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『起立、気をつけ、今から本屋を始めます。』元小学校教員、ブタコヤブックス・船張真太郎さん【リレー連載・あの人の話が聞きたい/第12回】

「本屋になる人生もいいよね」
ため息をつきながら、ぼそりとつぶやいた夜。「いいんじゃない」と妻からあっさりとした返事。ただのぼやきとあしらわれると思っていた船張さんは、全く予想していなかった言葉に驚いた。「えっ、いいの?」
2025年3月に16年間の教員生活に終止符を打ち、7月19日に名古屋市南区の笠寺観音商店街に本屋「ブタコヤブックス」をオープンした船張真太郎さん(以下、船張さん)。「よし! これから本屋を開くぞ!」と漫画のようにビビッときた瞬間があったわけではないという。ジリジリと、でも着実に、「本屋になる人生」へ舵を切った船張さんからお話を伺った。
聞き手/麦野 あさ

困ったときはいつも本屋

「授業や学級づくりに困ったときも、子育てに悩んだときも、いつも本屋に駆け込みました」。船張さんには大好きな本屋「七五書店」があった。小学生のときは五百円玉を握りしめて漫画を買いに行った。大人になってからは、授業や学級づくりのヒントになる本や、自身の子育ての悩みを解決してくれる本を求めに。ドライブをするうちに子どもが寝たら、駐車場に車を停めて、夫婦交代で店内に入った。困ったときはいつも本屋へ行き、今の自分の救いになる一文を探した。棚に並ぶ本の背表紙を眺めるだけで心が癒された。「本が好き、というより私は本屋が好きなんです」。

そんな七五書店が2023年1月に閉業すると聞いた。人生を伴走してくれた本屋がなくなってしまう。船張さんはショックを受けたが、ずっと心の奥にあった『いつか自分で本屋を開きたい』という思いが強くなった。困ったときにいつも寄り添ってくれた大切な本屋がなくなってしまった。だったら、自分で本屋を始めるのはどうだろう……。

「妻に『本屋になる人生もいいよね』と言うと、『いいんじゃない』とあっさり返事が返ってきました。反対されると思っていたので驚きました」

ここから、船張さんは「本屋になる人生」へと舵を切った。

3月から「本屋の練習」を始めた。私設図書館「casa della biblioteca かさでら図書館」で、「一箱本棚オーナー」となった。これは自分が選んだ本を棚に置き、貸し出しする“小さな図書館のような仕組み”だ。「船張さんが選ぶ本をいつも楽しみにしています」と感想をもらった時は、「本屋になって、並べる本を選ぶ自分」が心に浮かんでうれしくなった。

また、「本屋を開くためにたくさんの本屋を見て学びたい」と思い、本屋巡りを始めた。初めは東海地方を巡ったが、だんだんと範囲を広げて、長野、東京、大阪、九州まで足を運んだ。翌年の2024年には福井、石川、三重、大阪、京都、徳島、愛媛、香川に訪れた。1年間に訪問した本屋は52軒だった。船張さんが、赴いた本屋で「実はこれから本屋を始めたいんです」と話すと、本屋のオーナーはみんな喜んで応援してくれた。わざわざ店の外まで出てきて話をしてくれる人や、「次はあの本屋へ行くといいよ」と他の本屋を紹介してくれる人もいた。

出会った全国の本屋からヒントを得て、「ブタコヤブックス」の着想を得た。「いま自分がしていることは、あの本屋から教えてもらったことだな」と思う瞬間が何度もあるという。全国各地の本屋のオーナーからもらったたくさんの言葉のうち、心に残っているもののひとつに「ナンパしろ」がある。船張さんは一度耳を疑ったが、「本屋に来た面白い人、知り合った人にとにかく声をかけてイベントを開催する。断られてもいいから、自分から声を掛け続ける。本を置くだけでなく、楽しいイベントを開いていま“生きている”本屋を作る」という意味だった。

「将来、私も学校の先生になりたい!」

船張さんの「本屋になる人生」は、「七五書店」が閉店したことだけでなく、小学2年生の娘の言葉によっても大きく突き動かされた。2年前、休みの日に娘と歩いていたとき、突然「私も学校の先生になりたい」と言われた。船張さんは頭が真っ白になった。ニコニコ話す娘の後ろに見えた建物のレンガ造りの様子まで鮮明に覚えているほどの衝撃だった。自分と同じ職業に就きたいなんて、親として大変喜ばしいはずだった。しかし、船張さんがショックを受けたのは自分の生い立ちと重なったからだった。

船張さんの父親は教員を目指していたが、残念ながら叶えることができなかった。代わりに自営業を始めて家庭を支えたが、決して楽な道のりではなかった。そのこともあってか、両親から「あなたは教員になるといいよ」「教員になれば安定した生活が送れるよ」と言われて育った。船張さんは、小学2年生の時の作文に「学校の先生になりたい」と書いていた。教員はいい仕事、お父さんがなりたかった教員に自分がなるんだ、と気付いた時には教員を“盲信的に”目指していたという。その後も順調に教育系の大学に進み、就職活動のときは教員採用試験以外には目もくれなかった。晴れて教員になった時には、両親はとても喜んでくれた。

「教員になった4月1日の時点で、私の夢は終わってしまったんです」

就職した瞬間に夢は終わってしまったが、船張さんは充実した教員生活を過ごした。今の生活があるのは、教員として勤め続けた日々のおかげ。「両親が、教員はいいぞと言い続けてくれたことには感謝しています」

しかし、小学2年生から教員以外の道を見てこなかったことを、船張さんは心のどこかで後悔していた。他の選択肢も見てから決めればよかった、とモヤモヤとした思いがあった。だから、「学校の先生になりたい!」という娘の言葉を聞いてゾッとしたのだった。言葉にして伝えてきたわけではないが、知らないうちに「教員はいいぞ」と感じさせる何かを発してきてしまったのかもしれない。船張家は夫婦揃って教員。一番身近な大人が教員だから、娘は“仕事=教員”と思っているのかもしれない。

「娘にもっといろんな可能性を見せてあげたいと思いました」

最終的に娘がどんな道を選んだとしても、もっとたくさんの世界を見てから決めてほしいと思った。父親が「本屋になる人生」を娘に見せることは、いろんな世界を見せることにもつながる。教員から本屋へ、自由な生き方を楽しむ大人の姿を我が子に見せたい。「教員の仕事もいいよ。でも、別の仕事もいいんだよ、と心から語れる大人でいたいです」。

教室のような本屋を作りたい

教員時代の船張さんには、理想とする教室があった。教室の後ろには、大きな机とその周りをぐるりと囲むたくさんの棚。棚の中には、画用紙の切れ端や段ボールなどの廃材、カラーペンや習字道具、子どもが自由に使える道具がたくさん置いてある。大人の許可なく、いつでも好きに手に取ることができる。

「その場に集った子が、思いのままに表現したり、作ったり、友達と相談したり、調べたりできる空間を作ることが好きでした」。

しかし、教室に物が多いとケガや事故の原因になりうること、学校で使える資源は限られていることから、船張さんの理想の教室づくりは続けることが難しかった。だからこそ、これから船張さんが作る本屋という空間は、理想の教室のように、自由度が高い場所にしたいと思っている。困ったら本屋へ行っていた自分のように、何かを求める人が本屋に来て、今の自分に合う本を探して欲しい。本を探しに来るだけでなく、“学級新聞”を作るような感覚でZINEを作ったり、“係活動”のように人が集まって何かを始めたり、緩やかなつながりが生まれる場所を作りたい。

「その場に私も居て、求められれば知恵を出し合って一緒に考えたいです。本屋としてお金のやり取りだけでなく、教室のような空間を作れたらいいなと思っています」。

学校を出て、初めてのことに挑戦して成長する自身と本屋を、わら、木、レンガ、と家を成長させていく童話『3びきのこぶた』に重ね、「ブタコヤブックス」と付けた。本屋を立ち上げるまでの日々を綴った開業日記をZINEとして発行した。その名も『起立、気をつけ、今から本屋を始めます。』

オープンから6ヶ月。店の入り口の壁は黒板になっていたり、レジ台が教卓に置かれていたり、まさに「教室のような本屋」が生まれた。本の販売だけでなく、著者を招いたトーク会や読書会、絵本の原画展などさまざまなイベントを毎週のように開催している。

「教員は、何でも屋。国語、算数、体育などの教科の学習を教える以外にも、給食指導、掃除、生活指導、トラブルの仲裁、時にはプール清掃、虫取り、田んぼ作りもします。教員として何でもやってきたからこそ、学校を飛び出した今も、なんでもやってやるぞ! と思っています」(了)

文/麦野 あさ

船張 真太郎(ふなばり しんたろう)

愛知県名古屋市出身。1986年生まれ。名古屋市内の小学校で16年間教員を務めた後、名古屋市南区の笠寺町に新刊書店「ブタコヤブックス」を開業した。子育て・教育・絵本・エッセイ・ZINEなどの本を中心に扱い、「もうひとつの教室」として、誰かの困りごとに寄り添える本屋づくりを目指している。

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