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ちゃんめい

“負”が道を拓く瞬間、そして毒へ変わる危うさ『ファミリー・ショー』【連載・あちらのお客さまからマンガです/第28回】

「行きつけの飲み屋でマンガを熱読し、声をかけてきた人にはもれなく激アツでマンガを勧めてしまう」という、ちゃんめい。そんなちゃんめいが、今一番読んでほしい! と激推しするマンガをお届け。今回は、自分の境遇とはまったく重ならないのに、なぜか苦い記憶を呼び起こされた『ファミリー・ショー』について語ります。

――要するに、器用貧乏なキャリアってことですよね。

これは、私が5年前くらいに転職活動をしていた際、自分の職歴を話していた時に、リクルーターの男性から言われた言葉だ。当時の私は、これまでのキャリアを振り返った時、何か特定の分野に特化しているというよりは、多方面のプロジェクトや業務にアサインされることが多く、幅広く、でも悪く言えばひとつひとつが浅い……みたいな。そんな働き方をしていた。

このままこの働き方で良いのか、それとも今後を見据えて何かに特化した方が良いのか。そんなことに悩んでいた頃だったのだが、その際に面談したリクルーターに言われたのがこの言葉である。

いやいや要すらないで、まず人の話を最後まで聞けよ! って今思い出してもじわじわ腹が立つ。せめて言うなら「これまではジェネラリストとして多方面でご活躍されてきたんですね」だろ。まぁ、なんとなく向こうの言いたいこともわかるけど、初対面の人にいう言葉じゃなくない? 器用貧乏って。

影にも火種にもなる言葉「器用貧乏」

その後、当たり前に別のリクルーターに担当を変えてもらい、無事に納得のいく転職活動を終えたのだが。当時言われた“器用貧乏”という言葉は、今でもふとした瞬間に自分の心に影を落とす。その一方で、私の心に火をつけるのだ。

器用貧乏なキャリア。浅いとか中途半端だと切り捨てられた経験が、逆に“そのまま終わってたまるか”という意地や、別の角度から光を探そうとする姿勢を育てたのだと思う。弱みを突きつけられるのは痛いけれど、その痛みがあるからこそ、後々になって自分の輪郭を濃くしてくれることがある。

そうして転職先で会社員として働く傍ら、ライターの仕事をしていた時に、編集さんからこう言われたことがあった。

「とりあえず、ややこしそうな案件はちゃんめいさんにお願いすればなんとかなると思ってるんでこれからもよろしくお願いします!」と。そう言ってライターとしては駆け出しの私に、たくさん仕事を任せてくれた。

当時は、今ほど(今もなお研鑽を積んでいる途中だが)筆力も取材力もなかった。きっと、“器用貧乏”と見なされていたその性質が「マルチにこなせる」とか「柔軟性がある」みたいにポジティブに化けてくれて、皮肉にも私を救ってくれたのだと思う。

つまり、自分の長所からではなく、むしろ短所だと感じていた部分からこそ道が拓けることがある。負の部分を直視して、もがきながら試行錯誤した末にだけ、手にできる何かがあるのではないか。それが、この経験を通して私が辿り着いた答えである。

だが、最近その“負を力に変える”ことが、時に修羅の道にも通じてしまうのだと考えさせられた作品がある。それが松尾あき先生の『ファミリー・ショー』だ。

“負”を力に変える、その危うさ

本作の主人公は、貧乏一家の長女・美言(みこと)。彼女は自分の貧しさを自虐ネタにしてクラスで笑いを取っていた。その一方で、自分の承認欲求を満たすために密かに動画配信を行なっていたが、ある日ふとした瞬間の事故で身バレした上に大炎上してしまう。

炎上をきっかけに改めて突きつけられる、自分が周囲からどう思われていたのか? という真の姿。うまく関係を築いていたと思っていた友人たちは、どこまでも自分を馬鹿にしていたし、どん底に落ちても誰も自分を助けてなんてくれない。自虐して自分を取り繕うことに意味なんてなかったのだ。

そうして、美言は炎上を逆手に取り、自分たち家族の“貧しさ”を売りにした、動画チャンネル「ファミリー・ショー」を開設する。家族にとっての悲劇を喜劇に変えたそのチャンネルは、やがて配信内容の過激さを増していく。それと同時に家族の形もどこか歪に崩れていく……。『ファミリー・ショー』とは、そんなファミリースリラー系作品となっている。

自分の今の境遇とは似ても似つかないお話だが、私が本作で一番ゾッとした上に心を掴まれたのは、美言が「ファミリー・ショー」の動画配信に目覚める瞬間である。彼女は父親にこう提言するのだ。「惨めに見せるんじゃなくてもっと自虐風な感じにして、見てられないから」と。

自虐は免罪符になる。こいつを笑って良いと思った瞬間に罪悪感は鈍り、その鈍った感覚を親近感と勘違いした人間が、お金を落としてくれる。そう割り切った美言は、やがて配信者としてだけでなく企画者としても類稀な才能を発揮し、チャンネルを人気配信へと押し上げていく。

器用貧乏の火は、道半ばにある

つまり、これは彼女がこれまで無理して友人たちの前で取り繕ってきた“自虐”という負の部分が才能に変わった瞬間だ。ただ、私と決定的に違うのは、そこから彼女が修羅の道を歩み始めるということだ。

視聴者を惹きつけるために過激な演出を追い求め、次第に狂っていく家族の姿。自分を馬鹿にしてきた奴らを見返すための配信は、彼女にとって確かな復讐であり、カタルシスでもあるのだろう。だが、その燃え尽きた先に何が待っているのか……。あまりに残酷で、想像することすら恐ろしい。それでも「次はどうなるのか」とページをめくる手を止められない。美言と家族の転落を追いかけるスリルが、この漫画を最高に面白くしているのだ。

“負”は、時に火を灯す燃料になり、時に身を焼く毒にもなる。私は器用貧乏という言葉に火をつけられ、道半ばを歩いている。それぞれの“負”が導く先は違うからこそ、そこから目を逸らさずに見つめ続けることだけは、共通して必要なのだと思う。

――そして、『ファミリー・ショー』を読むたびに自分に問いかけるのだ。私の負は、いま、どちらへと向かっているのだろうか。

文/ちゃんめい

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