検索
SHARE

わたしとあなたの共同制作【さとゆみの今日もコレカラ/055】

書いた文章や書籍を読んでもらえるのは嬉しい。書いたことに感想をもらえるとさらに嬉しい。

ところが面白いことに、「◯◯と書かれていたところに感動しました」と熱量高く言われる時に限って、あ、それ書いてないなと思うことがよくある。

その人なりの解釈が加わった結果だろう。「さとゆみさんが書いていた◯◯」が、もはや原型をとどめないほど違う言葉になっていることも多い。

だがしかし、それが、素晴らしい。

それほど自分に引き付けてもらえたら、その文章はもうその人のものだ。私だって本気で心を動かされた時は、書かれていた文章のことはあまり覚えていない。その文章に刺激されて自分が考えたことの方だけをくっきりと覚えている。

「伝えたいことが伝わる」も、「誤解なく伝えたい」も、書き手目線だ。しかし、読み手の立場で考えると、「自分に置き換えたり」「自分で解釈したり」が読むことの醍醐味である。

文章は読む人がいて初めて完結する。読む人ごとに違うことを語りだす文章を書けたときは、嬉しい。合作できた、と思う。

近藤康太郎さんは、良い文章とは誤読の種を孕むと言った。

豊かに誤読されたときは、ああ、私の文章が"ほんとうに"読まれたんだな、と思う。

_______________________

【この記事をおすすめ】

チェーホフ……? で始まり、喜劇……? で終わる、深い迷路に迷い込む

writer