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自宅でも使えることばの療育教材。「『自分でできた!』を感じてほしい」寺田奈々さん

発達障害と診断される子どもの療育通級人数は年々増えている。文部科学省が発表した、令和2年度 通級による指導実施状況調査によると、調査を開始した1993年時点では約10000人だったのが、2020年の調査では約11倍に増加。支援の面でもさまざまな課題が浮き彫りになっている。たとえば、発達障害の症状のひとつに「ことばの遅れ」がある。その発達を支援するのが言語聴覚士だ。小児分野を専門とする言語聴覚士は日本でわずか8000人程度しかおらず、全国的に支援者が不足している。
この状況に一石を投じるべく、家庭で療育に取り組める教材「コトリドリル」を制作・販売しているのが「ことばの相談室ことり」主宰の寺田奈々さん。制作された療育ドリルや、カード、小物は発売後に順調に販売部数を伸ばしている。販売サイトやSNS上には、「なにをどうしたらいいのかわからなかったけど、これなら家庭でもできそう」「可愛くて使いやすくて親子で楽しんでいる」と、当事者の親子から喜びの声が届いている。奈々さんは30歳の頃、この教材を開発するために、勤務先である医療機関を退職して独立開業した。なぜ安定した職場を捨ててまで、教材開発に心血を注いできたのかを聞いた。 ※本記事は、寺田さんがご妊娠中に取材いたしました。
聞き手/永見 薫

ことばを話せない・理解できない子どもをサポート

──カラフルなパズル! 児童発達支援施設や療育教室に行くと、このカードをよく目にします。どうやって使うのですか?

寺田:これは「2語文つくろうパズル」という商品。色と事物の2つのことばを、続けて話す練習をするための色とイラストのカードです。

ここにある「鳥・ハサミ・帽子・車」の形に穴があいた白い磁石シートと、「赤・青・緑・黄」の4つの色の磁石シートを重ね合わせるという遊びをします。

寺田:例えば、大人が「赤い鳥」を作りましょう、という課題を出します。誘導に沿って、子どもは、穴の空いた磁石シートと、色の磁石シートを組み合わせて、見本と同じ形を作ります。最後に、完成した「赤い鳥」をみながら「赤い鳥だね」と、大人と子どもが共に発声して、ことばと事物を確認します。これが見本合わせの課題です。

また、見本カードを目隠しし、子どもに「青いハサミを作りましょう」とことばだけで課題を伝達することもあります。これがことばの理解課題です。その場合、まずは子どもに穴の空いた白い磁石と色の磁石を組み合わせて課題の答えを作ってもらいます。そして完成後に目隠ししていたカードを見せて、課題の答え合わせをします。

──磁石シート一つで、さまざまな課題を作ることができるのですね。

寺田:そうですね。大人が子どもに出題ができる一方、子どもが出題役になることも可能です。たとえば子どもが「青い帽子!」と課題を伝達し、大人が言われた通りに磁石シートを組み合わせて同じものを作ることもあります。その場合は、2語文を話す表出課題になります。

「あ! 答えがあっていた。できた!」という喜びを実感してもらえる点が、このカード遊びの良さですね。

──どのようなお子さんが対象なのでしょうか。

寺田:カードの標準対象年齢は2語文を話し始める2歳から3歳です。ですが、対象より年齢の大きいお子さんであっても、2語文・3語文を練習したいお子さんであれば、取り組むことができます。

────「言語聴覚士」という職業をはじめて聞く人もいると思います。どのような仕事なのでしょうか?

寺田:私たち言語聴覚士は、会話のキャッチボールの練習、ことばの概念を獲得する練習、助詞の使い方の練習などを行います。お会いするお子さんの年齢はさまざまで、発語の始まる0歳台から中学生くらいまでのお子さんが対象です。練習の際には、市販のおもちゃや、絵のカードや文字のカードといった教材を用いることもあります。

寺田:よく「言語聴覚士は発声や発音のトレーニングをする仕事なの?」と聞かれるのですが、それだけではありません。

もちろん発声や口のトレーニングも行いますが、発語がない人に口の体操を促しても、話せるようになるわけではないんですよ。頭の中に「ことば」が浮かんでこないとことばを発することができないし、会話の練習もできないんです。

──人はどうやって頭の中で理解したことばを発するのでしょうか。どうやってサポートをするのですか。

寺田:「ことば」は、3つの領域に分かれています。「ランゲージ」と「スピーチ」と「コミュニケーション」です。文を話す練習やことばの概念を獲得する支援は、「ランゲージ」の領域にあたります。発音や滑舌の指導など明瞭に話すための練習は「スピーチ」の領域、会話のキャッチボールの練習などは「コミュニケーション」の領域です。

スピーチの領域では、さらに細かく症状が分類されており、声の異常や苦手である「発声障害」、発音の異常や苦手である「構音障害」、流ちょう性の異常や苦手である「吃音」などがあります。

具体的な症状の一例としては、サ行やカ行が上手に言えず、タ行や「ちゃちゅちょ」に置き換わるなどが4~5歳以降から小学生などのお子さんに多い構音障害です。「ぼぼぼぼぼくね」のように話すときに音を繰り返したり、詰まったりすることがあるのが吃音で、こちらも3歳台以降のお子さんによくみられます。

そのほか、難聴のあるお子さんや学習障害(LD)のあるお子さん、医療機関では摂食嚥下領域(食べる・飲み込むこと)が苦手なお子さんも、言語聴覚士の支援対象です。

──子どもがことばを話すときは、耳で聞いて自然と口からことばが出るものだと思っていました。

寺田:多くのお子さんは、誰にも教わることなく自然に耳で聞いてことばを獲得するプロセスが進んでいくのですが、それが難しい人もいます。何気なくできている人にとってみれば、なんてことのない、「ことばを聞く・話す・読む・書く」という活動ですが、実はとても複雑で不思議なプロセスが隠れていると考えられています。私たち言語聴覚士は、この一連のプロセスの一つひとつに対して仮説を立て検証することを繰り返し、困っている人に伴走しています。

子どもが「自分でできた!」と思える工夫を散りばめる

──大人のことばの支援と、お子さんのことばの支援では、何か違いはあるのでしょうか?

寺田:子どもの支援の場合は、特有の工夫が必要です。ことばの練習ももちろん大切ですが、いかに楽しく遊びのなかで自然とコミュニケーションが促せるかも重要になります。

たとえば、子どもの集中力が途切れないように、課題の回数をあらかじめ調整したり、達成感を持たせて終わりにできるよう、最後に必ず楽しい課題で支援を終えるようにします。また、あらかじめお子さんの好きなキャラクターやあそびを聞いておくなど、常にお子さんのツボを探します。

理想は、お子さん自身が「自分の力でできた!」と思える教え方・お手伝いの仕方ですね。お手伝いをする大人はあくまで脇役。「先生のおかげでできた」と感謝されるようでは、まだまだ一流とは言えません。

もともと、「療育」ということばは、「治療」と「教育」という2つの要素が組み合わさっています。昔は脳性麻痺のお子さんに対して使われることが多かった表現だそうですが、今は発達障害(神経発達症)のお子さんにも使われるようになりました。小児領域の言語聴覚士は、対象とするお子さんの幅広さに加えて、保育・教育・医療・福祉と多領域にまたがる分野だからこその難しさがあります。

──言語聴覚士の求められる役割はとても多いのですね。

寺田:支援の数が足りていないのは制度上の課題もあります。高齢者医療・介護領域に比べて、子どもの領域には言語聴覚士が雇用されるための制度が充実しておらず、小児専門の言語聴覚士は圧倒的に人数が足りていません。

ある日勉強会で知り合った知人から、「とにかく現場が逼迫していて大変な状況だ」と聞きました。なんでも外来利用の問い合わせが殺到しているとのことで、その9割以上が言語聴覚士の支援を希望するお子さんだったそうです。

──9割ですか。

寺田:言語聴覚士の大多数は、医療機関で成人の言語指導や摂食嚥下のリハビリテーションをしています。つまり言語聴覚士の在籍するほとんどの医療機関には、支援を希望するお子さんを受け止めることができるほど、キャパシティがない。あるいは、対象の利用者を脳卒中などの既往がある人に絞っているため、そもそも小児を支援対象としていません。

曲がりなりにもそれまで言語聴覚士として医療現場で働いていたのに、小児領域で言語聴覚士の圧倒的な不足が起こっていたという事実をまったく知らなかった。一人の現場の人間として、課題意識の薄さにショックを受けました。

自宅で療育できる教材を作りたい

──ことばの療育を受けたい親子から、言語聴覚士の先生になかなか出会えないという話をよく聞きます。

寺田:地域によっては、患者さん・利用者さんの療育が開始されるまでに数ヶ月かかっています。その後も思うように予約が取れず、2ヶ月に1回程度の療育の頻度になることもあります。

各施設は、新規の患者さん・利用者さんを受け入れるために、すでに通っているお子さんが一定の年齢を迎えると通所を卒業にします。卒業は、施設のキャパシティの都合であるにもかかわらず、「年齢が上がると、言語療法を行っても効果が乏しいから」と別の理由にすり替えられていることもあり、そのことに憤りを感じていました。

支援実施の適応や頻度はお子さんごとに考えるべきであり、年齢を理由に「効果が乏しい」というのは本質的ではありません。適切な頻度が確保できるだけの充分な社会資源がなく、正直歯がゆいです。

しかしいくら私一人が頑張っても、この状況を解決することはできない。なぜならば一人の言語聴覚士が個別支援で一度に支援できる方の数には限界があるからです。一人でできることに限りがあるゆえに「今、困っている人にもっと言語聴覚療法や療育の情報や家庭に届くようにしないと」という危機感が徐々に芽生えました。

療育や言語聴覚士のもとに通えない人にも、自宅でお母さんやお父さんが、お子さんのことばの練習をできるよう、サポートしてあげられるような教材を作りたい。相談や支援に通う間隔が空いてしまうならば、取り組んだことを自宅でも反復できるようにという思いから、おうち療育教材「コトリドリル」の制作を始めました。

世の中の子どもの人数に対して、ことばの発達に悩みを抱えているお子さんの数はごくわずか。私が発信する情報や扱う教材は、狭いターゲットに向けたものなので、そこまで大きな需要があるとは思っていませんでした。しかし想定を超えて、当事者のご家庭や支援施設、保育や教育現場から反響をいただいています。これまで必要な情報がほとんど届いていなかったから、今、多くの反応をもらえているのかな、と感じています。

──どんな方が購入しているのでしょうか?

寺田:初めて購入してくださったのは、発達障害のお子さんを持つお母さんでした。私が発信するSNSの投稿を見てくれたようです。
不明瞭で何を言っているのか分かりづらいおしゃべりが、少しずつ上手になっていく様子が見られて嬉しいと言っていましたね。私も話を聞いてとても嬉しかったですし「その僅かな変化の積み重ねが大きな変化につながるんだよ」と伝えたい気持ちでいっぱいでした。

──教材を制作するにあたってこだわった点はどこですか?

寺田:どんな内容のツールを制作するのかを決めることは、あまり苦労しませんでした。
というのも言語聴覚士は、日頃から教材を手作りしているからです。

イメージは、保育士や幼稚園教諭、学校教師が手作りのおもちゃや知育の教材を用意するのと同じ感覚です。また、制作にあたっては、手作りの教材ではない「販売品」であることを強く意識しました。

初めは制作費が無かったので、職場での勤務を終えて帰宅した後、毎日3つずつコツコツと描き溜めていました。現在はイラストレーターさんやデザイナーさんに依頼しています。

ひとつめの教材ができたところで、まずはオンライン上のハンドメイドマーケット「minne」で完成品の販売を開始しました。発売当初の教材は、どれほど売れるのかわからなかったので、家庭用のプリンターで印刷し、手製本して郵送していました。今思えばずいぶん地道な作業でしたね。

「ことばの発達を支えることばドリル」が月に10冊以上まとめて売れるようになってからは、印刷所に発注するようになりました。ですが素人にとって、印刷は初めて知ることばかり。いろいろ調べて自分で業者さんに問い合わせるのですが、知識がなさすぎてやり取りがちぐはぐになってしまったことも。印刷代の数十万円を支払っても、思うような仕上がりにならず、涙を吞んだこともありました。

──どうしてそこまで熱意を持ち、制作に没頭できるのですか。

寺田:これまで会えなかった患者さんともっと出会いたいからです。療育を必要としているのに、届いていない彼らを、私はとにかく救いたい。

普段、療育教室で会える人たちには、販売品ではなく手作りの教材の提供でも構わないのです。教室内で私が指導をすることができるから、ツールのクオリティが多少低くても、丁寧に指導することで療育のクオリティが担保できるからです。

ですが、直接会えない患者さんにとって、教材は単なるツールとしてだけではなく、教室で行うレベルの療育の要素を盛り込み、家庭で療育を実施できるようにしたい。だからクオリティにこだわりたいのです。

そして、どうせならば、可愛くて心躍る教材の方がよいじゃないかと。だから、デザインにもこだわっています。

──オリジナル教材の「助詞メダル」はまさに心がくすぐられる一品ですね。まるでおはじきのような丸いフォルムでカラフル。可愛らしいデザインに、親の私の心がときめきました。

寺田:対象年齢前後のお子さんが使ってみたい! と思えるような配色やデザインを目指しています。助詞メダルの場合には、お子さんが手に取って操作できるサイズにこだわりました。

「手に職」を探した先にあったのが「言語聴覚士」だった。

──先生は、はじめから言語聴覚士を志望していたのですか?

寺田:実は、はじめから言語聴覚士になりたかったわけではありませんでした。大学時代は芸術系の学部に通っており、言語聴覚士という職業は知りませんでしたね。資格との出会いは就職を考え始めた頃です。大学3年生の時に、「手に職を」と専門職への就職を考え始めて、そこで出会った資格の一つが言語聴覚士でした。

「ことば」にフォーカスした資格ってとても珍しいですよね。外国語を教える語学教室の講師ともまた違います。言語聴覚士は、「ことば」について医学や心理学、言語学、音声学からのアプローチを試みます。概念・理論・行動と横断的な学びが現場で実際に役立てることができるのが面白いと思ったんです。それからは大学卒業後に就職せず、言語聴覚士の2年過程の養成校に進学しました。

養成校で言語聴覚士の国家資格を取得し、最初に務めたのは、高齢者が中心のリハビリテーション病院でした。急性期病院や回復期病院への就職は、言語聴覚士の最初のキャリアとしては王道です。言語聴覚士の養成校を出たあと、多くの卒業生は、成人領域の医療機関に就職します。私も深く疑問に思わず最初のキャリアを選びました。

──そこから、小児領域と出会うのですね。

寺田:はい。社会人2年目の時に有志の勉強会に足を伸ばさなかったら、私は小児領域の言語聴覚士の需要が逼迫した状況であることを知らなかったでしょう。そして、成人領域で仕事をしている言語聴覚士の多くは、その状況をおそらく知らないのだと思います。これはまずいと感じました。

その一方で、当時勤めていたリハビリ病院は激務。日々充実してはいましたが、言語聴覚士として本来やるべき業務以外のことが多いのも事実でした。そうした働き方を見つめなおす意味でも、高齢者がメインのリハビリテーション病院から小児の療育をメインに扱うクリニックに転職し、小児専門の言語聴覚士のキャリアを歩み始めました。

──転職後は、自分の描いていた患者さんとの関わり方はできるようになりましたか?

寺田:そうですね。言語聴覚士としての本来の業務に集中できるようになりました。残業続きだった業務時間も、定時に帰宅できるほどまで減少しましたし。時間に余裕が生まれたので、オリジナルの教材の制作を始めたのです。

実は私、ものを制作することに憧れていたんですよ。高校生のとき、本当は美術大学か服飾デザイン系の専門学校に進学したかったんです。ところが親から反対にあい、結局私は文学部の美学美術史学専攻に進学しました。それでも、芸術系の学科なので、クリエイティブな活動をする友人たちとの出会いがたくさんありましたね。

自分らしい創作活動をしている友人たちの姿を見て、私は羨ましいなと思っていました。対人支援職である言語聴覚士を進路に選んだあとも、「いつかは私も何か創作してみたい」という思いが心の中でずっとありました

──教材を作ることで、自分の「何かを生み出したい気持ち」が満たされたのでしょうか。

寺田:教材制作をしたかった理由のひとつ目は、ことばの発達障害を持つ当事者親子のためでした。これがA面だとすると、一方で自分のクリエイティブ欲はB面。ふたつの「やりたい」があり、これらを同時に満たすことができたと思います。

あえて自分が広告塔になるのは、言語療育の世界を拡散したいから

──教材作りは、医療機関勤務と並行しながら行ってらしたんですよね? 独立したのはなぜですか。

寺田:もっと教材の販売数を増やしたい、多くの人に広めたいと思ったからです。副業だと稼働できる時間が限られているため、制作できる教材の量に限界がありました。

──独立にあたって、不安な気持ちはありませんでしたか?

寺田:独立することが怖くなかったかと言ったら、嘘になります。しっかり経営できるのだろうか、独立前と同等の水準で稼いでいけるのだろうか、という不安と隣り合わせでした。

──ご家族は独立のことをどう捉えていたのですか?

寺田:夫は「教材の販売のみでやっていくのは厳しいだろう」という予想をしていました。「言語聴覚士として相談室を開業し、その付帯事業として教材販売をするのであれば良いのでは」と言われましたが、相談室の立ち上げと教材販売を両輪で回すのはとても大変でした。現在は「ことばの相談室ことり」を運営するほか、「コトリドリル」の教材制作、各種セミナーへの登壇、書籍やウェブ媒体での執筆など複数の仕事をかけ持ちしています。

──なぜそこまでして独立にこだわったのでしょうか?

寺田:リスクもありますが、自分の考えや教材のことなど、自分の責任で自由に発信ができるからです。会社員の場合は、会社に迷惑が掛かってしまうので、表立っての発信はしづらかったという事情もあります。
また商品を販売していると、宣伝が必要になります。大きな会社のように宣伝広告費を掛けることができないので、こうした発信は宣伝活動も兼ねています。

だからと言って、インフルエンサーのように目立ちたいわけではありません。私がSNSを中心に発信を始めた当初は、言語聴覚士・言語聴覚療法の分野ではまだそうした活動をする人はあまり多くなく、情報を探している方が非常に困っているという極端な状況。それを助けたいという理由もありました。私が発信を始めたころから、同じようにSNSでの発信をする言語聴覚士の先生方が少しずつ増えてきました。

このように言語聴覚士・言語聴覚療法にまつわる情報の総量が、社会のなかで増えていけば、当事者が言語聴覚士の存在を知る機会が増えます。さらに、発信した内容を聞いた現役の言語聴覚士や言語聴覚士を目指す人のなかから、小児分野の言語聴覚士を目指す人が増えてほしいと願っています。

──先生が課題だと感じ、今後成し遂げたいことはありますか? 

寺田:言語聴覚士をとりまく世界はまだまだ閉じられており、課題だと思っています。どちらかといえば医療職である言語聴覚士は、日頃、医療福祉や関係者や療育関係者との協業が主です。しかし少し離れた領域・業界、例えば日本語教師などとは親和性の高いと考えており、可能性を秘めています。

英語や語学の先生、話し方講師やボイストレーナーなどの職業との接点もあってよいと思います。産業としても、視覚デザインの領域や玩具、教育教材などとの協業は、まだまだ可能性があるはずです。

とはいえ、他の職種との連携はまだまだ十分とは言えません。こうした異業種との協業をはじめとして、業界の発展に尽力していきたいと思っています。言語にまつわるほかの専門家と関係を持ち、お互いに意見交換や情報交換をしたいですね。交流を持つことによって、徐々に子どもの療育にまつわる関係人口を増やしていきたい。それが私の一番の願いです。(了)

寺田 奈々さん
言語聴覚士/ことばの相談室ことり 主宰
慶應義塾大学文学部卒業。言語聴覚士として総合病院、プライベートのクリニック、専門学校、区立障害者福祉センターなどで年間100症例以上のことばの相談・支援に携わるほか、個人教室として「ことばの相談室 ことり」も開業。また、療育教室に通えない人が「自宅でお母さんやお父さんが、お子さんのことばの療育をできるようにサポートしてあげられるような教材を作りたい」という思いから、家庭用の療育教材「コトリドリル」の製作・販売も行う。専門領域は、子どものことばの発達全般、吃音、発音指導、学習面のサポート、失語症、大人の発音矯正。
HP:https://stkotori.com/
Instagram:https://www.instagram.com/stkotori/
Voicy:https://voicy.jp/channel/2122

撮影/深山 徳幸
執筆/永見 薫
編集/佐藤 友美

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