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命を阻むものはすべて悪。映画『じょっぱり―看護の人 花田ミキ』

Writer 津田 麻紀子

『じょっぱり』は、青森県出身で地域医療と母子保健に尽くした実在の人物・花田ミキを、同じく青森県出身の木野花さんが演じた劇映画だ。先日、ブルガリアで開催された第21回国際赤十字・健康映画祭において、赤十字特別賞を受賞した。

監督の五十嵐匠さんは、これまで、『SAWADA 青森からベトナムへ ピュリッツァー賞カメラマン沢田教一の生と死』をはじめとし、報道写真家・一ノ瀬泰造の生涯を描いた『地雷を踏んだらサヨウナラ』や、詩人・金子みすゞを描いた『みすゞ』、陶芸家・板谷波山を描いた『HAZAN』など、実在の人物を題材に映画制作を続けてきた青森県出身の監督である。

花田ミキという“同郷の偉人”を描いた作品なのかと思ったら、花田ミキさんは直接的に五十嵐監督の命の恩人なのだという。

『じょっぱり』のホームページには、1960(昭和35)年6月7日の青森県の地方紙「東奥日報」に掲載された「愛のリレーに命拾い」という記事が紹介されている。

「汽車の中で急病のため人事不省となった坊やが、たまたまこの汽車に乗り合わせていた保健婦に命を助けられた」という内容の記事で、「5月25日午後5時50分、奥羽線の列車内で一人の母親が赤子を抱き、『お医者さんはいませんか。助けてください』と狂ったように叫んでいた」というものだ。母親に抱えられた男の子はハシカで高熱を出し、すでに呼吸は止まっていた。乗り合わせていた保健婦の手当てと適切な処置で、浪岡駅→自衛隊ジープ→浪岡病院→青森とリレーされ、危ない命を救われた。

このときの坊やが当時2歳だった五十嵐匠監督であり、その保健婦こそ花田ミキさんだった。

花田ミキさんは1914(大正3)年、青森県弘前市に生まれた。青森弘前高等女学校卒業後、盛岡赤十字看護婦養成所を経て、日本赤十字青森県支部の看護婦となる。1937(昭和12)年に始まった日中戦争から太平洋戦争の間に従軍看護婦として3回召集され、20代のほとんどを戦場で過ごしたという。終戦後は青森県で看護教育の基盤づくりに取り組み、保健行政の立場から「無保健婦町村」の解消に努めるとともに、僻地看護の確立にも大きな役割を果たした。

映画は、現役をリタイアした花田ミキ(木野花)とシングルマザーのちさと(王林)とその息子リクとの交流を軸に、若い頃の花田ミキ(伊勢佳世)がどのようにして僻地看護の礎をつくっていったのかを描いている。青森という土地柄、そして80代と20代という世代間の関わりが描かれるなかで、50代の私はどこから自分を重ねて映画に入っていけばよいのか、最初は手がかりを探していた。

しかし、貧しい漁村で、満足な食事も与えられないまま臨月まで働かされている妊婦のもとを花田ミキが保健婦として訪ねるシーンで、これは私の物語でもあると思うことができた。生まれた時代と場所が違えば、この妊婦は私だったかもしれないんだなと感じた。男尊女卑が当たり前で、嫁は婚家の労働力で、「妊娠は病気ではないから甘えるな」が常識だった時代に、どんな僻地にも足を運んで、一軒一軒ドアを叩いて「そうではない」と、生きる術を伝え続けた人がいた。その歩みがあったからこそ、いまの私がいるのだ。

当時、青森県の乳児死亡率は全国ワースト1位であり、母子保健の充実は一刻を争う急務であった。昭和20年代の日本の乳児死亡率は出生1000人あたりおよそ60人前後と非常に高かった。現在は1.8人と世界でも最低水準にある。ここまで改善するには、予防接種の普及や栄養状態の改善、水道整備といった社会基盤の整備に加え、保健婦の増員と活動の充実が欠かせなかった。花田ミキさんは、その黎明期の人だ。

ああ、この時代だったのかと思った。私の祖母は大正元年生まれ。青森ではなかったが、花田ミキさんと同時代を生き、戦後すぐ、幼い次男を栄養失調で亡くしている。映画の中で若い花田ミキが言う「もったらころすな」は、「子どもの命を大切に守ろう」と呼びかけるスローガンであり、戦後の母子保健活動を象徴する言葉だ。いまよりはるかに過酷な時代を、そうやって皆で子どもの命を守ってきた。そのことが、いまを生きる命につながっているのだと、腑に落ちた気がした。

花田ミキさんが遺した言葉に「命を阻むものはすべて悪」がある。花田さんは保健と看護の現場で、「命を阻む悪」を取り除き続けた人だった。たとえば、青森県でポリオの集団感染が起きた際、ワクチンが未確立の時期に治療や予防に奔走したこと。栄養不良でミルクさえ買えない母親や、医療機関が遠く受診もままならない無医村に対して、保健師派遣・駐在制度を整えて相談できる体制をつくったこと。汽車の中で呼吸が止まった匠ちゃんの命を救った連携も、そのうちの一つだったのだろう。

私は2024年7月公開のこの映画を、2025年8月に観た。ちょうど五十嵐匠監督のトークイベントのある日の上映だった。トークショーで五十嵐監督は「ふつうに生きることが難しい時代になってきた」と語っていた。新型コロナウイルス感染症の流行や、世界で起きている戦争、多発する自然災害の話に言及されたときだったと思う。だが、花田ミキさんや私の祖母がそうであったように、私たちには生まれた時代を生きる以外の道はない。この時代をどう生きるかが、次の時代をつくっていくのだ。花田ミキさんの生涯を知り、私もまた誰かの生を支えるひとりでありたいと思った。

文/津田 麻紀子

『じょっぱり』が赤十字特別賞を受賞したことで、現在、凱旋上映が始まっている。直近では、10月2日(木)まで、東京都写真美術館で上映されている。

公式サイト

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