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空を切る。絵を切る。文を切る。【さとゆみの今日もコレカラ/第276回】

京都にいる。泊まっている宿の窓が大きくて、遮るビルもないものだから、初日は朝日で目覚めた。春ではないが、紫だちたる雲が細くたなびきたる。美しい。

2日目、ちょっと思いたって、遮光カーテンを少しだけ開けて寝た。やはり朝日で目覚めた。そして、思った通り、「タレルの空だ」と思った。カーテンとカーテンの隙間から見える景色が、絵画のよう。

ただそこにある空が、四角のフレームで限定されるだけで、特別な空になる。ジェームズ・タレルは、誰もが知っていたけれどうまく言語化できていない感覚を、アートで顕在化させてくれた。

どこまでも続く広い空ではなく、タレルの窓から見る空だからわかることがある。

いまこの瞬間の自分と同じ空を見ている人は、一人もいないこと。

みんなそれぞれの窓を持っていて、だから同じ空を見上げていても違う景色が見えていること。

人と意見が異なったり、わかってもらえなくて悲しい気持ちになるとき、わたしはいつもタレルの窓を思い出す。あちらの窓からはきっと違う空が見えているのだ。私が見ている空だけが、空ではない。

✳︎

父に、子どもの描いた絵を切る話を聞いたことがある。父は小学校の先生だった。父のクラスの子たちが描く絵は、どれも個性的なのだが、どうやって指導しているかと聞いたら「絵を切っている」と言っていた。描き上がった絵を見て、「どの部分が気に入ってる?」と聞き、もちろん子どもと相談して了承を得てからだけど、その気に入っている部分だけをちょきちょきカットして、額に入れるのだという。

「どんな子も、この部分は一生懸命描いたとか、ここを表現したかったという部分があるんだよね。そこだけにフォーカスすると、どれも素晴らしい絵なんだよなあ」

✳︎

タレルに切り取られた空。

切り取られて額装された絵。

そして、文章も同じだなと思った。

これを書きたいと思った核が、ある。それが目立たなくなるくらいなら、他は捨てる。どんなにいいインタビューが聞けても、伝える核はひとつ。私はわりとそういう書き方をすることが多い。私はこの人のここが見たかったのだ。この窓から、見てほしいのだ。

※この文章は毎朝7時に更新され24時間で消滅します。今日もコレカラよい一日を。

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【この記事をおすすめ】

いや、この絵に惹かれるのはきっと自分自身の変化だ。

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