
「長時間保育」トレンドで考えたこと【さとゆみの今日もコレカラ/第355回】
昨日かな、一昨日だったかな。X(旧Twitter)で「長時間保育」がトレンドに上がっていて、なんだろうと思ってポチっとしたら、そこは阿鼻叫喚のニッポンがあった。
はじまりは、
・元保育士さんの「長時間保育園に預けられている子は情緒が安定していない子が多い」
という投稿で、
・「保育士なのに、親を責めるのか」という同業者
・「それは日本の社会構造の問題です」という人
・「罪悪感を感じながら預けている」という母親
・「長時間保育より相談者がいない方が発達に影響が出ます」という識者
・「保育士の言うことももっともだ」という賛同者……etc.
私の子どもは保育園を卒業して久しいから、まだ暗い気持ちになるくらいですむけれど、渦中でこの投稿の嵐に接したら、メンタルにきちゃうのではないかと思う。
こういう時に思うことが3つある。
その①
まず、ほとんどの投稿が、「長時間子どもを預ける『母親』」と書かれているなあということ。
でも、保育園に子どもを預けるのは、「父親も」「母親も」働きたいからなんだよなあ、って思う。
投稿を読んでいると、「『(母親である)私が』フルタイムで働きたいから、子どもに負担をかけている(長時間保育になる)」と罪悪感を抱くお母さんが多かったように感じた。でも、「私が」働きたいから預けているのではない。「父親も」「母親も」働きたいから預けているはずで。
あなたのお子さんが保育園に行っているのは「あなたのため」ではなく「二人とその家族のため」だよ!(シングルマザーであるならなおさら、お子さんを食べさせていくためだよね)って思う。
その②
以前も書いたことがあるけれど、「子どもがかわいそう」という言葉の主語は、「子ども」ではない。
「子どもがかわいそうだという感想を私は抱いた」という、ただ一人の個人の意見なんですよねー。
「子どもがかわいそう」と言われると、世の中ぜんぶから否定されているような気持ちになるけれど、あなたとは意見の違う一人の誰かが横を通っただけなのです。世間みんなから非難されたわけじゃない。
その③
で、これは心から思うのだけれど、ほんと、みんなめっちゃ頑張ってると思うの。
ネットで見ず知らずの人からの流れ弾が飛んでくるような時代って、ある意味メンタル的戦国時代だ。リアルな戦争があった時代のように、本物の爆弾が落ちてくるわけではない。でも、今の時代は右も左も危険なインターネッツの世界。心への攻撃でいえば、地雷もあるし、刺されもするし、被弾することもある。
そんな世の中で、自分の命を守りながら、子どもの命も守りながら、毎日子どもにご飯食べさせているだけで、本当にすごいことだと思う。子どもの命を守りながら育ててくれる保育士さんも本当にありがたい存在だと思う。わたしたちみんな、本当に頑張っていると思う。子どもがちゃんと寝食できているなら(それが自分の家ではなく保育園でも預け先でも)、それだけで十分すごいことだと私は思う。
そして、それを攻撃しなきゃいけない人のほうにもきっと、何かと戦わなきゃいけない事情があるんだろうと想像する。子どもがかわいそうと言う人にも子どもに愛情があるのだろうし、そうやって人に言わなきゃやっていけないような何か事情があるんだろう。ひょっとしたら、かつて誰かにそう言われて傷ついた経験があるのかもしれない。自分は無理して保育園に迎えに行った経験があるのかもしれない。たぶん、その人も、一生懸命頑張った人なのだ。
みんな頑張ってる人たちなんだと思うんだよなー。
そんなことをふんわりとつとつ朝から書いていたら、息子の部活の練習試合の開始時間を勘違いしていて、朝からしっちゃかめっちゃかの我が家でした。大遅刻のコレカラでございます。みなさま、よい日曜日を。
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向かいの席に座る友人と「おれたち間違っていないよね」とひそひそ話した。


