
ないものねだりちゃん、あるものを知る。【さとゆみの今日もコレカラ/第425回】
3日続けて、マンションのベランダから見える夕日が非常事態レベルだった。
今年、いろんな場所で感動的な夕日を見たけれど、この家から見える夕日が一番美しいかもしれない。そう思うほどに、ハッと息がつまる本気の夕焼け具合だった。
昨日、今年を漢字一文字で表すなら、移動の「移」と書いたばかりだから、チルチルとミチル感ある。
夕日の話だけではない。
もともと自分に備わっていた性質よりも、駆けずり回って悶絶して手に入れたものを、価値が高いと思ってしまうこと、ある。
これだけ苦労して手に入れたのだから、とありがたく感じてしまう。ありがたく感じるのはいいとして、時には、それにしがみついてしまうことも、ある。
ただ、今年すごく良かったことは、自分の家から見える夕日の美しさに気づいたように、もともと持っていた自分の特性を積極的に活かそうと思えたことだなあと思う。
ひとつはめっぽうに明るいこと。
ひとつは話せること。
どちらも物心ついたときから自分にくっついていた性質だし、苦労して手に入れたものじゃない。
そして、私はないものねだりちゃんだから、影がある人の言動に惹かれてしまうし、話せるより書ける人に憧れていた。
でも、今年は、明るい私だからできること、話せる私だからできることを、いっぱいしてみようと思ってトライできた一年だったなあ。両手両足、いっぱい伸ばしてみた。
自分探しの旅から帰ってきたのかもしれない。
やっぱり、チルチルミチル感、ある。
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