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生きる、考える、そして書く「ほんとうのことを書く練習」

やっと迎えた休日。今日こそは文章を書くぞ、と心に決めて、ノートとペンを持って近所のカフェに向かった。最近、本業に追われて、書くための時間をほとんど取れていなかった。書くことを生業にしているわけではないが、エッセイを書いたり、たまに寄稿させてもらったりして、ほそぼそと書き続けている。形はどうであれ、書くことを続ける人生をしたい、と思っている。
コーヒーを一口飲んで一息つく。さて、何を書こうかとペンを握った。ところが、コーヒーを3分の2飲んでも、文字を書き始めることができない。あれ、全然書けない。書きたいのに、何を書きたいのか分からない。
考えないようにしていたけれど、最近の私は“時間がないから”書けないのではなく、ほんとうは“書きたいことが浮かばないから”書けなかったのだ。書きたいことがないなら、別に書かなくていい。でも、この“書きたい”という気持ちは何なのだろうか。なぜ、書くことに固執しているのだろうか。そもそも、私はなぜ書くことが好きなんだっけ。いや、もしかして本当は書くことは好きではないのか……。書く時間を取るためにカフェに来たのに、何も書けなくて、ただ悶々とする自分がいた。
「読書は通勤時間にもできるから、今は読む時間より、書く時間のほうが大事なのにな」
と思いつつ、昨日買ってかばんの中に入れておいた『ほんとうのことを書く練習』を読み始めた。
ぐいぐい引き込まれているうちに、コーヒー3分の1を残したまま、本を読み切ってしまった。まさに、今の私が出会いたかった本だった。読み終えた直後の気持ちと自分の状態を、温かいうちにどうしても言葉にしておきたくなった。その勢いで、今この文章を書いている。

「変化や成長をつぶさに観察し、興味を持ち続け、耳を傾け続ける。それは愛がないとできないことだし、逆に言えば、それさえすれば愛になる。書くことは、自分を愛することでもある。」
この言葉に出会ったとき、“書きたい”という気持ちの正体が分かった気がした。私はこれまで、書くことを通して、何を感じたり思ったりしているのかを自分に問い続けてきたのだ。答えが出ないと思っていた悩みを、どこにぶつけたらいいか分からず、紙に書き殴っていたら、いつの間にか解決の糸口が見えたとき。手紙を書いたら、自分も知らなかった、相手に対する気持ちを知って、書きながら泣いたとき。書くことで、それまで分かっていなかった自分の気持ちに気付いてきた。自分に興味を持って向き合い、自分を愛する方法が“書くこと”だった。だから、書きたかったのだ。“書くこと”は自分にとっての癒しだったのかもしれない。
本に書かれている言葉をちゃんと掴んでおきたくて、マーカーを引きながら読んでいた。ここぞと思うところだけを引いていたのに、マーカーを引いた行が、引いていない行より多くなってしまった章がある。「書くために不可欠の『書かない』時間」。
「身心が動くのは『生きる』で、その結果自分の中で何が起きるのか観察して言語化するのは『考える』。……生きて、考えて。生きて、考えて。そうすればいくらでも文章が書けるんだなと思い至った。」「生きる」「考える」「書く」の3つが揃ってようやく「ほんとうのことを書き続ける」ことができる、と著者は言う。

私はこれまで、「書く」ばかりに意識を向けていた。けれど、日々の出来事に対して自分が何を感じたのか、どのような反応をしたのかを観察し、言葉になる前の感覚に耳を澄ませる——そうした「考える」時間が欠けていたのだ。だから、書けなかった。
文章を書きたいと思う瞬間は、仕事で落ち込んだ出来事や、誰かとの心を揺さぶられたやり取りを、振り返って一人で噛みしめているときだった。何を書こうかな、とゆったり座ってノートを広げるときよりも、今の気持ちを忘れたくない! と、書き留めておきたくて慌ててスマホのメモアプリを開くときの方が、言葉がどんどん溢れてくる。
「生きる」と「考える」を無くしては、「書く」ことはできない。 書けないときは、無理に書かない。まずは生きて、考える。その先に、自然と書きたくなる瞬間が訪れることを、この本は教えてくれた。今もまさに、この本を読むという「生きる」をし、自分に照らし合わせて「考える」をした結果、どうしても「書く」をしたくなった。
『ほんとうのことを書く練習』というタイトルから、すでに書いている人が「ほんとうのこと」を書くための指南書だと思っていた。しかし、それだけではなかった。この本は、今書いている人にとっても、書いていない人にとっても、「書かずにはいられなくなる本」だ。この本があれば、私は死ぬまで書き続けられるだろうし、書かずにはいられないのだろうなと思う。
目一杯「書かない時間」を生きて、目一杯書いて、生きたい。

文/麦野 あさ

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