
れっつ essayer【さとゆみの今日もコレカラ/第 214 回】
日常の出来事を書く「日記」や「ブログ」と、原稿料をもらえる「エッセイ」の違いは何だろうか。
はたと感心してしまうエッセイ、ついほろりとしてしまうエッセイには、どんな工夫があるのだろうか。
エッセイの語源は、フランス語の essayer にあると教えてもらった。試行する、吟味する、実験するといった意味だ。つまり、文章を使って「何かを試す」ことがエッセイの出発点になる。
では、いったい「何を」試せばよいのだろうか。
かれこれ4、5年考えている。
先日、文芸の編集者が「ビジネス書や実用書のジャンルはいいですよね。原稿でも販促でも、いろいろやりようがある」と言っていたと聞いた。
この言葉の裏には、「文芸作品は、作家の力(本そのものの力)以外では、勝負できない」が、あるだろう。キャンペーンをいくらしたところで、文章が面白くなければ売れない。それが小説であり、エッセイである。
文芸というくらいだから、文に「芸」が必要なのだ。
ところで、この文芸の「芸」を、私はずっと、「文章の巧みさ」だと思っていた。だから、文章を書く人たちのうちでも、非常に文章力が高い人たち、つ
まり「文で芸事ができる人」がエッセイストになるのだと考えていた。ライターの中でも、最高級の文章を書く一軍が、エッセイを書くのだ、と。
しかし、あるエッセイ投稿サイトの編集長と話をしたとき、それは違うと言われた。
文章の巧みさが必要なのはむしろライターのほうで、エッセイストに必要なのは、着眼点と思考のオリジナリティだというのだ。もちろん文章が上手いに越したことはない。しかし、それ以上に大事なのは、その人ならではの物の見方だという。
その編集長は何人かのタレントさんや芸人さんに白羽の矢をたてエッセイストデビューさせているけれど、「話が面白い人はエッセイが書けることが多い」と言う。話が面白いということは、考えていることが面白いということだから。
そこで再び、essayer に戻る。
essayer は、英語に訳すと「to try」に近いそうだ。何を試せば、エッセイになるのか。エッセイストの先人たちは、何を試してきたのか。
そして、私たちは・何を・試すのか。
NHK カルチャーさんで、全3回のエッセイの書き方講座をスタートする。東京も大阪も限定 12 名の予定。
エッセイストとして駆け出しの私が講師をするなぞ傲慢だ。一方的に何かを教える講座というよりも、文章を真ん中に置いてそれを深めあうゼミのような感じになると思う。
そして、「エッセイの書き方」講座と言いながら、きっと最後は、「エッセイを書ける自分を、どう育てれば良いのか」について、一緒に esseyer する時間になるのだろうなと、予感している。
今日の朝9時半に募集開始だそうです。ご興味ありましたら。
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書籍を読んでいる間「私もそれ、考えたことがある」と脳内で何度も呟いた。と同時に「そこまで考えたことはなかった」も同じくらい呟いた。


