
なぜ「地球」という名の星で僕らは生きているのか? 『やっぱり宇宙はすごい』
僕のスマホが鳴る。「すぐに病院に来てください、今からICU(集中治療室)に入ります」。上司に急遽席を外すと許可を取り、急いで病院へ向かった。その日は大切な人の退院予定日だっただけに、状況が全く理解できない。頭の端の端で最悪の事態を想定する。到着したときには、一般病棟からICUに移っていた。主治医から状況の説明を受ける。命が危ない。まだ30代。まだ早すぎる。刻一刻と病状が変わり、その度に医師から説明を受ける。常に誰かしらのサイレンのようなアラーム音が鳴っているICUで2回夜を越した。治療選択肢が提示され、まさに命をつなぐ決断を迫られる。本人の代わりに同意書にサインをした真夜中の緊急手術を終えて、なんとか持ち堪えた。
人の命は一瞬で尽きてしまう。
そう思った。
このことを思い出したのは、ある一冊の本を読んだからだ。
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2年半ほど前からPodcastチャンネル『佐々木亮の宇宙ばなし』を聞いている。当Podcastチャンネルは、理学博士で宇宙物理学を専門とする佐々木亮さんが、宇宙の最新トピックスを毎日話している番組。僕のような宇宙に素人でも理解できるように、天文学の最新論文を噛み砕いて解説してくださっている。聞き始めた理由ははっきりと覚えていないが、いろんな情報に触れておこうと思ったのだろう。その佐々木亮さんが、2025年1月に『やっぱり宇宙はすごい』を上梓された。
2024年は、宇宙関連の話題が多い年であったと思う。北欧やアラスカでしか見られないと思っていたオーロラが日本国内で見られたり、種子島宇宙センターから発射されたH-ⅡAロケットに搭載された小型月着陸実証機(SLIM)が、月面に世界初となるピンポイント着陸したり。そう、あの美しいカーテン状のオーロラも宇宙と深く関わっているという。オーロラの出現は「地球」が宇宙に存在する一つの星だと理解できる現象だったのだ。
オーロラは、「太陽フレア」と呼ばれる太陽表面で起こる爆発によって発生する。太陽周辺の物質が吹き飛ばされ、その物質が地球にぶつかり光輝くのだそうだ。太陽の活動には周期性があり、2024年は太陽が活発な時期であったため、巨大なフレアの発生によって、日本国内でもオーロラが出現したとのこと。
残念ながらオーロラは見えなかった。生きているうちに一度オーロラを見てみたい。巨大な太陽フレアが起こると、日本国内でも見られる可能性があるかと思うとワクワクする。また、原理を知ったことで、オーロラを見ると「これが宇宙の中で生きている証拠だ」「生きていて良かった」とこんな感情に出くわすのだろう。
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脳になんらかの刺激を受けると、少し時間をおいたときにふと「なぜ、僕は生きているのだろうか?」と思うことがある。本を読んだり、同僚たちとお酒を飲み大笑いしたり、仕事がうまくいかなかったり、コンサートからの帰り道だったり、サウナから出て外気浴をしていたりと状況はさまざま。この感情をいつから抱くようになったのかと振り返ると、きっかけは二つ思いつく。一つは冒頭に書いた大切な人の命に危険が迫ったこと。もう一つは、自分自身が「命を断ったほうが楽かも」と思ったこと。仕事で1年半もの間、社外でも社内でもずっと謝っていたことがある。悪いことは重なると一言では言い切れないほどのありとあらゆるトラブルが降ってきた。会社に向かう駅のホームで、通過する急行電車を目の前に、「飛び込んだら楽になるのだろうな」と何度かよぎったが、なんとか思いとどまった。まだ子どもも小さい。
生きる大切さを身近に体験してから「五万といる生物のなかで、なぜ人間として命を授かったのだろうか?」「なぜ、今を生きているのだろうか?」と考える。
本書を読み進めていくと、何度も脳に刺激が入っていた。「なぜ地球は存在しているのか?」もちろん地球が存在しなければ、日本も存在しない。日本が存在しなければ、日本人である僕もこの世にはいない。
「ビックバン」と呼ばれる巨大な爆発のような現象で宇宙が誕生したとされているのは、約138億年前のことだ。地球は約46億年前に巨大な隕石の衝突によってできたとされている。これは宇宙全体の歴史のなかでは比較的最近のことだ。日本列島が誕生した時期ははっきりとはしないが、『古事記』によると伊耶那岐神と伊耶那美神によって日本列島の島々を生んだとされている。そして、僕が生まれたのはたったの47年前だ。再び思う。なぜ地球は存在しているのか? 宇宙の誕生にも興味はあるが、身近な地球のほうがより強い疑問となる。そしてその地球になぜ生命を育める環境が整ったのか? 生命が誕生する条件として、「液体の水、アミノ酸などの有機物、エネルギー」が必要とされている。宇宙に地球があり、そこに生命が存在している。科学と神話の融合で、僕らの『命』が生まれているようで、僕の脳では理解が追いつかない。
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本書を読み終わるころに、ふと南の夜空を見上げた。「東京の夜空ってこんなに星が見えたっけ?」と思う。明るく高い建物で空が狭く、星は見えたとしても星座なんかは見えないと思い込み、夜空を見上げることもなかった。久しぶりに見た星座は、オリオン座。中学生の頃に習った真ん中の三つの星と左上に位置する赤みのかかったベテルギウス。
ベテルギウスは地球から530光年離れているらしい。今見えている光は、530年前に光ったものだ。今もこの星は輝いているのだろうか。それは星にしかわからない。
宇宙の歴史の長さや距離の遠さ、刻まれた時間、膨大なスケールを測る定規の大きさが、全く想像できない。しかも、今もなお宇宙は膨張を続けているとのこと。
宇宙から見れば、僕の命の大きさや長さなんか点にもならない。でも、その小さな点の中にある一瞬の輝きは、僕自身にしか見出せないのだろう。ならば、与えられた命を擦り切れるまで使い倒そうと強く思う。
文/牧野 泰尚
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