世恵・真介ご夫妻に声をかけてもらい、2022年4月から第2回目の写真展「第九のきせき」を開催することになりました。

この準備にあたる中で、視覚障害のある人に写真展で第九を楽しんでもらうにはもっと工夫が必要だと気付かされました。そこで、特殊なプリンターで立体的な凹凸をつけて写真をプリントし、手で触れて手歌の軌跡を感じられる写真を制作しました。

ーーさわってみると、手と光の軌跡の部分が立体になっているんですね。

田頭:はい。この4枚は、先ほど話した第九のフーガの3小節ほどのフレーズを視覚化したものです。右上と左下のアルトとテノールは「歓び(Freude)」を表し、左上のソプラノは「聖域(Heiligtum)」、右下のバスは「キス(Kuß)」を表しています。

アルトとテノールの「歓び」という歌詞の表現は、実際に動く手歌を見ると同じように見えるんです。でもこんなふうに光の軌跡を撮影するとそれぞれの個性によって全然違うことがわかります。合唱の歌声が人それぞれ違うように、手歌で同じ言葉を演奏しても表情も形も違う、というのは、光の軌跡を瞬間的に切り取ってみたからわかったことでした。

ホワイトハンドコーラスNIPPONが世界へ羽ばたいた瞬間

ーーその後、どんなきっかけで世界へ挑戦しようと?

えりか:2021年の第九を演奏したコンサートで、この子たちの音楽を世界の人に知ってもらいたい、と決意したできごとがありました。本番が始まる前の舞台裏で、子どもたちに「ベートーベンは聴力を失って、自分が作曲した音楽が聞こえなかったんだよ」と伝えたんです。そうしたら「ベートーベンが私たちの手歌を見てくれたら、自分の音楽がどんなふうに演奏されたかわかるね!」という子や、天に向かって手を掲げて「ベートーベン、見てください!」と呼びかける子もいました。この子たちの演奏を本当にベートーベンに見せたい、と使命を感じました。

ーーそれですぐにヨーロッパへ行く準備を始めたお2人の行動力がすごいです。

えりか:2024年は第九の初演から200年記念の年です。「2024年にヨーロッパで写真展を開きたい、子どもたちも連れていきたい」という思いで、2023年3月に田頭さんと2人で、ベートーベンの生まれ故郷であるドイツのボンと、第九が初演されたウィーンに行くことにしました。

まずはベートーベンの生家で今は博物館になっているベートーベンハウスをめざしました。渡航前にあらゆる手段を使って連絡を試みたもののかなわず、アポなし・飛び込みで、月曜日の朝にベートーベンハウスのドアをノックしたんです。受付の女性に「日本から来ました。話を聞いてください」と「第九のきせき」の写真を見せたら、すぐにアシスタントディレクターの男性につないでくれました。

さらに詳しい動画資料などを見てもらい「子どもたちの第九をぜひベートーベンに見せたい」と私たちの思いを伝えると、彼は驚き「すばらしい。説明はいらない、ぜひやろう」と。そこからトントン拍子で話が進み、数日後には「来年ぜひ一緒に何かやりましょう」とのメールが届きました。

田頭:そして、2024年にベートーベンハウスで配布する年間プログラムに、「第九のきせき」の子どもたちの写真を起用してくれることになったんです。表紙を含め20ページにおよんで「第九のきせき」がメインビジュアルに採用されました。そのパンフレットに日本人写真家の作品が起用されたのも初めてのことでした。

田頭:世界に向けて発信するのは並大抵のことではないことはわかっています。それでも、「第九のきせき」という新しい形の第九は世界で認めてもらえるんじゃないか、という確信はありました。飛び込みでプレゼンをして熱意を伝えたら、それが現実となったんです。

えりか:ボンのあとはオーストリアのウィーンに渡りました。1週間の予定でしたが、スケジュールを詰め込んで食事の時間もないくらい、いくつもの企業や団体にプレゼンをしにいきました。まずウィーンのヴェストリヒト写真館を訪問し「第九のきせき」写真展の開催が決定しました。そして、障害者のバリアゼロを追求して活動するゼロ・プロジェクトオフィスを訪ねてプレゼンをしました。そこで出会った、ゼロ・プロジェクトのディレクターと創立者が私たちの思いを聞いてくれ、国際会議「Zero Conference2024(ZeroCon24)」に子どもたちを連れてきて、会議の参加者と共に第九を歌おうと提案してくれたのです。

ーー1週間のうちで次々にすごいことが実現していったんですね……!

田頭:ミラクルがいっぱい起きたんです。

えりか:帰国後から、ウィーンでの写真展開催と、子どもたちの演奏に向け準備が始まりました。4月に希望者全員をウィーンの舞台に連れて行こうと決め、東京・京都・沖縄から渡欧するメンバーを募りました。

海外公演となると、子ども自身が自分のメンタルとフィジカルの管理ができるかどうかを確認する必要があります。それらを確認しつつ希望者と面談をして、結局80人のメンバーと渡欧することにしたのです。日本手話をベースにしていた第九の手歌を、ドイツ手歌版に作り直して、練習しました。

ーー活動の中で、難しかったことはありますか?

えりか:ウィーンでの公演に向けて、12月に沖縄でコンサートを開催してドイツ版の第九を演奏しました。そのとき、世界で演奏するのにこれではまずい、というくらい準備ができていない状態でした。希望者80人全員をヨーロッパに連れていくためにクラウドファンディングで資金集めも行って、みなさんが応援してくださっているのに、どうしよう……と。子どもたちの士気を上げる難しさを感じました。

ーー2カ月後にはウィーンで本番が控えていましたよね。

えりか:メンバー1人ずつテストをして、クリアしなければウィーンには行けない、と発破をかけました。もちろん、全員を連れていきたいから、だれも落とすつもりはなかったんですけど……。

でも、それで子どもたちにもスイッチが入ったようでした。子どもの中から「自主練をしたいんですけど、みんなに呼びかけていいですか」と声が上がったんです。テストに備えて、子どもたちがパートごとにオンラインで集まって、お互いに教え合いながら自主練が始まりました。

彼らは、小さい子どもだとか、障害があるとかないとかに関わらず、自分がやるべきことを果たす責任がある、と自分たちで気づいてくれたのです。そして、責任を果たすために自分たちで支え合うことを学んでくれた、そこまで成長してくれたことが、涙が出るほど嬉しかったです。子ども同士の教えあいが活発になるほど、全体の演奏レベルがぐんぐん上がっていきました。ピンチが訪れるほど、それが成長のチャンスにつながると実感したできごとでした。

ーーそして、オーストリア・ウィーンでの公演。子どもたちの様子はどうでしたか?

えりか:ウィーンでは、「Zero Con24」のプレイベントとして、オーストリア国会議事堂で演奏を行いました。ゼロ・プロジェクト・アワードの授賞式に参加し、続いて、国連ウィーン事務局で行われた「Zero Con24」の閉会式で、ウィーンの合唱団との共演により第九の第4楽章を演奏しました。

©Miyuki Hori

えりか:子どもたちは、自覚と責任を持った立派な一人の市民としてステージに立ち、すばらしい集中力で第九を演奏してくれました。観客はスタンディングオベーション。涙しながら拍手を送ってくれる人もいました。私たちの音楽が国境を越えたと実感した瞬間でした。子どもたちにとっても大きな自信になったようで、帰国後には、自分のことを自分の言葉でしっかり話すようになった、と家族からの声がいくつも聞こえてきました。

田頭:ウィーンで開催した写真展では、聞こえない子どもたちにガイドツアーをやってもらいました。実はその前に日本で開催した2回目の写真展のときに、当時中学生だったろう者のメンバーにお客さんのガイドをしてもらったんです。最初は聞こえる大人と一緒にガイドしていたんですが、お客さんが増えて忙しくなってしまい、気づいたらその子が1人でガイドをしてくれていました。手話のわからないお客さんに対して、動きで写真の説明をして立派に役割を果たしてくれていたんです。その子のガイドは大人気で「ファンになりました!」という感想をいくつももらいました。それを見て、彼らなら言葉を超えられるんじゃないか、と思ったことも世界に挑戦する大きな理由の1つでした。

ウィーンの写真展でも、子どもたちはお客さんに手歌を交えながら、写真の第九を心を込めて説明してくれました。「第九のメッセージがより深く伝わった」と涙を流して感想を伝えてくれる人もいました。子どもたちが言葉の壁を超えて通じ合う経験は、彼らの大きな自信になったと思います。

音楽教育だけでなく社会へのアクションに

ーーホワイトハンドコーラスNIPPONにはどんな子どもも参加できるんでしょうか?

えりか:ワークショップで大事にしているのは、子どもたちに社会的な負担を背負って練習に参加してほしくない、ということです。どんな経済状況の子どもも、どんな障害がある子どもも「音楽にチャレンジしたい」気持ちを大事にしてほしいので、基本的には月謝はかかりません。応援してくださる企業の協賛や助成金、寄付などで活動を続けています。メンバーの保護者でサポートができる人には、マンスリーサポーターになってもらって、できる範囲で活動に還元してもらうようにしています。
今後活動拠点を増やしたいと考えていて、来年には国内で新たに3カ所の自治体でホワイトハンドコーラスNIPPONの取り組みを開始する予定です。

ーー保護者はどのように関わっていますか?

えりか:私たちの活動は音楽教育だけでなく、1つの社会へのアクションだと考えています。だから単に子どもの習いごとの送迎をする保護者としてではなく、一緒に社会を変えていく仲間として加わってほしいと思っています。ただ、ひとり親家庭などの家庭環境によっては、仕事の都合で積極的に関われない保護者もいるので、できる人に協力してもらっています。
保護者の皆さんの仕事や得意なことを生かして、SNSなどの発信戦略部、公演部、ヘアメイク担当、衣装管理、物販、事業推進といった部活動を作って協力してもらっています。さらに私たちの活動を支援してもらうにはどうすればいいか、みんなで考えているところです。

ーーホワイトハンドコーラスNIPPONの活動を通して、どんな社会をめざしたいと考えていますか?

えりか:1つは来年のデフリンピックまでに「障害者」の手話を変えたいということです。
そして以前から課題に感じていたのは、障害のある子の就職です。ホワイトハンドコーラスNIPPONでどんなにインクルーシブマインドを持った子どもたちが育っても、就職のときに与えられるチャンスの差は非常に大きいのです。障害のない子に比べて、障害がある子は就職面接に応募できる会社の数が少ないのが現状ですし、入社後にも個人の能力ではなく、障害があるという理由で任される仕事の範囲が限られてしまう現実もあります。

田頭:子どもたちがいずれ携わる仕事や職業の幅を広げるための一歩として、今後は企業とのコラボレーションの活動を増やしたいと考えています。子どもたちに関わってもらうことで、企業側の意識も変わるだろうし、子どもたち自身も選択の幅が広がるんじゃないか、って。

えりか:先日、とても嬉しいことがありました。応援してくださっている協賛企業で、社内のインクルージョンを進めたいから、聴覚障害者を迎えたい、ぜひホワイトハンドの卒業生を紹介してほしい、と言ってくださったんです。
そこで、ろう学校とおつなぎして、その会社でどうすればろう者も働きやすいかを人事の方に見てもらったんです。すると人事の方は「難しく考えすぎていました」と感想をくれて、すごく嬉しかった。今後もこのようなつながりができるといいなと思います。
私たちの活動を支援してくれる企業の皆さんと一緒に、社会に変革を起こしていかなくてはいけないと考えています。

ーー「聞こえないと音楽が楽しめない」と思い込んでいたように、障害のある人ができることや困ることについて、知らないことが多いと感じます。

えりか:だれも悪気はないけれど、壁ができてしまっていますよね。障害のない人もある人も、もっと関わりあえる場所ができるといいです。私はよく「できないことじゃなく、できることを見つけよう」と話します。私自身も、ホワイトハンドコーラスNIPPONの子どもたちと過ごす中で、日常的なことで「できない」と制限をかけているんじゃないか、という気付きもありました。

障害があるかないかに関わらず、お互いの個性を受け止めて、自然に助け合いながら成長している子どもたちと関わっていると、固定概念とか、世間体とか、生きづらさといったものから解放されていく気がするんです。だから、私たちは社会も解放できる、革命を起こせると信じています。(了)


コロンえりか:写真左
ソプラノ歌手。ヨーロッパ系の父、日本人の母のもと、南米のベネズエラで生まれ、10歳で来日。兵庫県に暮らし、宝塚市で学生時代を過ごす。聖心女子大学・大学院で教育学を学び2002年に卒業後、英国王立音楽院 声楽家修士課程を優秀賞で卒業。同年、ロンドンのウィグモア・ホール(世界最高峰のコンサートホール)でデビューし、声楽家として本格的に演奏活動をスタート。国内外で演奏活動を続けながら、一般社団法人El Sistema Connectの代表理事、ホワイトハンドコーラスNIPPONの芸術監督として、視覚・聴覚など障害のある子どもたちに音楽を教えている。4児の母。

田頭真理子:写真右
写真家。広島県尾道市出身。高校卒業後、写真家立木義浩氏と出会い写真家を志す。客船「飛鳥」船上カメラマンを経て、2005年キヤノンギャラリーにて初の個展「mobile sense」開催。その後フリーランスフォトグラファーとして活動を開始。2017年に「ホワイトハンドコーラス」と出会い、聴覚や視覚に障害を持つ子どもたちとの関わりの中で得たインスピレーションによって「第九のきせき」の制作活動を開始。第1回SDGs岩佐賞受賞。

第九のきせき2024 “Visible An die Freude”2024 White Hands Chorus NIPPON & Mariko Tagashira
会期:2024年9月4日(水)~10月9日(水)
会場:キヤノン S タワー2階 キヤノンオープンギャラリー2(東京都港区)

HP:https://elsistemaconnect.or.jp/activity/whc-nippon/index.html(公式HP)
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCfdxWfNAkl2ru5NmST0OxfA

撮影/深山 徳幸
執筆/早川 奈緒子
編集/佐藤 友美

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