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小学一年生に「銀行」を説明するなら? 「わかりやすい文章」は本当にわかりやすいのか【連載・欲深くてすみません。/第16回】

元編集者、独立して丸7年のライターちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日はみんなが知っているあの言葉を、どのように説明するかで悩んでいるようです。

ちょっと一緒に考えてほしいことがあるんです。

いきなりすみませんね。私、かれこれ3時間、悩んでいるもので、みなさんのお知恵をお借りできないかなと。お忙しいとは思うんですけども。ああ、ご協力いただけますか。ありがとう。えっと、これなんですが。

小学一年生にもわかるように『銀行』を説明してください。

――みなさんのお考えはいかがですか。あ、さっそく手が挙がりました。じゃあ、そこのあなた。

「お金を預けたり、引き出したりするところ」

なるほどね。簡潔です。しかし「銀行」というのは果たしてお金を預けたり引き出したりするだけのところでしょうか。

困ったときは辞書を引いてみましょう。手元の辞書には1つ目の意味として、こう書かれています。

「資金のあまっている者と足りない者との間に立って、両方の間に融通する金融機関」(『三省堂国語辞典 第七版』三省堂)

ほほう、なるほど。ユウズウ。銀行という言葉について説明するなら、この意味合いは重要そうですね。ちなみに日本で最初に銀行をつくった人は誰でしたっけ。ああ渋沢栄一。渋沢栄一はかつて「銀行は大きな川のような物だ」と言ったそうです。個人が持っていれば水滴のようなわずかな金でも、広く集めれば大きな流れが生まれ、いろんな人の役に立つってことですかね。栄一ったら、おしゃれな表現だこと。

しかし小学一年生をつかまえて「いいかい、銀行は大きな川のような物だよ」と説明したところで無表情にさせるだけです。

さて、他にご意見はありませんか。あらまあ、全然手が挙がらないわ。ちょっと、ねえ誰か。誰か助けてよ。

と、冗談めいて書いてみたが、執筆しているあいだ私の脳内には、だいたいこのような会話がかしましく繰り広げられている。

もともと子ども向けの学習雑誌や教育コンテンツといった媒体からキャリアをスタートした私は、これまで小中高生に向けて多くの文章を書いてきた。その経歴を活かし、大人向けの媒体に仕事を展開したときには厚顔無恥も甚だしく「わかりやすい文章を書きます」とみずからを売り込んできた。

しかし、「わかりやすい文章」とは一体なんだろうか。少なくとも論理破綻していない文章。論理展開がシンプルな文章。難しい言葉を使わず、できるだけ平易な言葉で書かれた文章。……それが本当に「わかりやすい」のだろうか。

私はこのごろ「わかる」とはどういうことなのかをしょっちゅう考えている。少なくとも私が確信しているのは「わかりやすい文章」とは「読み手がわかる言葉だけで構成された文章」ではない、ということである。

「小学一年生にもわかるように」という条件で説明することがなぜ難しいか。子どもは大人と比べてわかる言葉が少ないから、だけではない。そもそも「経験していない」相手に伝えるのが難しいのだ。

冒頭の例で真っ先に挙げた銀行の説明文「お金を預けたり、引き出したりするところ」について考えてみたい。一見シンプルだが、小学一年生に伝わるかは疑問である。「お金を預けるところ」は、まあ伝わると思う。一年生だって、銀行に行ったことはなくとも、親にお年玉を預けた経験くらいはあるだろう。しかし「お金を引き出す」のほうはどうか。「引き出す」という言葉は知っていても、それがどういうことなのか、近い経験をしていなければまったく理解できないのではないか。

さらに「資金のあまっている者と足りない者との間に立って融通する」というような概念の説明に至っては、まず聞き手の頭の中に、人や会社の間でお金が行き来している俯瞰の画がなければ話が始まらない。小学一年生が社会を俯瞰して見るイメージをどれだけ持っているだろうか。イメージを持ったことすらない相手に説明するなんて、なんて難しいことだろう。

難しい、難しいとばかり言っているが、実際のところ小学生向けの媒体ではどのように書くか。ここまで書いてきて申し訳ないけど、私なら、文章だけで伝えるのは早々に諦めて、絵や図といったビジュアルの力を借りると思う。たとえば「お金が足りなくて、やりたいことができないよぅ」と泣いている人物と、「お金はあまっているけど手元に置いておくのは安心できないな」と困っている人物のイラストを描き、その間に銀行を思わせる立派な建物からにょきっと手足の生えた「銀行ちゃん」のイラストを置く。銀行ちゃんがお金のあまっている人物からお金を預かり、お金が足りなくて泣いている人物にお金を貸している様子を矢印等で補足しながら描けば、あ〜らカンタン、これぞユウズウ!

それにしても絵や図は、複雑なことを伝えるのに本当に便利なものだ。1から10まで説明してわからせるのではなく、あるものの象徴的な部分に焦点を当て、曖昧で省かれたイメージ情報によって、読み手を「直感的にわかる」「全部はわからないけど、ぼんやりとわかる」というところまで誘導してくれるのだから。

――ならば文章でも1から10まで論理で説明しようとせず「直感的にわからせる」「ぼんやりとわからせる」文章は書けないだろうか?

こうして考えをコロコロ転がせた私は最近、1から10まで噛み砕いて説明した「わかりやすさ」ではなく、「直感的に」「ぼんやりと」それがどういうことなのか、読み進めるうちにわかるような気がする文章を書けないか、などと超絶難解なテーマを掲げて書くことを試行錯誤している。

文章がおしゃべりすぎると、私の頭のなかの小学一年生の読者はすぐにそっぽを向く。読者が「それってどういうことだろう」と主体的に、そこに書かれたものの正体を掴みとっていくような文章を書いてみたい。

で、それって具体的にどういうものなのよ、とよくよく考えてみると「銀行は大きな川のような物だ」は、ある意味で理想に近いのかもしれない。銀行というものの裏にある思想を誰も知らない、経験したこともない時代に、誰もが知る「川」の姿を借りて、金を一箇所に留めず流れさせることの意味を説いた。

目指すは栄一である。

文/塚田 智恵美

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