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4年前の、夢の続き。『Nissy Entertainment 4th LIVE 〜DOME TOUR〜』セミファイナルを観て

夢のような時間だったからこそ、ライブのあとの喪失感はものすごい。そんなときのために作られたかのような『The Days』が、今でもずっと脳内で再生されています。

『夢の続きを また見れるように 歩んでいこう』

2023年2月16日(木)・17日(金) の2日間、Nissy(AAA・西島隆弘さん)の「Nissy Entertainment 4th LIVE 〜DOME TOUR〜@東京ドーム」へ行ってきました。

当初はこの東京公演がツアー最終日となる予定でしたが、彼の故郷である北海道、札幌ドームでの追加公演が決定。

(ちなみに全国6大ドームツアーは、ソロアーティスト史上2人目なんだとか)

というわけで、これから札幌公演へ行かれる方のために、セットリストには触れずに(衣装やMCの内容には少し触れています)セミファイナル公演の感想を綴ってみたいと思います。

平成最後の東京ドーム公演をNissyが締めくくってから、早4年。コロナの影響で、4年ぶりのツアー開催となりました。

開催が決定したときは、「やっと会いに行ける!」と全ファンのみなさまが歓喜に沸いたことでしょう。そして、Nissy本人もこのときをどれだけ待ち侘びていたかは、幕前映像からひしひしと伝わってきました。もうこの時点で泣きそうだったよ。

開演前まで「どうしよう楽しみ〜!」とキャッキャしていた、隣席の可愛らしいカップルは、始まった途端「やばい!やばい!やばい!きた!うわ!うわああああああああ」と語彙力を失っていました。わかる。やばいよね。

もうそこからは叫んで、歌って踊って、驚いて、泣いて笑って、とあっという間に夢のような3時間半が過ぎました。バッキバキに踊りながら、国内トップレベルとボイストレーナーから評価されるほどの歌唱力で歌い(全て生歌・バンド演奏)、MCでは変顔もしながら喋り倒すファン思いな36歳。衝撃の魔法使いです。

Nissyは日頃から作詞、作曲、MV、ライブのDVD化の際の映像編集立ち会いまで、自身が提供するエンターテインメントを構成する要素にはほぼ全て関わっていますが、本ツアーも、演出、衣装、映像、ライブの総合演出をNissy自身がプロデュース。

「ここは遊園地ですか?」と錯覚するほど、客席含む会場全体を使ったテーマパークのような演出や、プロフェッショナルが集まったバンドチームによる生演奏ならではの大迫力。ライブを盛り上げる個性豊かなダンスチームと世界的ダンスパフォーマスンスグループs**t kingz kazukiらによるかっこよすぎる振り付け。それぞれの楽しそうな姿と、最高にオシャレな即興ソングをアドリブで奏でてしまうチームワーク。Nissyの世界観や演技も楽しめる幕間映像。そして何より、Nissyの透明感溢れる歌声。加えて豊かな表現力で曲に合わせて男らしくなったり可愛くなったり色気爆発させてきたりするのだから、こちらはもう大変です(何が)。とにかく、もう、全部全部最高でした。

そしてこれは同じツアーに2日以上初めて足を運んだから気付けたことだったのですが、どの座席から観ても、それぞれに違う楽しみ方がありました。これにはちょっと驚いた。というのも、今まで私はアーティストのライブの座席の価値は「アーティストに近いかどうか」で決まると思っていたんです。だから、プレミアムシートの抽選に外れたときも、座席が発表されてアリーナ席じゃないことが分かったときも、少し残念な気持ちになっていました。

しかしドーム全体を使った演出は、アリーナ席でなくても、というかアリーナ席ではなく全体を俯瞰できる場所からだからこそ楽しめた美しさ。

というのも、ツアーグッズの一つであるペンライトは、光を無線操作することができる「無線コントロールライト」になっており、座席情報をあらかじめ読み込ませることによって「その席ならでは」の光を放ちます。そのため、演出に合わせて、というか座席も演出の一部となってさまざまな色やタイミングで輝くんです(座席情報の読み込みは入場時に行われるので、時間には余裕を持って会場へ行くことをオススメします!)。

会場からは「おおっ」「わあっ」という驚きの声や、「うわあ〜」という、うっとりとしたため息が何度も聞こえました。

Nissy自身もドーム全体を使ったパフォーマンスをしてくれるので、メインステージに近い席ではなくても超絶楽しかったです。1日目はバックステージの正面、2日目は一塁側でしたが、両日ともそれぞれ違う角度からの楽しみと発見があり、新しいツアーの楽しみ方を知ってしまいました。同じ演出でも見る角度によって印象が全然違うなんて、どうしよう。全日程回りたくなってしまうではないか……。

それもこれも、アーティストとしてだけではなく、クリエイター、プロデューサーとして、芝居、映像、特殊効果、衣装、カメラなどなど、素人の私が気付けていない細部の細部まで、Nissy自らとことんこだわって作り上げられたライブだからこその感動なのではないかなと思います。

そんな中、一番グッときたのは、シンプルに無地の白Tを着てスタンドマイク一本でとある曲を歌い上げたとき。数々の素晴らしい演出がありながらも(だからこそ引き立ったという側面もある)、ここのパフォーマンスには、歌手としてのプライドと貫禄を感じました。普通に泣いた。

多才であるがゆえに色々な面にフォーカスが当たるけれど、「音楽がやりたくてこの世界に入った。歌手として勝負したい」というようなことをNHKのドキュメンタリーで語っていたこともあるNissy。

とくに俳優業での評価は高く、映画や舞台、月9や大河ドラマで活躍しており、演出家である故・蜷川幸雄氏からは「お前は音楽を辞めて俳優の世界に来い。世の中の荒波に出会ったとき、俺はちゃんと西島くんの側に立って守るから、早く一緒に仕事をしよう」と言われているのを先述のドキュメンタリーで見た。

それでも「本業は歌手である(ありたい)」という決意で、一つひとつ意思決定と実績を積み重ねてきて、今や40万人を動員するドームアーティストとなっている。

ここまでのNissyの苦労は、ファンの私には計り知れないものがあったと思う。2005年にAAAのメインボーカルとしてデビューしてからも、しばらくは月給3万円の寮生活を送り、ライブもライブハウスから始まって、ホール、アリーナ、ドーム……と長い年月をかけて着実に実績を積み重ねてきた。ソロ活動に至っては、事務所の大人たちから賛同を得られなかったそうで、Nissy(西島隆弘さんのソロ名義)としての1曲目『どうしようか?』は、自費で制作したんだとか(!)。

その後、CDの販売枚数やYouTubeの再生回数をもって事務所を説得し協力を得られるようになってきたのか、この辺りは本人の口から語られたことがない(はず)なので詳しくはわからないけれど、いずれにしても、ファンの私たちには想像もできないほどの悔しさや苦労を味わってきたんだと思う。

デビュー当初から深く関わっている一人WHITE JAMのSHIROSEさんは、Nissyのことを『誰よりも、スタジオに入る。誰よりも、資料を作る。こんなアーティストは俺は、見たことがない』とブログに書いていた。

そうやって、一人ひとりに自身が思い描いているビジョンを伝え、仲間を集め、「歌手としての西島隆弘」の夢を実現してきたんだよね。

その努力が実を結んで、今や6大ドームツアーを開催して、40万人もの人々を幸せにしているんだもの。月並みの表現しか思い浮かばない自分の語彙力が悔しいのだけれど、本当に、本当に、すごい人。

私はオーラスへは行けないけれど、次は念願の故郷・札幌での最終公演。「いってらっしゃい!」の気持ちをめいっぱい込めて、最後は拍手で送り出しました。

Nissy、ありがとう。夢の続きをまた見られるように、私も明日からまた頑張ります。

文/小野瀬 わかな

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