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「書く」という自撮り【今日もコレカラ/第736回】

わりとホラーだと思っていることについて書く。

文章を書き始めると、日頃見過ごしていたことに気づくようになる。
ものごとをじーっと眺めて観察するようになるし、誰かの発言を思い起こして深く思考しようとする。
それは、現実の彩度があがるような気分になる作業で、書くことで人生が増幅するような感覚がある。
書くようになってよかったと、思う。
ーー最初のうちは。

そしてそのうち気づく。
「あとで書く」ことを前提に人生を生きると、たしかに細部に目がいくようになるのだけれど、その分、その場に「没頭する」感覚が薄れる。
我を忘れる感覚とか、無になることとか。そういうことが失われやすくなる。
いつでも熱中している自分を観察する「俯瞰自分」いる。その時点で熱中していない。

これは「映え」る写真を撮るのに夢中で、その場の景色を肉眼で見ようとしないことに近い気がする。
そしてたとえば料理を選ぶときに、味よりも「映え」る料理を選びやすくなることに近い気がする。
いや、景色よりもその景色の中にいる自分をいかに「映え」させて自撮りすることに似ているか。
未来の投稿のために今をないがしろにしている感じ。

多くの人は、書き始めると
1)書くことで増える感覚
に感動する。

そして、長く書き続けた人の中には
2)書こうとすることで失われる感覚
に気づいて再び書かなくなる人が少なくない。

得ることと失うことの間でいつもシーソーしてる。
冷静と情熱の間でいつもシーソーしている。

※「今日もコレカラ」は朝7時に更新です。バックナンバーが読めるようになりました。

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