検索
SHARE

金賞受賞のワイナリー。ボランティアの力を借りて継続したワイン造り「能登の経済と雇用を守る」【連載・能登のいま/第16回】

今回私が訪問したのは、輪島市門前町にある「ハイディワイナリー」。取材の数日後に、ここで造られた「CLARA2021」が日本ワインコンクール2024で金賞を受賞し、話題になりました。
ハイディワイナリーの社長である高作正樹さんにお会いしたいと思ったのは、被災や復旧の状況を伝えるブログ記事を見たからです。そこで、無事だったぶどうの木々を守るべく、高作さんは作業ボランティアの人たちの手を借りながらぶどう栽培を継続していることを知りました。実家がみかん農家で畑に馴染みがある私は、ぶどう畑の作業ボランティアがどんな様子だったのかが気になりました。ボランティアの人たちはどんな作業を行い、高作さんはどんな想いで2024年のワイン造りに取り組んでいるのでしょうか。(執筆/金子 明日香)

海を一望する丘の上にあるハイディワイナリー

ハイディワイナリーの社長、高作さんは26歳の時にワインの勉強を始め、その3年後、2011年に能登半島西側の海辺の町輪島市門前町でワイナリーを創業した。翌年、ぶどう栽培が盛んではないこの町で、ゼロからワイン用のぶどう作りに取りかる。650本の苗木からスタートした畑は、ワインを造れる実を収穫するまでに3年かかった。試行錯誤を繰り返しながら少しずつ畑を広げ、今ではぶどうの木は8,000本を超える。

この地域を襲った震度7の地震で、ハイディワイナリーも大きな被害を受けた。敷地内のカフェ&レストランとワインショップは、地面の隆起による損傷が大きく全壊(修復不可能)。事務所棟や醸造棟は半壊や準半壊と判断された。ぶどう畑までのトンネルも崩落し通行できなくなり、ぶどう畑も地形の変化を受けた。しかし、13年育ててきたぶどうの樹木は幸いにも無事だった。

人手を確保するために、畑の作業ボランティアを募集

高作さんは「このぶどうの木々をなんとか救ってあげたい。今年の収穫はできなかったとしても来年に繋げたい」とブログで記し、動き出した。栽培に必要な人手を確保するために、自身のブログを通して2月に1回目のぶどう畑の作業ボランティアを募集した。ブログ内に応募フォームを設置すると、たくさんの申し込みがあった。

ボランティアの人たちの手を借りてどうにか予定していた栽培の作業を終えると、3月には「2024年のワインを造ろう」と決意する。2回目のボランティアを4月に、続いて3回目は6月に募集した。ボランティアの協力のおかげで、ぶどうの栽培は計画通りに進んでいるそうだ。

これまでもボランティアの募集をしたことはあった。ただ、それは収穫が忙しい時期に1日ほどで、ぶどう狩りのように体験を楽しむイベントの意味合いが強かったそうだ。「作業をしながらもおしゃべりをしたり、みんなで一緒に昼食をとったり、どちらかというと和気あいあいとした雰囲気です」と高作さん。今回はどんな様子だったのだろうか。

ボランティアの人たちの想いをワイン造りに繋げたい

高作さんは「ボランティアの方々が、黙々と集中して作業に取り組んでくださる様子が印象的でした」と話す。

「普段であれば、来てもらった人たちに楽しんでもらえたらと思うのですが、こんな時ではあいにくそういうわけにもいきません。申し訳ないなと思う気持ちを感じながらもボランティアの方々をお迎えすると、みなさん真剣に作業を進めてくれて、不安な気持ちも吹き飛びました。

黙々と作業をしてくださる姿は、とても心強かったです。『被災地のぶどう畑を手伝いに』ボランティアに来たのだ、というみなさんの想いがまっすぐに伝わってきました」。

震災後3回に分けて募集したボランティアは、時期によって必要な作業が違うので、お願いした作業も異なる。

朝のぶどう畑の様子

具体的には、剪定(果樹の生育を調整のために枝を切り落とす)や枝払い(切った枝を集める)、つる取りなど。ぶどうの生育に必要な作業を行ってもらい、ぶどう畑での作業に必要な道具は高作さんたちが用意した。

1回につき1週間から10日ほどの期間で、1日あたり5名ほど作業に当たってもらったそうだ。門前町付近の宿泊施設は営業を再開しておらず、ほとんどのボランティアの宿泊先は金沢。旧道や崖沿いの道を通り、門前町まで来てもらうには車で3時間半近くかかる。

ボランティアの方は1人での参加者が多かったという。

「普通、仲を深めるためにお互いの話をしたり、後日やりとりをするために住所を聞いたりするものですが、今回はそのような雰囲気はありませんでした。みなさんとは、住まいや職業などの話はあまりしなかったですね。

『自分の1日を、被災地のために力を貸したい。限られた時間でできるだけたくさん作業したい』、そんな気持ちを感じました」。

いつもは地元のおじいちゃんやおばあちゃんなどのシルバー人材の方々を中心に人を雇い、手を借りながらぶどう畑の栽培をしている高作さん。しかし、近隣の被災状況から、今回は地域の方々からの協力は見込めなかった。そんな時に来てくれたボランティアの人たち。

「スケジュール調整や宿泊先の確保など、大変だったはずです。ご自分の仕事を休んでまで、わざわざ私たちのために貴重な一日を費やしてくれた。そうまでして私たちを助けに来てくれた行動に込められた想いや意味を、しっかりと受け取ってワイン造りに繋げようと思っています」。

「2024年のワインを来年以降の雇用に繋げたい」

高作さんはワイン造りを始めたのは「街の中核になるような産業に関わりたい」と思ったから。その時思い出したのは、高校時代のスイス留学で見た街の光景だったそうだ。地元の料理を楽しみながら、ぶどう畑やワイナリーを中心に地域の人々がにぎやかに活気づく街の光景。自身もそんな地域経済と結びつく仕事がしたいと思い、一念発起した。日本やフランスのワイナリーで修行を積み、ぶどう作りに適した土地を探し、能登に自身の醸造所を構えた。ハイディワイナリーの『ハイディ』の由来は、名作『アルプスの少女ハイジ』。思い出の場所でもあるスイスが舞台の作品である。

ボランティアの方々の力を借りて造る2024年のワインは、今年一年をしのぐためだけのワインではない。

「ワイナリーの根幹にはぶどう畑があって、地元の働き手がいないと成り立ちません。働き手の方々が何年も一緒に仕事をしてくれたおかげで、成り立つ産業なんです。この先も地元のおじいちゃんやおばあちゃんに継続した雇用を提供するためにも、今年のワインをみなさんに買って飲んでもらえたら嬉しい」と、高作さん。その売上が、今後の能登の産業や経済の循環に繋がる。

能登を訪れ、実際に海底隆起を見た後に読む震災の報道は、今までよりもずっと近く感じるようになった。ニュースを聞くと、高作さんをはじめ門前町で出会った人たちの顔や街の景色が浮かぶ。これは今回能登とのつながりができたから生まれた、自分の大きな変化だ。

応援メッセージがたくさん書かれていた訪問客用ノート

7月20日訪れた、ハイディワイナリーの仮設ワインショップに置かれた訪問者用のノートには「また来ます」と書いた。ハイディワイナリーの海の見えるぶどう畑に、私も行ってみたいと思ったからだ。

取材から5日後の7月26日、今回で20回の節目となる日本ワインコンクール2024で、ハイディワイナリーのワイン「CLARA2021」が欧州系品種白ワイン部門で金賞を受賞した。過去最多の161のワイナリーが参加、計941点のワインから選ばれるという快挙だった。

受賞した「CLARA2021」。公式サイトの説明ページには、「醸造から3年後を味わいのピークとするワイン造りを目指す」と書かれている。今年がまさにその3年目だった。受賞の報を受けた高作さんは、ブログにこのように書いている。

今年は色々なことがありました。

13年前、軽トラック1台と苗木650本を抱えてゼロからスタートしたワイン造りという大きな挑戦。それが、1/1の大地震により一瞬にして崩れ落ち、何もかもが先行き不透明な状況に陥りました。
ただ、先が見通せないからといって、13年間少しずつ積み上げてきたものを途絶えさせたくない。そんな強い想いだけが、あの時の不安な気持ちを払拭させていたように思います。

(中略)

13年前、何もないまっさらな畑から、眼下に広がる青い海を眺めて「ゼロから頑張ろう」と心に決めた日。あの時のような初心に返り、地域の復興に少しでも貢献できるようなワイン造りに邁進していきたいと考えています。

ワインは積み重ね。ワインは継続。だから雇用を守りたい。
そう話していた高作さんの顔が浮かんだ。(了)

原稿を書き終えたあと、9月21日から22日に能登地域を襲った豪雨で、門前町各地でも冠水や土砂崩れが相次ぎました。ブドウ畑の周辺は孤立地域となり、地域の方々と連絡が取れない状況が続いたそうです。その後無事が確認でき、孤立も解消されたと高作さんから連絡がありました。
この豪雨による被害は、震災の時以上に苦しいものだったそうです。しかし、地元の土建業者の方々の昼夜を問わない奮闘が孤立地域の解消や人命救助に繋がった様子を見て、高作さんも気持ちを立て直したとのことでした。現在はブドウの収穫がようやく完了し、2024年のワイン醸造が始まっています。年末年始には、各地でワインイベントへの参加が予定されているそうです。たくさんの苦難を乗り越えワイン造りを続ける高作さんの姿に、「私もがんばろう」と勇気をもらっています。

writer