
神戸六甲にて。暮らしの型は、まだ、仮組みのまま。――高山なおみ『光る海を見ていたら』を読む。
神戸市にある阪急六甲の駅前には、ブックファースト六甲店がある。高山なおみさんの『光る海を見ていたら 日々ごはん2022 1→12』を、その書店で見つけた。著者である高山なおみさんは、料理家であり、文筆家。2016年に東京から神戸に移り住み、ひとり暮らしをされている。
これまでお名前は知っていたし、「日々ごはん」シリーズも書店で見かけていたが、著書を読むのは実は初めてだった。書店のPOPに記載されていた「『日々ごはん』シリーズ最終巻」という文言が気になって手に取ってみると、高山さんが六甲在住であることが分かった。昨年、市内の別の場所から六甲に引っ越してきた私は、こんなご近所にいらっしゃったのだと興味を持った。ミーハー心も手伝って、「サイン本」と書かれた本を購入した。
「日々ごはん」は、2002年に始まった日記のシリーズ。高山さんが日々の食事と暮らしを綴ってきたもので、続編を含めて20年以上続いてきた。今回の『光る海を見ていたら』が、その最終巻にあたる。2022年の一年間の日記に、月ごとのレシピと、ご自身が撮った写真、巻末には元パートナーとの対談が収められている。
六甲というまちは、六甲山の麓に位置し、坂を上がっていくと神戸港が一望できる。住宅街に個人経営の小さなカフェや雑貨屋が点在し、神戸でもいわゆる「おしゃれ」なまちとして知られている。引っ越してきてから、一年弱。高山さんの記述に出てくるお店は知っている店も知らない店もあった。親近感も覚えながら、どこか知らないまちのようにも感じた。
私には気になりながら一度も入れずにいる花屋さんがある。店の前を通るたびに目をやるのに、「おしゃれ」さに気後れしてしまい、扉を押せない。行きつけの店もなければ、顔見知りの店員さんもまだいない。高山さんが馴染んでいる六甲を、私はまだ知らないという感覚に、なぜか疎外感を覚える自分がいた。
疎外感とともに感じたのが、私自身の生活の落ち着かなさ。小学一年生になった息子の新しい生活にてんやわんやしながら、仕事での役割も増えている。やることは増えるのに、暮らしの型がない。引っ越して一年弱、家の中も生活のリズムも、まだ仮組みのままだ。夕食は行き当たりばったりで、疲れ切って外食で済ませる日もある。
読み進めていくうちに、ふと気づく。料理家なのだから、いつも手の込んだ料理を作られているのだろうと想像していた自分の思い込みに。けれど、スーパーの惣菜も、ヨーグルトとフルーツだけの朝食も、気負いなく淡々と記録されている。天気のこともそうだ。雪が降ったり止んだりして繰り返しふとんを干したり取り込んだりする描写があるが、それに対して高山さんは嫌だとも辛いとも言わない。日々の出来事を、評価せずにただ見ている。手が込んでいるからいい、簡単に済ませるから良くない、天気が悪いから憂鬱。そんな物差しを当てていない。
日記では、高山さんは過ぎ去った時間にも向き合っている。かつて書いた、お母さまが最期を過ごした時期の日記を、校正している場面がある。親しいひとたちとの食事や外出といった楽しい時間、過ぎ去った時間を思う切ない時間。そうした日々を、料理をはじめとした暮らしの営みが支えている。一見、おしゃれに見えて、羨ましさも覚えた高山さんの、日常を送る足元の土台の確かさを感じた。暮らしていくための体力、その力強さ。
ただ、だからと言って、私は高山さんの暮らし方を真似たいわけではない、という気持ちに気づく。とても素敵だなと思いながら、同じように暮らしたいのでも、同じようにこのまちに馴染みたいのでもない。ただ、自分の暮らしの土台を、自分で確かにしていきたいのだ、と。
そう思うと、まとまりのないように思えたこのまちでの自分の暮らしが、急に愛しいものになった。息子の縁で、近所のお寺に集まるご高齢の方々とのつながりができた。戸建てに引っ越したのをきっかけに、ずっとやってみたかった家庭菜園を始めた。自治会の清掃活動やメダカの放流に参加した。いつかちゃんとやりたいなと思っていた英語の勉強の時間を取るようになった。子どもの習いごとの待ち時間にママ友とカフェを開拓した。私は、自分なりに、このまちでの暮らしを始めていたのだ。
私は私の、このまちの暮らしを作っていけばいい。こんなふうに暮らしたいなと想像しながら、目の前の生活を大切に繰り返す。こうであればよかったと悔やむよりも、ただ、今日はどんなふうに過ごしたいかを決めて過ごす。そう思うと、気負いが少し解けた。『光る海を見ていたら』を読み終えた日の帰り道、あの、入れずにいた花屋さんに立ち寄りたくなった。いつも通り過ぎるだけだったお店。その日は、扉を押した。大きな白い紫陽花を1本だけ買って帰り、花瓶に活ける。こんなふうに、花を飾る生活をしてみたかった自分に気づいた。暮らしの型は、まだ、仮組みのまま。それでも、日々を続けていく。
文/山本しのぶ
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