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すました私と全力の白鳥。中川正子さんの過去と今の往復書簡『みずのした』

はじまりは、この一文。

“全力の白鳥を見たことがある。”  

本書の著者は、写真家の中川正子さん。ある日、中川さんは水路に2羽の白鳥を見たという。白鳥らしく悠々と浮かんでいる1羽の隣で、とんでもない勢いで右往左往している1羽。隣で観光客が笑いながら動画を撮っている。中川さんは、羽をバタつかせながら猛スピードで突進し続ける全力の白鳥が、「自分のように見えた」という。

私が、初めて中川さんを知ったのはInstagramだった。私の見慣れたサッカーグラウンドが映った一枚の写真。美しい光。思わず、息をのんだ。スマホの画面を次々にスクロールする。輝きを放つ写真の数々。Instagramのフォロワー数は4万人超。東京で雑誌や広告など多くの撮影を担当し、執筆やイベントなどもこなす。そんな中川さんが、岡山で暮らしていることを知る。同じ岡山に暮らす私からすると、「なぜ岡山に?」と思わずにはいられない。岡山は活断層が少ない地域といわれ、晴れの日も多く過ごしやすいことから、移住してくる方をチラホラ見かける。「中川さんもいわゆる、二拠点生活ってやつかな?」なんて思っていた。

2024年4月1日。約16年勤務した会社を退職した私は、同日に発行された中川さんのエッセイ集『みずのした』に引きよせられた。

中川さんが、岡山に暮らすきっかけとなる場面が書かれてある。

“それはもう、発作的な衝動だった。(中略)必死の形相で品川駅構内を歩いていたと思う。そうだ、トシオ(夫)にまだ連絡していない。”

東日本大震災の4日後。東京に暮らす中川さんは、もうすぐ1歳になる息子を抱っこ紐に押し込んだ。大量のオムツとタオル、当面の着替えを詰め込んだ登山用のバックパックを背負い、必死の形相で品川駅構内を歩く。新幹線ホームに立ったが、行き先は決めていない。とにかく、西へ。そこで、夫に状況を一言も伝えていないことに気づく。

本書で中川さんは、「あのときは心配しすぎたね」とふりかえる。中川さんは大学時代、翻訳家になろうと留学したアメリカで写真に魅せられ、写真家になると決意した。以来25年、フリーランスの写真家として生きてきた。東日本大震災を機に、引っ越すつもりなんて全くなかった岡山に移住した。けれど、仕事は東京にある。幼子を抱え、岡山と東京を往復する日々。大切な人を亡くした日。「退路を断つ」と住民票を岡山に移した日。中川さんは写真を撮るかたわらで、ほぼ毎日言葉を綴ってきたという。本書では、必死にもがき走り抜けてきた過去の自分を、ときを経て自身でふりかえる。素直に丁寧に、過去の自分とやりとりし、もう一度自分を見つめ直す。

1年ぶりに本書を再読し、私もこれまでの自分をふりかえってみる。

会社を退職して1年が経過した。私が勤めていた会社は、ゆったりした大きな船のようだった。安定した給料、充実した福利厚生、働き方改革も積極的に取り入れる会社だった。東京の本社で決められた会社の経営方針や業務命令を守り、会社の求める姿を目指す。パンツスーツにストッキング、ピンヒールに身を包み、すました顔して仕事をしていた。

そんな私が、挑戦したい仕事を見つけてしまった。

「ライターの仕事がしたい」。しかし、年齢は40歳目前。まだ幼い子どももいる。その上、人脈も、コネも、経験もない。今から仕事を変えるなんて絶対に大変だ。ここまで必死に頑張ってきたのに。でも、挑戦したい。その気持ちを止めることができなかった。ライターの仕事に必要な知識を詰め込もうと、ライター講座を受講し文章術の本を読みあさった。通勤時間はVoicyを聴き、休憩時間はX(Twitter)で先人の経験を学んだ。一方で、身近な人に「ライターになりたい」と打ち明けられずにいた。「いい歳して」「やめとけ」そう言われる空気に耐えられそうになかった。秘密にしておけば、誰かに笑われることも止められることもない。自分を守ることに必死だった。

退職して、フリーランスのライターになった。周りに笑われるとか、年齢なんて気にしていられない。「ライターです」と名刺を配る。ママ友から、「在宅で仕事できるっていいな〜」と言われた。でも実際は、前職より早い時間に子どもを保育園に送り、取材場所に向かっている。取材に遅刻なんてしたら、たぶん次の仕事はない。子どもが発熱したら、アウト。有給もない。やっと寝ついた子どもの隣で、原稿を書く。もっと仕事の質を高め、幅を広げないと、より多くの仕事を任せてもらえないだろう。守ってくれる人は誰もいない。そんなことは想定していた、つもりだった。しかし、現実を目の前にすると、なんとも言えない恐怖が襲ってくる。

一歩でも下がれば、転落する。

私は、崖っぷちに立っている感覚でいた。

とある文章が目に入ってきた。

“順風満帆に見えても、すぐ後ろは崖だ。足を踏み外したらどこまでも落ちていきそう。大袈裟に聞こえるけど、何度も本気で思ったことがある。”

写真家として数々の仕事をこなしていた中川さんが、37歳で第1子を出産後、慣れない子育てと仕事の両立に奮闘する場面だ。

……まて、まて、まて! 

中川さんが崖っぷちなら、私が崖の上にいるはずがない!

しかも、たいして登ってない。あれやこれや考えて、ビビっている自分に気づく。私に失うものは、何もない。一歩ずつ、一歩ずつ登っていけばいいだけだ。

初読時に貼った付箋を見つける。「?」と書かれている。

“過去の自分は必死さと、けなげさと、情けなさがたっぷり。読み返すとぶわっとそのときの感情がよみがえって、彼女を抱きしめたくなってくる。”

1年前、会社を辞めたとき。長年の縛りから解放されたばかりの私は、過去の自分を抱きしめるイメージができず付箋に「?」と記した。すました顔をするのに必死だった過去の自分を、恥ずかしく思っていた。あれから1年。今ふりかえれば、水面下だけ全力のバタ足で生きるしかなかった過去の自分は、なんて健気なヤツだろう、なんて思う。あの頃の自分がいるから、今の私がいる。自由に生きているように見えるあの人も、SNSでキラキラしているあの子も、きっと見えないところでジタバタと必死に生きている。誰しも全力で生きている。ここまで頑張ってきた自分を、ちょっとぐらい抱きしめてやってもいいのかな。

文/メリイ 潤

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