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「自分たちがつまらなくなったら解散」大人も一緒に踊りだすケロポンズの魅力に迫る

幼稚園や保育園で圧倒的人気を誇る、保育界のスーパーアイドルがケロポンズだ。運動会やお遊戯会の定番曲でもあるケロポンズの代表作「エビカニクス」のYouTube動画再生回数は、1億5千万回を突破(2024年9月現在)している。ケロポンズに魅了されるのは、子どもだけではない。『しゃべくり007』『人生が変わる1分間の深イイ話』『ぐるぐるナインティナイン』『アウト×デラックス』『ZIP!』『スッキリ』等、テレビ出演も多数。内容盛りだくさん、笑い満載のコンサートでは、親世代・祖父母世代も巻き込み会場全体を盛り上げる。日本最大級の野外フェス『フジロック』では、2024年に10回目の出演を達成した。
ケロポンズ結成初期から映像作品で共演してきた児童エンタメ業界出身のライターが、子どものみならず大人まで引き込むケロポンズの秘密を聞く。

聞き手/村田 幸音
編集/佐藤 友美

やったことがないことは、なんでもやってみる

━━先日行われた『FUJI ROCK FESTIVAL ’24』では、10回目の出演を果たしました。ケロポンズのファンの間では、夏といえばフジロックがすっかり定着した気がします。

ケロポンズのケロちゃんこと増田裕子さん

ケロ:最初にオファーがきた時は、嬉しくてテンションがあがった反面、不安も大きかったですね。お客さんの層がいつもの親子コンサートとまったく違うし、ほとんどの人がケロポンズのことを知らない場所ですから。

ポン:私たちふたりとも音楽フェスに行ったことがなかったので、会場の雰囲気もわからない未知の世界という感じでした。ただ、ケロポンズ結成の時に決めていたことがあって、それが「やったことがないことは、なんでもやってみよう」だったんです。

 ケロ:そうそう。だから、まずはやってみようってね。

ケロポンズのポンちゃんこと平田明子さん

ポン:出演のオファーをいただいた2013年ぐらいは、昔から通っていたフジロッカーが大人になって子どもを連れてくるようになった頃で。会場に小さな子が増えてきたタイミングだったんですって。子どもたちのためのステージなら、いつものケロポンズのステージのままできるかもしれないと思いました。

ケロ:それでも、行くまではかなり緊張していましたね。

━━実際にフジロックに出演してどうでしたか?

ケロ:出演したAVALONステージは、森の中にある緑に囲まれた野外ステージなんです。緑を通り抜けてきた風を感じながら、歌ったり体操したりするのが気持ちよくて。客席が近いのでニコニコしたお客さんの顔がよく見えて、それまでの不安がスッとなくなりました。

ポン:「エビカニクス」がはじまったら、通りかかった人たちがみんな立ち止まって一緒に踊ってくれたんです。ステージが終わった後も、別の会場ですれ違いざまに「ケロポンズ最高!」と声をかけてくれたり、ビールを飲みながら気軽に「エビカニクスめっちゃ楽しかったです。イェ~イ」って話しかけてくれたり。それが本当に嬉しかったです。

━━ケロポンズの代表曲である「エビカニクス」は、子どもたちだけでなく大人も巻き込まれちゃいますよね。

ポン:「エビカニクス」が収録されているアルバムは、2001年11月にニューヨークで録音しました。ケロちゃんの国立音楽大学の先輩で、ニューヨーク在住の徳家TOYA敦さんから「こっちには素晴らしいミュージシャンがいっぱいいるから、ぜひおいで」と声をかけていただいたのがきっかけです。想像もしていなかった機会で、お誘いをいただいたときは、とても興奮しましたね。

けれども、ある日テレビを見ていたらニュース速報が流れて。2001年の9.11米国同時多発テロです。すぐにケロちゃんに電話して、「テレビつけて!」って。

ケロ:画面には信じられない光景が映し出されていました。なにが起きているのか理解が追いつかずに、頭が真っ白になってしまって。ただ、これでもうニューヨークへは行けないと思ったのを覚えています。

ポン:まわりの人たちからも「無理して行くことはないんじゃないか」と言われました。それでもニューヨークで録音したいという思いも捨てきれなくて。迷いながら、ニューヨークの徳家さんに電話をしたんです。そうしたら「ここで音楽をやめたら、本当にテロに負けたことになってしまう」と言われて。「子どものための音楽だからこそ、今、楽しいことをやって届けようよ」って。その言葉に心を動かされて、「じゃぁ行きます!」と即答していました。

ケロ:ニューヨークでの録音は「やったことがないこと」だったしね。これはもう「行くしかないぞ」って。最初の予定通り、10月末に渡米しました。

ポン:同時多発テロから1月半しか経っていないので飛行機はガラガラで、空港もシーンとして人がほとんどいませんでした。けれども街へ着いたら、たくさんの子どもたちがハロウィンの仮装を楽しんでいる姿が目に飛び込んできたんです。

ケロ:私たちがエビとカニの衣装を着てタイムズスクエアでジャケット撮影をしたら、通りすがりの人に「一緒に写真撮ろうぜ!」と言われたり、ポリスマンに「Hei! Shrimp!」と笑顔で声をかけられたりして。

ポン:少しずつですが、みんなが日常を取り戻そうとしていると感じました。日本にいる時には「不謹慎じゃないかな、自粛した方がいいのかな」と心配していましたが、むしろ楽しむことが大切なんだなと。だからこそ、現地のミュージシャンの人たちの熱量は半端なかったですね。「俺たちの音楽、子どもに聞かせるんだろう? 絶対にいいもんつくろう!」って。

ケロ:ミュージシャンの演奏も私たちの歌も、みんな「セーノ」で同時に録音したんです。ドンカマ(演奏する際に聞くガイド音)も使わずにお互いの呼吸で合わせて演奏しているから、グルーブ感がすごい。コーラスも現地のゴスペルシンガーが参加してくれました。

ポン:ノリノリでパワフルに「EBI! KANI!」って歌い上げてくれて、それがもうすごかった!

ケロ:あの魂のこもった歌声は震えたよね。あの時、ニューヨークへ行って本当によかったと思います。

━━「エビカニクス」が多くの人の心を動かすのは、関わった人たちのパワーが詰まったグルーブを感じるからかもしれませんね。

ケロ:「エビカニクス」が有名になった時に、リズムゲーム『太鼓の達人』の楽曲リストに入ったんですよ。でもゲームをプレイしても、なかなかリズムを合わせられないんですって。 

ポン:普通に聞いているとわからないのですが、リズムが微妙に早くなったり遅くなったりしているんです。なんたって本当のライブ録音だから。

ケロ: SNSで「リズムがずれてんだよ」とか書かれていましたね。みんなゲームがクリアできなくて怒っていました。

━━今でもその時の音源を使っているんですか?

ケロ:基本は当時のままです。ただ、2006年に一部分だけ歌詞を変えたんですよね。その時にドラムを少し足しました。

━━「エビカニクス」を発表して4年後ですね。なぜ歌詞を変更したのですか?

ケロ:最初は、「アレルギーの人、食べれない」という歌詞があったんです。私が甲殻アレルギーなので。そうしたらある日、重度のアレルギーをもつ子どものお母さんから、「あなたたちは子どものための曲をつくっているのに、なぜこんな歌詞を書くんですか?」とメールが届いて。自分の書いた歌で傷つけてしまった人がいると知って、ものすごいショックでした。

━━すでに「エビカニクス」が収録されたCDやDVDも発売されていましたよね。

ケロ:それでも、悲しい思いをする人がいるのなら、歌詞を変えなくちゃいけないと思ったんです。関係者の方にご迷惑もかけてしまったしお金もかかりましたが、ボーカル部分を録り直しました。

その後、振付を覚えてもらいやすいように動画をYouTubeで公開すると、幼稚園で動画を見ながら練習した子が、家でもYouTubeを見て家族と一緒に踊ってくれるようになって。歌詞を変えたからこそ、たくさんの方に楽しく聞いて踊ってもらえているのだと思います。あの時にメールを送っていただいて、本当によかったです。

一番大切なのは自分が楽しむこと

━━ケロポンズのコンサートでは、子どもだけでなく大人も一緒になって笑ったり踊ったり楽しんでいる光景が印象的です。大人も巻き込こまれる理由はなんでしょう。

ケロ:あえて「子どもに向けて」と考えて作品をつくることはないですね。大人や子どもは関係なく、常に自分たちが楽しめる、おもしろいと思える作品にするようにしています。

例えば「エビカニクス」は、編集者と3人で飲んでいて「エアロビクスとエビカニクスって似ているよね」と、ほろ酔い気分も手伝ったノリの会話から誕生しました。他にも「猫ふんじゃった」の曲に合わせて動物の鳴き真似をする曲は、いつもポンちゃんが犬や猫をからかって遊んでいるのを見て思いついたネタなんですよ。

ポン:散歩している犬に向かって「ワン!」と吠えて、知らん顔をするんです。そうすると犬が「あれ?今、鳴き声がしたけど犬がいないぞ」ってキョロキョロして。その様子がおもしろくて、猫やカラスなどいろんな動物をからかって遊んでいました。そうしたら、ケロちゃんが「これステージでやってみたい」と言い出して。こんなくだらないことが仕事になるとは思っていなかったので、びっくりしました。

ケロ:だって、すごくおもしろかったんだもん。私たちの曲は、自分がおもしろいと感じたことを共有したい気持ちから生まれる作品が多いのかもしれないですね。

ポン:私たちが本気で楽しんでいるからこそ、大人にも子どもにもハッピーな気持ちが伝わるのではないでしょうか。

━━おふたりを見ていると、いつでもどのような場面でも楽しそうに取り組んでいる姿が印象的です。

ポン:ケロポンズを結成した時に決めたことがもうひとつあって。それが、「自分たちがつまらなくなったらやめよう、解散しよう」なんです。

ケロ:私は以前、音楽活動を楽しめなくなった時期があるんです。ケロポンズの前に活動していたバンド・トラや帽子店では、多い年だと年間120本ぐらいコンサートをやっていました。コンサートが終わって移動して、またすぐにコンサート。同じことの繰り返しの毎日に疲れてしまって。求められるパフォーマンスも、繰り返すうちに固定化していきます。お客さんの期待に応えようとするほど、自由が失われていくような感覚で苦しくて。まるで、自分が音楽サラリーマンになったようでつらかったですね。

トラや帽子店は結成から11年目に休業に入りました。少し悲しい気持ちもありましたが、その頃には胃痙攣を起こしたり、ステージ前に吐いてしまったり。心身共に疲れ果ててしまって、限界だったんだと思います。

だからケロポンズをやる時は、自分たちがおもしろいと思えることを、なによりも大切にしたいと思いました。ポンちゃんと一緒にいるとネタがつきないんですよ。私とポンちゃんはおもしろがるポイントが似ているので、自然体でいられるのも長く続けられる大きな理由だと思います。一緒にやることでおもしろさが何倍にもなるし、今はなにをやっても楽しいですね。

━━お客さまに楽しい時間を共有してもらうために、意識していることがあったら教えてください。

ケロ:例えば「エビカニクス」は、4つの基本ポーズだけで振付が構成されています。その4つを繰り返しているだけなので、誰でもすぐ簡単に踊れるんです。

ポン:最近はYouTubeで予習して踊れるようになってから来てくれる人も増えましたが、今も昔もケロポンズを知らずにコンサートに来る人もいます。だから、はじめて聞く曲でもすぐ参加できるように、1番を見たら2番では一緒に踊れるくらいシンプルな振付にしています。

━━そういえば、私もはじめてコンサートに行った時、すぐに一緒に踊っていました。振付のシンプルさはもちろんですが、ケロポンズのコンサートは心が解放されて自由になる空間だからだと感じます。

ポン:自由を感じてくれるのは嬉しいですね。子どもたちも、一緒に踊る子もいれば踊らずに立っている子もいますが、それでいいんです。

ケロ:コンサートに来たからといって、みんなと同じことをしなくちゃいけないわけじゃないしね。

ポン:背中を向けておもちゃで遊んでいても耳では曲を聞いている子もいるし、楽しくなって動き回っちゃう子もいます。だから危険なことがない限りは子どもの自発的な行動を止めたり、無理に「一緒にやろう」と声をかけたりもしません。みんなそれぞれのやり方で楽しんでほしいと思っています。

アーティストとファンの関係からかけがえのないパートナーに

━━ここからは、おふたりのこれまでのご経験や、ケロポンズの歩みについて伺いたいと思います。

ケロ:私は国立音楽大学の幼児教育専攻を卒業して、幼稚園教諭として働きました。ただ、子どもと一緒に歌ったり遊んだりするのは大好きだったのですが、決まった指導をするのが苦手で。子どもをキッチリまとめられず上司の先生に怒られてばかりで、「自分には向いていない。もう辞めたい」といつも落ち込んでいました。

そんな時、参加したセミナーにあそびうたの講師として来ていた中川ひろたかさんと福尾野歩さんから「子どものための音楽をやらないか」と誘われたんです。おふたりの講座がすごくおもしろくて感動していたので、「絶対一緒にステージに立ちたい。これで幼稚園を辞められる」と思いました。ふたりに誘ってもらったことで、私が本当にやりたいのは幼稚園で働くことじゃない、子どもと音楽に関わる仕事なんだと気づいたんです。幼稚園を退職し、中川さんと福尾さんと3人ではじめたのが「トラや帽子店」です。

ポン:私、実はトラや帽子店の追っかけだったんですよ。

━━追っかけですか?

ポン:学生時代に参加したサマーカレッジというイベントで、トラや帽子店のコンサートをはじめて観てハマってしまって。当時は小学校の先生になりたくて地元の広島の大学に通っていたのですが、学園祭をサボって新潟でやるツアーを観に行きました。

━━トラや帽子店のコンサートのために、広島から新潟まで?

ポン:広島近郊ではコンサートの予定がなくて。はじめてコンサートを観て以来、ずっとトラや帽子店のステージが頭から離れなくなっていて、どうしてももう一度、観たかったんです。

━━トラや帽子店のどこにそんなにまで惹かれたのですか?

ポン:幕が開いた瞬間に会場全体がブワッと沸騰するような熱気を感じたんです。子ども向けのコンサートで、そんな光景に出会ったことがなかったので、「え? なんだこれ?」とびっくりしました。親もノリノリだし、子どもたちは椅子から転げおちて笑っているし、こんなエンターテインメント観たことない! って。あの時の感動を地元のみんなにも体験してほしくて、新潟ツアーから戻った後に、トラや帽子店初の広島コンサートを企画・開催しました。

ケロ:学生さんが主催なので小さな会場を準備してくれているのかと思っていたんだけど、現地へ行ったら800人ほど入る大きなホールで超満員のお客さんが待っていてくれたんです。幼稚園や保育園を駆け回って、宣伝してくれたと聞いて感動しました。

━━ケロポンズ結成は、この広島コンサートがきっかけだったんですか?

ポン:いいえ。この時はまだ、ファンとアーティストの関係でした。当時の私は、教員採用試験に落ちてしまって、卒業後は白紙だったんですね。そこで、東京へ行けばトラや帽子店のコンサートにも行けるし社会見学にもなると考えて、寝袋と着替えだけもって都内に住む友達の家に転がり込みました。

ケロ:その時、ポンちゃんが転がり込んだ友達の家が、偶然、私の家の近所だったんだよね。

━━なんだか運命を感じますね!

ケロ:その頃、私はトラや帽子店と並行してソロでやっていたミュージックパネルシアターの講習会が増えてきたタイミングだったんです。そこでポンちゃんにピアノの伴奏をお願いして、一緒に活動するようになりました。

ポン:しばらくは、ケロちゃんの伴奏をしながらバイトをかけもちして生活していました。そうしたらある日、ケロちゃんが以前に音楽教室をやっていた「りんごの木子どもクラブ」で保育士を探していると聞いて紹介してくれて。ただ、幼い子どもの相手をするのは不安でどうしようかなと。

当時の私は、保育をする人は子どもを正しい方向に導かなくちゃいけないと思っていたんです。けれども、「りんごの木子どもクラブ」の代表の方が、「子どもは人付き合いが上手だから大丈夫。あなたは子どもと遊んでくれればいいから」って言ってくれて。その言葉を信じてやってみることにしました。

━━実際に働いてみてどうでしたか。

ポン:最初のうちは、「先生だから」と気負っていました。今でも覚えているのが、2、3歳児のクラスを受けもった時です。大変そうだし時間もかかっているからと、毎回、小さな子たちの靴をはかせてあげていたんです。そうしたら一緒にやっている先生に「子どもができるようになるチャンスを奪わないようにしよう」と言われて。できないって、ダメなことじゃなくてチャンスなんだとハッとしました。

━━手伝っているつもりが、チャンスを奪っていたと。

ポン:小さな子たちは時間がかかっても、自分でちゃんと靴をはけるようになるんです。大人の都合で手伝うのではなく、見守っていればいい。小さいからといって子ども扱いしない、一人の人間として付き合えばいいんだと学びました。

それからは、保育も無理に背伸びせず自然体でやらせてもらいました。自然体すぎて、子どもから「ポンちゃんは大人なのに、毎日遊んでいていいよなぁ。うちのお父さんは、毎朝会社に行ってるよ」なんて言われたこともあります。

りんごの木では5年間保育士として働きましたが、むしろ自分が育てられたと思っています。

ケロ:私は、ポンちゃんが子どもたちとのびのびと過ごしている姿を見て、一緒になにか新しいことができそうな予感がしました。ポンちゃんが伴奏だけでなく、隣で歌ったり踊ったりしてくれたら楽しそうって。トラや帽子店の解散が決まった時、「ふたりで組んでなにかやろうよ」と誘ったのが、ケロポンズをはじめたきっかけです。

ポン:私は、「憧れの人の隣に並ぶなんてとんでもない」って。

ケロ:「試しにやってみようよ」とお願いして活動をはじめたのですが、「一緒に歌おうよ」「もっとステージの前に出てきてよ」って言っても、ポンちゃんは「無理です」って言ってどんどん後ろにさがっちゃうんですよ。

ポン:でもある日、音楽仲間の新沢としひこさんがコンサートを見にきてくれて、「ポンちゃんさ、恥ずかしいと思いながらやってるよね?」って言われたんです。「それ、見ている方が恥ずかしくなるから」って。「やるなら恥ずかしい気持ちを捨ててやる、それができないならやめる、そのぐらいの気持ちでやった方が良いよ」と言われました。その言葉が胸にズンときて。

ケロ:新沢くんが、ポンちゃんがメインの体操曲「へっちゃらぽんち」の歌詞を書いてくれて。どんどん前に出るようになったら、ポンちゃんはあっという間に子どもたちの人気者になりましたね。

ポン:それからは、ふたりでやる曲を少しずつ増やしていきました。この後、クレヨンハウスの雑誌『クーヨン』であそびうたの連載がスタートして、たくさん曲が増えたよね。

ケロ:「エビカニクス」もこの連載で生まれたしね。

ポン:「エビカニクス」の動画をYouTubeで公開してからは、自分たちの知らないところでたくさんの人に見てもらえるようになって。年間80~100本くらいコンサートをやっていて、スケジュールも1年先まで埋まっている状態でした。その頃、私の妊娠がわかったんです。出産ぎりぎりまでステージに立つ予定でいたのですが、切迫流産で管理入院になってしまって。双子の妊娠だったこともあり、ほぼ寝たきりのような状態になり休業するしかありませんでした。

ケロ:ポンちゃんが休んでいる間、私はソロでコンサートを続けていました。でも、やっぱりコンサートで隣にポンちゃんがいないと寂しいんです。早く一緒にやりたいなと思っていました。

ポン:私もすぐに復帰するつもりだったのですが、出産の翌朝、着替えのために体を起こしたら、目の前に星が飛んでテレビ画面が消えるみたいにシャーっと視界が真っ暗になってしまいました。一瞬、息が苦しいなと思って目を開けたら、看護師さんが慌てて、「今、呼吸が止まっていたので、じっとしていてください」って。血栓症だったんです。そのまま緊急手術になりました。

ケロ:13時間の長い手術を頑張ったんだよね。

ポン:私は麻酔で寝ていたので知らなかったのですが、かなり危険な状態だったと聞きました。家族はお医者さんから「人工心肺を付け替える時にしばらく血流が止まるため、一命を取り留めても元の状態に戻る可能性は低い」と言われていたそうです。

ケロ:私は手術の翌日からずっとコンサートだったので、会場へ行ってからも心配で。でも、スタッフに電話をかけてポンちゃんの様子を聞いたら、「バナナ食べたよ。うどんも!」って言うんですよ。まだ手術して3日目なのに。ポンちゃんの回復力に感動して泣きました。

ポン:出産してから一度も子どもたちに会えていなかったんです。お医者さんから「自己呼吸と自分で食べて排泄。この3つができないと子どもに会いに行けないよ」と言われて。子どもに会いたい一心で頑張って、4日目には車椅子で子どもに会いに行きました。その後、産後4ヶ月でコンサートに復帰しましたが、心臓と肺を洗うために胸を切っているし、肋骨がまだついてないから笑うとものすごく痛くて。

ケロ:「笑わせないでー」って言いながらコンサートをやってたよね。

━━復帰してすぐに歌も踊りもやったんですか?

ポン:ハードでしたけれど、リハビリだと思って頑張りました。当時はキツかったけど、子どもたちも元気に成長して、自分もこうやって今でも歌って踊って。生きているだけでスゴイことだなぁ、感謝だなぁと思いますね。

ケロ:ほんとに生きていてくれてよかった。また一緒にケロポンズとして活動できてありがたいです。長く一緒にやっていると、いろいろとピンチもありますね。私の腕が上がらなくなっちゃったこともあったよね。

ポン:1回目のフジロック出演の前だよね。腕が上がらないと「エビカニクス」が踊れないって話になって。私は、フジロックは逃げないから無理しない方がいいって言ったんですけど、ケロちゃんは「いやだ! 絶対にフジロックで踊りたい」って。

ケロ:はじめてのフジロックだったし、この機会を逃したら次はないかもって思ったんですよ。「エビカニクス」を踊りたい一心でリハビリを頑張りました。

ポン:フジロックでは思い切り「エビカニクス」を踊っていて、ケロちゃんすごいなぁと思いました。

若い人の感覚に刺激を受けながら楽しんで続けていきたい

━━ところで、おふたりは喧嘩しないんですか?

ケロ:ほとんどしたことないよね?

ポン:大きな喧嘩は1回だけありました。ちょっとした気持ちの行き違いが原因だったんですけど、「絶対、いやだと思ってるでしょ?」「そんなこと思ってないよ!」って言い合いになっちゃって。私が感情を抑えられなくなって、肩にかけていた鞄を道路に投げ捨てたんです。そうしたらもう止まらなくて、「なんでそんな風に言うの?」って言いながら、身につけていたものをどんどん道路に投げ捨てていって。

ケロ:急にすごい勢いで上着とかも脱ぎはじめたんですよ。このまま裸になっちゃうんじゃないかと思ってびっくりしました。

ポン:最後に投げるものがなくなって楽器を手にしたら、ケロちゃんが「楽器だけはダメ!」って。それでもう、お互い笑いだしちゃったんです。

ケロ:なんだかおかしくなって、「これは喧嘩にならないや」と仲直りしました。25年一緒に活動してきて、大きな喧嘩は1、2回だけかな?

━━長年活動を続けてきて、時代による変化を感じることはありますか?

ケロ:客席にお父さんの姿が多くなりましたね。以前は、無理やり連れてこられちゃった雰囲気で所在なく座っているお父さんがポツポツいるぐらいでした。

ポン:あとは、動画を見て振りを覚えてから来てくれる人が増えたかな。子どもだけでなく、お母さんお父さんも振りを覚えてきてノリノリで踊ってくれるのも嬉しいですね。

━━子どもたちはどうでしょう?昔とは変わったと思う部分はありますか?

ケロ:子どもはずっと変わらないですね。

ポン:今も昔も、子どもは正直なんですよ。楽しかったら見てくれるし、歌いたければ歌うし、つまらなかったらいなくなります。子どもって素直でおもしろいし、気持ちのいい人たちなんです。「最近の子どもは……」なんて言われるけれど、子どもたちは変わっていないんですよね。

━━ケロポンズのおふたりも、ずっと変わらずパワフルですよね。

ケロ:ただ、年齢的には「いつまでできるか」と思うことはありますね。

ポン:そうそう、体力がね。そろそろ若い人に爪を渡したいかなとか。

━━爪?

ケロ:エビとカニをね。

━━え? 後継者ってことですか?

ポン:やりたい人、いないかなぁ。ちょっと変わった世界だと思うんですよね。

ケロ:実際には後継者はむずかしいと思うので、一緒に楽しくやってくれる人たちがいたらいいなと思っています。うちの事務所の若手に、プッピーズという現役保育士の音楽ユニットがいて、彼らのような若いメンバーと一緒に作品をつくる時間がどんどん楽しくなっています。

ポン:彼らのつくるものは、私たちにはない感覚や発想が多くて刺激的です。若いメンバーとの活動は、ケロポンズだけでは生まれなかった新しい世界を広げてくれると感じますね。

ケロ:彼らと一緒だと、やったことがないことをやってみる機会が、まだ、たくさんあるんですよ。「つまらなくなったら解散」と決めて結成しましたが、まだ、おもしろい。25年たっても、ちっともつまらなくならないですね。(了)

ケロポンズ(けろぽんず)
1999年結成の、ケロこと増田裕子(ますだゆうこ)とポンこと平田明子(ひらたあきこ)からなるミュージックユニット。会場全体を巻き込むステージは、子どもだけでなく大人も一緒に楽しめると評判。年間100公演以上出演する親子コンサートの他、保育士・幼稚園の先生を対象にした保育セミナーへの出演、楽曲・振付提供、絵本の創作なども行い、作品数は1,000作品を超える。
代表作「エビカニクス」のYouTube動画再生回数は1億5千万回を突破(2024年9月現在)。英語・中国語・スペイン語バージョンも公開されている。日本を代表する野外音楽フェス『FUJI ROCK FESTIVAL』へは、2013年より11年連続出演決定・10回目の出演を果たした(2020年はコロナにより開催中止)。

撮影/中村 彰男 
執筆/村田 幸音
編集/佐藤 友美

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