大自然の中で考える言葉の力ー「五島、ひと夏の大学」ビオリカ・マリアンさんによるセッション『言語の力』
小学生のとき、世界の国の中からひとつを選んで調べたことをみんなの前で発表する授業があった。図書館にずらりと並ぶ本の中で、ぱちっと目が合ったのが「フィンランド」の本だった。サンタクロースやムーミンが住んでいるとか、白夜になるとか、こんな世界があるのか! 知らないことだらけでワクワクした。まだ私が知らない世界を知りたい、足を運んで話を聞いてみたい。世界中の人と会話をするならことばを勉強しなくちゃ! 私が言語に興味を持ったのは、このときだったと思う。
それからも言語への興味は尽きなかった。昨年、『言語の力』という本に出会って改めて言語って面白いなと思っていたところに、著者のビオリカ・マリアンさんが来日されることを知った。7月、長崎県五島でサマープログラム「五島、ひと夏の大学」のプログラムのひとつとして、AI時代に外国語を学ぶ本当の意味をテーマにセッションを行うという。絶対に行きたい! そう思った私は、人生で2度目の五島へ向かった。
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AIが台頭し、様々な翻訳ツールが登場している。自分が新しい言葉を覚えるよりも、ツールを使った方が効率的だと思う人もいるかもしれない。しかし、新しい言語を学ぶと脳の働き方が変わり健康にも影響があるのだとマリアンさんは言う。
例えば、日本語と英語を話すバイリンガルの場合、日本語で会話している間も頭の中では英語による情報処理が無意識下で行われていて、脳は常にワークアウトしている状態なのだそうだ。
意識の有無に関わらず、頭の中に浮かんでくる様々な情報の中から必要な情報を選びとり、その他を遮断することで脳にかかる負荷をコントロールする必要がある。
絶対音感をイメージするとわかりやすいかもしれない。絶対音感を持つ人は、言葉が音階で聞こえてくると言う。でも、普通の会話をしているときに音階の情報はいらないので制御して会話に集中する。この状態が言語でも起こると言うのだ。例えば、英語とルーマニア語が話せる人がいるとする。英語を話しているときは、ルーマニア語での情報は脳によって自動的に遮断される。結果、バイリンガルやマルチリンガルは、ひとつの言語を優先させて他の言語情報を抑制する「抑制制御」が上手くなるのだという。
そういえば、イギリスへ留学中、英語で課題の論文を書くときは日本語の音声を聴いていると捗った。日本に帰国しライターになって、どうやったら集中して書けるか模索していたとき、このことを思い出して英語のラジオを聴いて書いてみた。するすると日本語が出てきた。それから、文章を書くときは英語のラジオを聴くようにしているのだけれど、これも一種の言語制御になるのだろうか。
これは、私の個人的な感覚なのだけれど、周りから入ってくる音(言語)と自分がアウトプットしたい言語を分けると、よりアウトプットに集中できる。デザート作りで生クリームを絞るときに使うポーシュみたいに1点集中、ぶわっと言葉が出やすくなる(私は料理をあまりしないけれど)。
実は、この抑制制御の効果は情報処置だけではない。認知症はまだ治療法が確立されていないものの、発現を遅らせるために最も効果的だったのが運動をすることとバイリンガル・マルチリンガルであることだとわかったそうだ。アルツハイマー病やその他の認知症の発症において、バイリンガルやマルチリンガルは平均的な発症年齢と比較して4年から6年発現が遅くなるという。
認知症の予防としてクロスワードや数独がよく挙げられるが、これらは継続的にしかも時間をかけてやる必要がある。一方で、言語の場合、一度習得してしまうと言葉を話せるというだけで脳は常にワークアウト状態になる。つまり、予防のためにわざわざ時間を割かなくても良いということだ。
もうひとつ、マリアンさんのお話で興味深かったのが、バイリンガルやモノリンガルは使う言語によって意思決定が変わるということ。
マリアンさんのもとで学ぶ学生がガールフレンドと結婚するべきか悩んでいた。彼が母語で結婚するべきかどうか考えたときの結論はノーだった。一方で、英語で同じことを考えたときの結論はイエスだったという。同一人物の思考なのに、言語が変わるだけで結論が変わってしまうのだ。
さらに、マリアンさんは著書『言語の力』の中で、バイリンガル・マルチリンガルを対象にした性格テストを実施すると、言語ごとに異なる結果が出ると述べている。
話す言語によって個人のキャラクターにも変化が現れることは、私にも身に覚えがある。英語を話すとき、日本語で話しているときよりも自分がアグレッシブに感じる。ドラクエで言ったら「ガンガンいこうぜ」タイプといったところだろう。押しがだいぶ強くなる。
これは英語そのものが持つ性質のせいなのか、本来の私が持つ性格が影響しているのか気になったので、セッション後にマリアンさんに質問をした。
マリアンさんの答えは、英語の持つ性質と本来の自分の性格どちらも影響し合っているということだった。ある言語を話すときに現れるキャラクターは、言語と文化が複雑に絡み合った結果であり、個人差が出る。母語であっても、職場での話し方と家で家族と話すときの話し方が違うように、どの言語で、どんな環境で話すかによって、私たちは別人になるのだと言う。
私の場合、最も英語を使ったのは留学時代に学生として。それから帰国して英語を使う職についたときだった。当時は積極的にコミュニケーションしなければクラスにもついていけなかったし、仕事もできなかった。話しかけられるのを待っていたら、何も進まない。きっと自発的なコミュニケーションを取らざるをえなかった当時の環境がアグレッシブさに繋がっているのだと気づいた。
マリアンさんのセッションを通して、言語を習得することで広がる可能性が見えた。まさか脳の働きそのものが変化すると思わなかったし、しかも脳の変化は何歳で言語を習得しても起こるという。つまり、今から始めても遅くないのだ!
20歳を超えると言語は習得しづらいと言われることもあるけれど、個人的には経験も含めてそんなことはないと思っている。だって私は25歳で留学をするまで英語を話せなかったから。
まだ私が知らない世界を知りたい、足を運んで話を聞いてみたいと胸をワクワクさせていた少女は大人になり、巡り巡って言葉を扱うライターの仕事についた。ライターの仕事は、いろんな人と出会い、話ができる。さらにその人の想いを文字にするお手伝いができることが魅力だと思っている。なんだ、結局私やりたいことできてるじゃん。妙に嬉しくなった。
文/北原 舞
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