
“不思議”の原点の記憶が呼び醒まされる。『みちかとまり』【連載・あちらのお客さまからマンガです/第22回】
「行きつけの飲み屋でマンガを熱読し、声をかけてきた人にはもれなく激アツでマンガを勧めてしまう」という、ちゃんめい。そんなちゃんめいが、今一番読んでほしい! と激推しするマンガをお届け。今回は、読むたびに大好きな“不思議”の原点の記憶が呼び醒まされるという田島列島先生の『みちかとまり』について語ります。
小さな頃から不思議な話が好きだった。特に「たんかくひめさんと黒いうさぎ」というお話が大好きで、幼い頃夢中になって何度も読み返した。
ある村では夕方になると大人が「たんかくひめ(丹鶴姫)が出てくるよ」といい、子どもたちの帰宅を急かす。言いつけを破り1人で遊んでいると、美しい着物を纏ったたんかくひめが現れ扇で子どもを招く。招かれたその子どもは、身体中がかゆくなって次の朝には死んでいたという。また、あるときは子どもの前を黒いうさぎが横切った。その子供は翌日高熱を出して死んでしまった。どうやら黒いうさぎはたんかくひめの遣いらしい。最後は、夕陽が真っ赤に沈む頃、あの丘の上にたんかくひめはいる……といった詩的な文章で締められていたような記憶がある。
THE・幽霊的な恐ろしさや血が流れるなどのグロテスク表現は一切なく、ただ静かに微笑んで子どもたちを誘うたんかくひめの姿は美しい。そして、たんかくひめという存在の理由もさることながら、彼女がなぜ子どもをさらうのかは最後までちっともわからない。ミステリアスな想像が膨らむ。いずれにせよ、きっと彼女なりのルールがあるんだろう。けれども私たちには知る由もない。ただ、そこに静かに存在して、彼女のルールでそれは行われる。
――不思議は綺麗で、不思議は怖い。
これが私にとっての“不思議”の原点の記憶なのだが、田島列島先生の『みちかとまり』を読むといつもこの記憶が呼び覚まされる。
人間の少女と、人間か神様かになれる少女の物語
『みちかとまり』の舞台は、現代の自然豊かなとある田舎町。小学生のまりが竹やぶに落ちていた不思議な少女を見つけるところから物語が始まる。彼女の名はみちかと言い、人間として生きるのか神様になるのか選べる。そして、その選択権は最初にみちかを発見したまりにあるのだという。
日本古来の説話の香りと斬新な設定によって、導入からとてつもなく探究心をそそられる本作。また、田島列島先生の柔らかな画も相まって、ページをめくるとどこか懐かしいような心地よい風を感じる。例えるなら「たんかくひめさんと黒いうさぎ」で、子どもたちを静かに扇で招くたんかくひめを見た時と似たような気持ち。なんだか夢をみているみたいで「不思議の綺麗な面」とでもいうべきか……。
けれども『みちかとまり』を読み進めていくと、ゆるやかに「不思議の怖い面」へと誘われていく。
きっかけはみちかとまりが入れ替わってしまったこと。まりとして小学校に向かったみちかは、いじめっ子の少年・石崎の目玉をひょいとほじくって食べてしまうのである。そして、その目玉を飴玉みたいにぺろっと美味しそうに舐めるのであった。
ここでやっと私は、みちかは人間ではないのだと思い知る。どんなにまりと姿形が同じで、会話が成り立っていたとしても。人間でも神様でもない宙ぶらりんな存在であるからか、こちらの世界では必要な何かがインストールされていないような不穏さ。これによって、先ほどまで心地よい風を感じていた“不思議”な世界がぐにゃっと歪曲していく感覚がある。
石崎の目玉を取り戻しに神々の世界へ!
みちかがくり抜いた石崎の目玉は、例えるならこれまでの記憶や人格を蓄積したデータベースのようなものであり、実際に目玉が無くなることは起きない代わりに石崎の人格がガラッと変貌してしまう。
いじめっ子の人格がなくなったのだからこのままでも良いか……と、石崎の目玉を土に埋めるまりだったが、これまでの石崎を殺してしまったのではないかと罪の念に囚われ、彼に目玉を返そうとするも時すでに遅し。みちか曰く“神様のクソガキ”が持っていってしまったらしい。こうして、まりは石崎の目玉を取り返すべく、みちかの力をかりてこの世のものではない世界へと足を踏み入れていくこととなる。
神々の世界に通じるという森の中の穴から勢いよく落ちると、そこは自動販売機があったり、みちか曰く「終点まで降りれないから乗ったらダメ」という夜行バスが走っていたり。元の世界と同じようで同じじゃない、胸が高鳴るような「不思議の綺麗な面」で溢れている。
だが、その先には、確かに自分の家なのだけれど、中には亡くなった曽祖母やご先祖様など、死者しか住んでいないという……知らないうちに越えてはならない領域に到達してしまったような「不思議の怖い面」が静かにやってくる。
つまり、『みちかとまり』で描かれる不思議とは、決して綺麗な部分だけではなく、それと同時にもう二度と引き返すことのできない、人ならざる領域への畏れみたいなもの……この2つが表裏一体となっているのだ。そしてこの二面性こそが私にとって強烈に惹かれてやまない“不思議”の正体なんだと思う。
綺麗なだけじゃなくて怖いから、どこからが虚構でどこまでが現実なのか、感情が浮遊する瞬間がある。だからこそ“不思議”は楽しいのだ。
田島列島ワールドに迷い込んでみて
最後に。先ほどから頻出している衝撃ワード“石崎の目玉”だが、実は作中では「石崎のセーブデータ」と呼ばれており、先日発売された最新3巻ではまぁまぁ衝撃的な儀式が登場するのだが、それは「ゆで太郎」の名で会話がなされている。(どんな儀式が予想してみてください)
緊迫したなかにどこか脱力感を生むような、この大胆なワードチョイスたるや。なんだか狐につままれたような、愉快でポカンとした気持ちになる。
あぁ、セリフひとつとっても美味しい、楽しい、不思議な田島列島ワールド。
――不思議は綺麗で、不思議は怖い。
確かにそうなんだけど、『みちかとまり』を読み進めていくとそれだけではない新たな扉を開いてしまいそう。ぜひ、あなたもこの世界に迷い込んでみてほしい。
文/ちゃんめい
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