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「伝わらない」を科学でひもとく。『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』

「ご予約のお客さまは、1人につき2,000円以上の注文をお願いします」
「はい?」

注文を取りに来た店員さんに、思わず聞き返してしまった。ネット予約の完了メールには「2,000円以上の注文をお願いします」とだけ書いてある。「総額2,000円以上の注文を」の意味だと思っていたわたしは、あわてて付け加えた。

「1人につき、ですか?」

土曜日の20時だった。夕食をつくるのが面倒で、帰りの電車に乗っているあいだにスマホで店を探す。いつもはふらっと入るラーメン屋がネット予約できると知り、近くに住む友人を誘い2名ぶんの席を確保した。

予約完了メールには「2,000円以上の注文をお願いします」とある。予約の場合に限り最低金額があるらしい。名物は1杯750円のとんこつラーメンだ。ラーメンを2つとチャーハン、ギョーザを頼めば、2人で総額2,000円はクリアするから問題ない。そう思っていた。

冒頭の店員さんのセリフに戻る。

彼は「1人につき」と言った。仮にラーメンとチャーハン、ギョーザを1人で頼んでも2,000円は超えない。とてもではないが食べきれない量になる。

わたしが総額か1人あたりかを確認すると、店員さんは注文伝票を持ったまま動きを数秒間とめた。目線はこちらを向いていない。「予約完了メールには、2,000円以上の注文を、とだけ書いてあったのですが」と友人が続けた。店員さんの視線が泳ぐ。脳内で「この人たちはなにを言っているんだろう」が巡っているようだ。

「少々お待ちください」と言い、店員さんは調理場の奥へと走りだした。「1人につき」かどうか。たった5文字の有無で、日本語の意味がまるっきり変わる。向かいの席に座る友人と「おれたち間違っていないよね」とひそひそ話した。

その後、調理場から出てきた店長にわたしから確認したが、店側の主張が変わることはなかった。1人につき2,000円ぶんの料理をなんとか完食し、友人とブツブツ愚痴を言いながら別れ、膨れあがった腹とともに帰宅する。

家に帰って本棚を眺めていたところ、目が合ったのが『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』だ。ラーメン屋でのやりとりを思い出す。こちらの主張は間違っていないはずなのに、なぜうまく伝わらなかったのか。1週間ほど前に購入したあと読めていなかったのだが、いま読んでくれと本が訴えているように感じた。

本書の著者は、認知心理学や言語心理学を専門とする慶應義塾大学の今井むつみ教授だ。サブタイトルには『認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』とある。「言い方を工夫してみよう」や「言い換えてみよう」といったコミュニケーションのテクニックではなく、科学的なアプローチから「伝わらない」の解決策を提示する本だ。

第1章では、本書の根幹となる「スキーマ」について語られる。スキーマとは、認知心理学において、ひとりひとりの学びや経験、育ってきた環境によって形成される思考の枠組みを指すそうだ。

たとえば「ネコ」と聞いて、思い浮かぶ映像は人によって異なる。実家で飼っていた三毛猫を想像する人もいれば、SNSでチェックしているスコティッシュフォールドの映像が浮かぶ人もいるだろう。わたしの場合は、祖母の家の敷地に住みついていた野良ネコだった。

人がなにかを理解するとき、スキーマは脳のバックグラウンドでつねに稼働している。そして人間はあらゆる事象にスキーマをもち、それを前提にコミュニケーションをとっていると今井教授は述べている。

つまり、AさんとBさんの会話において、Bさんの「わかった」は「Aさんの頭のなかをそっくりそのまま移し替えて共有した」わけではない。「Bさんのスキーマを通じて理解した(ような気がしている)」のだ。当たり前のようだが、スキーマの存在をあらためて認識することで「伝わらない」の原因が見えてくる。

2,000円問題に戻る。

店から届いた予約完了メールには「2,000円以上の注文をお願いします」とあった。わたしは読んだ瞬間に、過去の経験から「ラーメン屋で1人2,000円以上の注文を求められるはずがない」とスキーマを通して理解したことになる。

だが、わたしの理解は本当に正しかったのか。そもそも訪れた店は、本当にラーメン屋だったのか。わたしが勝手にラーメン屋だと捉えているだけではないのか。

店側に視点を移してみる。

もし、店側はラーメンを提供する居酒屋として営業しているのだとしたら。ゆえにラーメン屋では一般的ではない、ネット予約を受け付けているのだとしたら。居酒屋で何杯かのアルコールと料理を注文すれば、客単価は1人2,000円を超えるだろう。予約完了メールに「1人につき」などと書く必要性を認識していない。そんな可能性はないだろうか。

サブタイトルの『認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』がよみがえる。感情に任せることなく科学的に「伝わらない」をひもといていくと、店の印象ががらりと変わった。

納得しかけた22時。しかし、もうひとつ腹が立っていることがある。注文を取りに来た店員さんが調理場の奥に消えたあと、代わって出てきた店長とのやりとりだ。

店長「すみません、予約完了メールの表記がわかりづらかったみたいで」

わたし「いえいえ、こちらの確認不足ですから」

問題は次だ。

店長「でもね、もし総額2,000円の意味だったとしたら、10人の予約があると1人につき200円になりますよね。だから違う意味だろうって、普通わかるじゃないですか」

そう言って薄ら笑いを浮かべた。思い出すと冷静になってきた頭が再び熱くなる。

しかし本書を読み終えるころには、イライラした気持ちはどこかにいってしまった。感情が記憶を書き換える可能性を知ったからだ。

本書の第2章では記憶と感情の関係について「当人にとって重要なできごとであったなら、記憶は脚色されて特別なものになる」と解説している。そして、ネガティブな感情にひもづく記憶は、思い出すうちにマイナスのループに陥りやすいそうだ。店長と会話する前、2,000円問題で虚を突かれたわたしの脳内には、負の感情がむくむくとわいていた。

店長は本当に笑みを浮かべていたのか。言い方にとげがあったのか。一緒にいた友人に確認しようとスマホに手を伸ばしたが、やっぱりやめた。彼の記憶もまた、感情で書き換わっている可能性があるのだから。

「仕事仲間にいくら丁寧に説明しても、なかなか理解してもらえない」
「取引先と仕事に関して認識のズレがあると感じる」
「正論を言っているはずなのにパートナーとけんかになってしまう」

もし、日常で起きる「伝わらない」の場面を科学的に考えられるようになったら。コミュニケーションの悩みは軽くなり、周囲との関係構築が少しだけラクになるのではないだろうか。

予約完了メールの文章に配慮が足りないのではない。笑われたと勝手に脚色しているのかもしれない。脳の性質の問題だ。わたしはそう考えるようになった。

いつかまた、店に行こうと思う。シメのラーメンがおいしい居酒屋として。

文/松田 竜太

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