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AI が書く。人間が書く。【さとゆみの今日もコレカラ/第 152 回】

先日、ある媒体の編集長が「最近、AI に原稿を書かせる書き手がちらほら出てきて、注意喚起した」と話をしていた。その媒体は、個人の書き手の体験や感想を原稿に盛り込むことを重視している媒体なので、AI に書かせて原稿を納品した書き手は、以降、出禁にすると公示したらしい。

「へええ、AI が書く文章って、わかるものですか?」と聞くと、「編集部の誰が読んでもすぐわかりますよ。構文が同じですし、言い回しが独特ですし、それまでその人が書いてきた文体と全然違いますし」とおっしゃる。

おもしろかったのは、「AI に書かせて整えた原稿で、バレないと思っている人は、そもそも読む体験をしていないんでしょうね」とおっしゃっていたことだ。文章を読む習慣がない人が AI に文章を書かせるから、原稿のいびつさに気づかないのでは、とその方はおっしゃる。

まあ、それより何より、個人の体験や感想を重視している媒体で、AI にその体験を書かせる人は、なぜそもそも書く仕事をしようとしているんでしょう

ね。その動機がよくわからないですよね、なんて話にもなった。

先日、新しくメディアを立ち上げるという方に、SEO 記事ではなくオリジナルな取材記事を中心にした媒体にしたいので、編集長をしてくれないかと打診された。

取材記事って1本作るのに最低でも5万円、普通に作ると 10 万円はかかりますけれど、予算はいかほどですか?  それによって月に何本アップできるかが決まりますと伝えたら、先方が絶句していて、私も絶句することとなった。

そうやってお金をかけて、その道の専門家に取材し、写真を撮り下ろして、確度が高く信頼性のある原稿を提供している記事が、フリーライドしたまとめ記事のソースになっているのである。「記事をまとめる」ことと「記事をつくる」ことは、まったく別の仕事である(念の為に書くけれど、まとめ記事をつくる仕事を下に見ているわけではない。別の職能が必要な別の職種だと思っている)。

生成 AI が台頭し、その精度が上がれば上がるほど、フリーライドライティングが淘汰されていく(そこにお金が払えなくなる)のは摂理だろうと思う。そもそも生産活動というより、消費行動に近い営みであるからして、仕方ないよなあと思うところもある。

ただ、書くことが好きで、なんとかライターとして生きていきたいと思っている人の顔も思い浮かぶから、それはちょっと切ない。

ストレートニュースは、すでにライターが入っていない媒体も多い。取材を伴わないまとめ記事もここ1、2年で人間の仕事ではなくなるだろう。おそらく、ライター(と名乗る人)の人口はこの数年で、5分の1程度になると思う。

「記事をつくるほう」に転職するならそろそろラストチャンスじゃないかな、と思う。「記事をつくるほう」のライターは、相変わらず全然足りていない。編集者はいつも「書けるライター」を探している。

しかし、「わかりやすい文章」とは一体なんだろうか。少なくとも論理破綻していない文章。論理展開がシンプルな文章。難しい言葉を使わず、できるだけ平易な言葉で書かれた文章。……それが本当に「わかりやすい」のだろうか。

私はこのごろ「わかる」とはどういうことなのかをしょっちゅう考えている。少なくとも私が確信しているのは「わかりやすい文章」とは「読み手がわかる言葉だけで構成された文章」ではない、ということである。

writer