
「よき先輩」→「よき祖先」【さとゆみの今日もコレカラ/第 341 回】
今年の夏、長崎県の五島で「ひと夏の大学」プログラムを受けたとき、はじめて「good ancestors(よき祖先)」という言葉に出会った。
「自分がこの世を去ったあと、たとえば100年先の将来にとって良きことは何か。どうやって良き祖先になるか考えよう」が、このプログラムのコンセプトだった。
それまで、「good elders(よき先輩・よき年長者)」という言葉は聞いたことがあった。私の師匠である佐藤尚之(さとなお)さんが主宰する50歳以上の人たちのためのコミュニティもGood Elders(グッド・エルダーズ)という名がついている。
なるべく「よき年長者」でいたいという気持ちは、これまでもあった、と思う。「昔は良かった」と言うのではなく、「昔は良かったと思うのであれば、それを今、実現できる方法はないか」をなるべく考えようと思っていた。それがたとえ、自分の手が届く半径5メートルくらいの狭い場所であったとしても。
自分の子どもに、友達の子どもに、自分の後輩に、友達の後輩に、何かできることはないかと考えていた。
だけど、「よき祖先」であろうと思うと、一気に視界が広がる。
100年後、200年後の将来をイメージすると、もっともっと遠くにボールを投げなくてはと思う。100年続けることができる、子孫に残せるよきことは何だろう。自然豊かな五島では、意識せずとも、普段より「遠く」を想像することができたように感じる。
昨日、目の前を鮎食川が流れる徳島県神山町のお宿WEEKで、支配人の神先さんの話を聞いていた。神先さんはいま、神山らしい景色を守り育てていくために、「石積み」の勉強をしているのだという。川のまわりをコンクリートで固めるのではなく、石を積むと、雨の通り道が変わるのだとか。先月は石積みの本場イタリアで学んできたそうだ。
その視線は100年先を見ていて、私は「生きているうちに終わりませんね」と私は言い、「果てしない話ですね」と神先さんは言った。
将来のために石を積むような行為は、私にとって何にあたるだろう。
神山の広い景色もまた、普段より「遠く」を想像させてくれる。
※「今日もコレカラ」は毎朝7時に更新し、24時間で消えます。みなさん、今日もコレカラ良い一日を。
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