
稼ぐ自由と稼がない自由【さとゆみの今日もコレカラ/第535回】
新卒で勤めたテレビ制作会社は、仕事を覚えて一人前になると、クビになる会社だった。
人によって時期は違うのだけれど、クリエイティブ職の場合、だいたい2年から4年働いたくらいのタイミングで退職を推奨される。そして100万円弱の退職金をもらって、そのお金で社内株を買う。そして、株主になる。
この社内株主は「メンバー」と呼ばれていた。大事なことは、月に1回の株主会議(メンバー総会)で議決される。私たちは全員1票の議決権を持ち、社長でさえメンバーの選挙で決まっていた。
テレビマンユニオンという名前の会社だったが、文字通り「ユニオン(労働組合)」だったのだ。
メンバーはみな個人事業主だ。そして、ディレクターもしくはプロデューサーとして、月々自社の番組を積極的に引き受ける「優先契約料」をもらう。3年目くらいだったら月12万ほど。40代の元夫はたしか35万円くらいもらっていたと思う。
それにプラスして、1本いくらのディレクター料やプロデューサー料が出来高で支払われる。ガンガン企画を通して番組を作るディレクターもいたし、じっくり時間をかけて番組を作るタイプのディレクターもいた。
会社以外の仕事をしてもよいが、その場合は25%くらいを会社に入れることになっていたと思う。
この雇用形態の面白いところは「稼ぐ自由」だけではなく、「稼がない自由」もあることだ。
先輩には、「アイヌの人たちの番組を作るために、北海道に取材に行ったまま一年近く帰ってこない」メンバーなどもいた。その場合、優先契約料だけで生きていることになる。
会社にデスクはなかった。30年前にして、オフィスはすでにフリーアドレスだったし、リモートワークもOKだった。今考えると、面白い会社だったと思う。
なんでこんなことを思い出したかというと、先日、フリーランスで生きることは怖くないですか? 会社を辞めるときに躊躇しませんでしたか? という質問を受けたからだ。
会社にいたとて数年後には強制的にフリーにさせられる会社に勤めていたことを思い出した。「個」であることを強く求められる会社だった。働くも働かないも自由だった。
いま、私が「1月から3月まではめいっぱい働いて、4月から12月までは2割稼働」という働き方を選んでいるのも、この頃、自由な考え方で働く先輩たちを見ていたからかもしれない。
今日は久しぶりの2割稼働の日。テレ東さんで朝の生放送に出たあと、14時半からは大阪梅田のNHKさんでエッセイ講座です。ダダダダッシュで向かいます。お会いできるみなさん、楽しみにしています!
・・・・・・・・・
【この記事もおすすめ】
焦ったときにすべきでないこと、逆に暇なときにこそしたほうがいいこと


