
あなたとわたしの、ディスタンス【さとゆみの今日もコレカラ/第468回】
六本木の文喫さんで、朝の7時半から始まる池田千恵さんの出版記念セミナーに向かっている。
一緒に行くライター仲間のらいちゃんがモーニングコールに出ないことをやや気にしながら、電車の中でこのコレカラを書いている。
セミナーでも飲み会でも取材でも、人の話を聞くのが好きだ。
人の話を聞くという行為は、人の考えを聞いているようで、実は自分を知る行為だと思う。
人の話を聞いている時、私たちは物差しのようなもので、その人の考え方と自分の考え方の距離を測っている。
Googleマップの目的地にAさんが立っていて、現在地からそこに到達するまで徒歩12分とわかれば、私はAさんから12分離れていることがわかる。
私の現在地は、Aさんを中心に徒歩12分の同心円内だと想像できる。
Bさんの話を聞いた時、GoogleマップでBさんまでの距離を測ろうとしたら、飛行機で29時間ですとか、目的地までのルートはありませんとか表示されたとする。
私とBさんはかくも遠いのか。ほとんど異文化交流だなと思いながら、やはり自分の現在地を想像する。
かように、人の話を聞くのは、自分の現在地をおしはかることにつながる。
これが、「人の話を聞き、そして書く」となると、なおさら、だ。
自分がAさんやBさんの話のどこに惹かれたのかを選択する行為自体が、自分が何を面白がる人間かのリトマス試験紙のようなものだ。
その上、編集者Cさんや、想定読者DさんやEさんが何を面白がるかを想像するのも、やはり自分と世界との距離を測る行為である。
そうして書き上がった原稿は、私というブラックボックスを通した時にだけ、生まれる原稿である。
100万通りあったはずの可能性からこの原稿が出てきたということは、私というブラックボックスの中はどうやら、こんな動きをしているらしい。
そんなことがわかる。
あなたと私のディスタンス。
聞くも、書くも、この世界で一番ミステリアスで愛おしい、自分を知る行為だよなあと、思っている。
と、昨夜、公開インタビューにて、塚田智恵美さんの話を聞いた後に、書きたくなったこと。
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昨年の私は、いったい何人の「私」を書いたのだろう。


