「88歳の今がいちばん楽しい」アーティスト田名網敬一、第一線で描き続けるための習慣
2024年元日に放送された、NHK『日曜美術館 SP ハッピーニューアーツ』。そこにはピカソの模写をはじめ、目の覚めるような色鮮やかな作品に囲まれた、アーティスト田名網敬一の姿があった。
番組で「ポップアートの巨匠」と紹介された田名網氏は、1936年生まれ。60年以上におよぶ創作活動はとどまることなく、ヨウジヤマモトやadidas Originalsなどのファッションブランドをはじめ、RADWIMPSなど国内外のデザイナーやアーティストとのコラボレーションにも積極的だ。
コロナ禍に描き始めたピカソの模写は、600点を超えるという。模写を続ける理由を問われた田名網氏はこう答えた。
「もっと上手くなりたいと、いや、違うな。面白くしたいと思ったから」
今回、その言葉に衝撃を受けた、大学の教え子であるライターがインタビューを申し込んだ。半世紀以上絵を描き続けてもなお、描く意欲が絶えないばかりか面白さを追い求めるものなのか。そもそも、田名網先生の言う「面白さ」とは何だろうか。
学生時代、授業でも問われ続けた「上手さよりも、面白さ」。その意味と制作への熱量の源を辿りに、恩師のアトリエを訪れた。そこには、国立新美術館での大回顧展に向けて準備を進める田名網敬一氏の、27年前と変わらない姿があった。
聞き手/高山 しのぶ
600枚の模写。「絵の描き終わり」をピカソが教えてくれた
──大学で教わっていた時の印象と変わらない、バイタリティあふれる先生のお姿に正直動揺しています。卒業後に一度アトリエにもおじゃましましたが、当時もたくさんの作品に囲まれていたのをよく覚えています。あそこに見える作品が、ここ数年取り組まれているというピカソの模写でしょうか?
田名網:描き始めたときは、数枚で終える予定だったんです。4年前かな。ふと、ソファーの横に立てかけていた、ピカソの「母子像」を模した昔の作品が目に止まって。子どもを鉄腕アトムにして描いた、手塚治虫さんの企画展に出した作品です。その時期はコロナの影響で展覧会も大学の講義も止まって時間があったし、久しぶりに模写をやってみようかなと思い立って。それで、ありあわせのキャンバスに描き始めたら、10枚、20枚と止まらなくなりました。
──それで600枚もの数に。
田名網:飽きないんですよ。ピカソは何万点も作品を残しているけど、どの絵も塗り方から構図から、作品ごとにあらゆる技法を実験していることが、模写の過程でわかってくるんです。
たとえば、ピカソって手をよくデフォルメして描いているでしょう? 模写するときに画集をよく見ると、輪郭線みたいなのがうっすら下にある。きれいに描いていた手を、後で崩したことがわかるんですよ。最も強調したい部分は、シューッとすごい速さで黒い線を引いているなとか。
──線を引くスピードまでわかるものですか。
田名網:ピカソが描いた線を再現するように筆を動かす。そうやって、身体を伴って描くうちにわかってきます。ただ画集を眺めているだけだと、黒い線は黒い線でしかない。でも、何年もピカソの絵と対峙するうちに、線ひとつとっても、ここの線は筆を速く走らせている、ここは遅く、これはちょんちょんって点をつなげて線にしているとか、その絵の背景にあるピカソの思考みたいなものも理解できるようになってきます。
──ピカソがどう描いたかを知りたかったのが、模写を続ける理由に?
田名網:「どんなふうに絵を描き終えるのか」を知りたかったんです。
模写をして実感したけれど、ピカソはとんでもない天才なんですよ。ピカソのような天才が、どこで描き終わりを決めているかを知りたかった。なぜかというと僕自身が絵を描いていて、いつ終わっていいのか、なかなかゴールがわからなかったからです。
──何十年と描き続けていても、迷うものなんですね。
田名網:僕に限らず、絵を描いている人の多くが「描き終えるポイントがわからない」と言いますよ。僕にとっては、それが大きな課題だったわけです。あと1時間描いたらもっと良くなるかもしれないし、ぐちゃぐちゃに崩れるかもしれない。ピカソのような天才なら一瞬にしてわかるんだろうけど、僕なんかは迷って迷って確信を持てない。なかなか筆が置けないんです。
でも、「ここだ」という絵の止めどきは必ずある。
じゃあどうやって描くのを止めていたかというと、締め切りです。展覧会があるから、クライアントへの納品日だから、描き終わらざるを得ない。だけど僕にとって、それは不本意なことがほとんど。だから確信を持って、「この絵はここで描き終えられる」ポイントはどこにあるのか、筆をいつ置いたらいいかをピカソから学びたかったんです。
──ピカソが描き終えたところがわかるんですか。
田名網:わかりますよ。「ここで完成と決めたんだろうな」というのは、模写をしているうちにわかる。
──それで、先生ご自身の絵の終わりもわかるように?
田名網:筆を置く瞬間はわかるようになってきましたね。非常に感覚的なことだから、言葉で説明するのは難しいけれど。
──模写し続けた甲斐があった。
田名網:それはもう、大変な甲斐がありますよ。絵の終え方以外に、ピカソが使っているさまざまな技法も学べるし、自分の絵に活かせるでしょう。絵を描いていると「今さらこんなこと聞けない」ってことがあるじゃないですか。模写を通じて、ピカソが無言で教えてくれたわけです。
すっかりピカソに触発されて、模写にアレンジを加えて描き続けていたら、どんどん増えていった。ゆうに600点を超えたんじゃないかな。回顧展にはシリーズ作品として、そのうち300点くらい出展する予定です。
大学で教えていたのは、技術ではなく「想像力」
──そういえば大学時代、先生からは技術的なことは教わりませんでした。
田名網:学校で、テクニカルなことは一切教えません。少なくとも、僕は教えられない。美術の学校の先生には、絵をどう描くのか、技術的な指導を重視する人もいるでしょう。「デッサンをしっかり描けるようになってから、自分らしい絵にアレンジしていきましょう」とか。それが一般的な美術の教育かもしれないけれど、自分が考えたように描けばいいんですよ、絵の表現に関しては。大事なのは、表現をするうえでの考え方。
──考え方、ですか。
田名網:表現者としてまず必要なのは、想像力。ないものを思い浮かべる力です。あるテーマに対して答えを出すにはどうすればいいのか、それを考えていく力を僕は大学で教えてきたわけです。
芸術家を育てるのが大学での仕事だけど、想像力というのは、なにも絵を描いたり映画をつくったりする人だけに必要なものでもないんですよ。たとえば、会社員になって営業したとしても、お客さんが何を欲しがっているか想像できないと、モノは売れないじゃない。大谷翔平だって、ありたい自分の姿を想像する力が優れているから、あんなに活躍できているんです。
──働いていくうえでも必要だと。
田名網:そう、想像力をふくらませることは、人の営みすべてに必要だと思いますよ。生きていくうえで、すべての人に必要な力。だから、僕が教えていたのは別にアートに限ったことじゃないの。
──ユニークな授業内容でしたよね。
田名網:一見、アートに関係のないカリキュラムばかりだからね。そのひとつが、大学近くを流れる疏水にかかった橋と橋の間、その100mのなかで独自の旅をする「100米の観光」というテーマの授業です。
100mの距離を歩くだけでも、実はさまざまな事件が起きているんです。子どもが走ってきたらよける、メガネをかけている人は眼鏡屋のショーケースに目がいく、おしゃれなカフェに惹かれるとか。そういった、触発されたり興味をひかれたりしたものをじっくり観察し、作品にして発表するという課題です。
──印象に残っている学生の作品は?
田名網:疏水の底を道路に見立てて、行き交う自分たちの様子を映像化した作品は印象的だったね。表現する手段は、絵でも、文章でも、ダンスでも、なんでもいい。お題に対してどう想像をふくらませて作品にするのか、その考える過程が大事なんです。人が面白いと思う作品をつくるには、着眼点や発想の柔軟性も必要になってくるでしょう。
要するに、人は歩きながら無意識に情報の編集作業を行なっているんですよ。たった100mを歩くだけでも。
──学生とのかかわりは、先生の創作活動にも影響ありましたか。
田名網:もちろんあるよ。当然、僕と生徒が考えることはまったく違うから。なかには、こちらが驚くような作品を提出してくる生徒もいました。
でも、それは学生に限らないんですよ。昔、何度か社会人向けのワークショップをやったけど、僕の想像を超える答えが返ってくるときがあって。それはとても勉強になった。
まず、紙と描くものを準備して部屋を暗くするんです。そして、みんなが目をつぶったのを確認して、僕が言葉を言うの。「カレーライス」とか「朝」とかね。その言葉からイメージするものを、暗闇のなかで描いていく。20秒くらい間をあけて、お題を100問くらい次々に出していくんです。で、お題を聞いたらとにかくどんどん描く。
紙の位置やペンの位置は部屋が明るいときに見ているから、なんとなく記憶しているでしょう。たとえば、赤、黄、黒のペンを準備していたとしたら、「ここにあるのは、きっと赤いペンだな」とか。見えないなかで、みんな想像をふくらませて描いていくわけ。そうすると、視覚以外の五感を刺激する作用もあるし、なにより本人が想像もできない絵に仕上がっていくんですよ。
結果的にね、描いた本人も僕も、びっくりするような絵が現れた。電気をパッとつけて自分の絵を初めて目にするわけだから、もう教室は大騒ぎです。
──想像を超えたものが出てきたことに驚くわけですね。
田名網:イメージした絵と、ぜんぜん違った絵が完成しているんだもん。反応は、学生も社会人もまったく同じ。参加者には僕より年上のお婆さんもいたけれど、電気つけた瞬間大歓声が上がったの。
──なぜ、それをやろうと思いついたんですか。
田名網:当時、「想像力」をテーマに授業のカリキュラムをずっと考えていたからね。人間の視覚を遮断して、僕が投げかけた言葉に対してどうイメージをふくらませるのか。そしてどんな反応を見せるか。想像しただけで面白いなと思ったんです。
絵を描いているときに、普通はそんなに騒ぐことってないじゃない。時にはこうやって自分を解放したり、日常的に身のまわりの物ごとを観察したりしないと、新しい視点や発想は生まれませんよ。
──クライアントワークやコラボレーションはどうですか? 新たな発見や刺激がありそうです。
田名網:コラボレーションは、自分の能力に他の人の才能が加わるわけでしょう。ものすごくレベルの高い人と組むと自分のレベルも引き上がる可能性もある。だから異なるジャンルの人たちとコラボする機会は、僕にとっては必要ですね。
──自分の能力より高みにいけるケースとは。
田名網:先方のセンスがいいこと。それは会って話せばすぐにわかります。話していて能力の高い人だなと思ったら、こっちも頑張らないといけない。コラボは、相手の土俵に上がってつくる場合もあるから。
それに、普通に絵を描いているだけだと限られた人数にしか見てもらえないじゃない。だけどRADWIMPSとかミュージシャンとコラボすると、ツアーのポスターや映像を通して世界中の何万人もの人が目にしてくれる。量的な話だけじゃなく、自分の想像を超える作品になるかもしれない。相手に期待する部分も含めて、人との物づくりは結構好きなんです。
声に出す。においを嗅ぐ。毎日五感をフルに使う
──学生時代、先生に「あなたはきれいにまとめすぎる。もっと面白くできるはず」と講評で言われたことがあって。正直、当時はあまり理解できませんでした。
田名網:面白さというのは千差万別だから。僕が面白いと思うものを制作する必要はありませんよ。
──今更かもしれませんが、もっと想像力を身につけたいです。
田名網:毎日、五感をフルに使うといいよ。
──五感ですか?
田名網:せっかく人間に生まれたんだから、五感すべてを使わなくちゃ。文章だって、脳と手だけで書いているわけじゃないでしょう。文字や絵を描くときに、聴覚は使っていないのかというと、そんなことはない。五感を刺激することはあらゆる創作活動、絵や文章で表現をする者にとって重要なんです。
目、口、耳をフルで使うために、普段から頭のなかにある考えごとを、声に出して自分の耳に聞かせればいいんですよ。別になんでもいい。たとえば、どこかで食事をして美味しいと感じたら、店員さんに伝えたらいいの。「今日のごはん最高でした。美味しかったです」と聞いて、嫌な気持ちになる店員さんはいないんだから。
ひとりになった後も、「いやぁ美味しかった。またこのお店来たいな」と、自分に語りかけるの。「あの焼き魚がいちばん美味しかった」「塩分足りなかった」とか、誰でも脳内では言ってるでしょう。それを、声に出す。
──ひとりでも声に出すんですね。
田名網:だって、脳内で考えていることは、耳から入ってきていないもの。声に出して初めて、インプットできる。
僕はだいたい、寝る前やお風呂のなかで、今日はどんな1日を過ごしたかを振り返っています。「今日はどういう1日だったかな」「80点じゃない?」「そうか。じゃあ明日は100点になるように頑張ろうか」と自問自答を繰り返すんです。自分の耳に聞かせるから、なるべく大きな声がいいよね。
──つらいことは、口にするともっとつらくなりませんか?
田名網:つらいときは、つらいなりの言葉を自分にかけてあげる。相手は自分だから、どんなフォローでもできるじゃない。「今日はあの人と会話が噛み合わなくて、こちらの気持ちが伝わらなかったかな」「だけど、そんなこと気にしてるんじゃないよ」とかね。
声に出せばすごくすっきりする。脳内で考えるだけだと、どうも説得力がない。人が聞いたら驚くかもしれないけど、別に気にしなくていいよね。自分がそれで前向きになるんだから。
──先生はそうやって声に出して、記憶や体験を自分のなかにもう一度取り込むんですね。だから引き出しの数もすごい。
田名網:もう自然と身についていますね。ピカソの模写をしているときも、「そうか、わかった。ピカソはこうやって描いたのか」と言いながら描いてる。本を読むときなんかも、しょっちゅう声に出してます。本は買ったらインクのにおいをかぐの、無意識に。そうやって視覚も嗅覚も聴覚も使って全身で体感していくんです。
それが習慣になると、結構毎日面白く過ごせますよ。やってみてください。
──早速やってみます。ちなみに、先生の鮮やかな色使いも五感が影響を?
田名網:色使いの影響は、子どものときに育った環境が大きいよね。僕は生まれが東京の日本橋で、高島屋の裏の繊維街に家があったの。祖父が服地問屋を営んでいたし、子どものときの遊び場は高島屋。街中だからきらびやかなネオンサインも身近にある、そんな色の洪水のなかで育ったんです。たとえば山や川に囲まれた場所で育っていたら、今の色彩感覚とは違ったものになっていると思いますね。
──さっき、描き終わりがわからなかったと聞きましたが、絵の描き始めも迷うものですか。
田名網:いや、それは迷わない。キャンバスを前にして、どう描いていこうかなとは考えない。大袈裟にいうと、ある種のインスピレーションがパンッと降りてくる。
──降りてくるまで待つ?
田名網:そんな待つほどのものじゃなく、一瞬で決まります。
これは習性。五感が研ぎ澄まされている証拠ですよ。それは、クライアントワークも文章を書くときも一緒。同じような気持ちで向き合っています。
僕は絵が上手じゃない。だから描き続けられる
──常に五感をフルに使っているから、そんなにパワフルなんでしょうか。普段はどんな1日を過ごされていますか。
田名網:僕の生活は、毎日規則正しいですよ。朝8時には起きて朝食を食べ、少しだけ自宅で作業します。今は、大きめのコラージュ作品をつくってる。で、10時頃同じマンション内にあるアトリエに移動して、大体6時くらいまで絵を描く。自宅に帰って、夕食後は原稿を書いたりまた制作したり。そして12時から1時のあいだに寝る。そのルーティーンは、ほぼ変わりません。
あ、毎日寝る前に1時間半くらいは本を読んでいるね。
──何を読まれるんですか。
田名網:画集、小説、漫画、なんでも読みます。最近読んだのは、原田マハさんの『板上に咲く』。版画家の棟方志功を題材にした小説なんだけど、すごく面白かった。
漫画も、月に30冊くらい読みます。子どもの頃は漫画家になりたかったくらい、漫画は今でも好きですね。最近のに限らず、子どもの頃に繰り返し読んでいた手塚治虫さんなどの漫画を読む日もありますよ。週に2、3回は青山ブックセンターや代官山の蔦屋書店に行って、そこで面白そうな本を選んでいます。
──創作のアイデアが尽きることはないんでしょうか。
田名網:うん、尽きないね。
──毎日欠かさず描くんですか?
田名網:描きますよ。1日のなかで、絵を描いている時間がいちばん長い。
だけど絵は、長く描いていれば上手くなるかというと、そんなことはないんです。上手くない人は、いくら訓練しても上手にはならない。
──え?
田名網:僕はね、長い年月絵を描き続けているけれど、ぜんぜん上手じゃないの。上手な人は僕よりもたくさんいる。だから、技術が求められるような絵は描かない。
──どういうことですか?
田名網:絵の上手い人は、技術が前面に出てくる絵を描くんですよ。上手い人というのは、子どもの頃から自分が上手なことを知っているんです。
周囲からずっと絵を褒められて育って、美術の学校でもデッサンは常に上位。そうすると、自分のもっとも得意な技術的な部分を、必ず絵の前面に押し出してくるんです。画力だけで見る人を納得させられるから、「まるで写真のようですね」「上手いですね」と褒められて、それだけで満足感を得てしまう。
要するに、技術に溺れてしまう人もいるわけ。だから、絵の技術だけに頼っている人は、芸術家としてはなかなか成功しないんです。ところが僕みたいに絵が下手な人は、足りない技術を他で補填しようとする。
文章だって、なんだってそうです。技術が高くない人は、生き残るために人が考えつかないことをやったり、表現を工夫したり、自分の内面を反映させたり、想像力を働かせて技術以外で勝負するしかない。
だから、絵が上手くなくても成功している人はたくさんいますよ。岡本太郎だって絵はそんなに上手じゃないけど、非常にユニークじゃない? 面白い作品をたくさん残しているでしょう。ピカソは画力も高い上に、創造性も独創性もすごいけれど、彼はまぁ天才だから。
──大学で教わったのは、まさにその技術以外で戦う武器ですね。技術だけでなく、想像力も大事だというのは、先生ご自身はいつ頃気づかれたんですか。
田名網:大学を受験する前、デッサンを学びに美術学校に通ったんだけど、その頃にはわかっていたね。
──それは、絵を描いている人はみんなわかっているものですか?
田名網:気づかない人もいるんじゃないかな。ずっと「上手い」と褒められてきた人は、指導を受ける機会も少ないから。だから、学校の美術教育でいちばんの問題は、そこだと思っています。とくに小学校の図工の授業では、技術が巧みな生徒の絵をみんなの前で褒めるでしょう。ユニークで創造的な絵を描いている人の絵は、まずとりあげない。
僕は小学生の頃目黒に住んでいた時期があるんだけど、ある日授業で、目黒川沿いの桜並木に写生に行ったんです。春だったから、川は散った桜の花びらでもういっぱいなの。そのときふと閃いて、画用紙をピンク一色に塗ったんです。そうしたら、授業で悪い絵の例として張り出されたんですよ。「田名網くんは、枝も花びらも、川も描いていない。桜だとわかりません」と言われて。
田名網:でも、僕にはその桜並木はピンク一色に見えた。いわゆる心象風景だけど、小学生だから当然そんな説明はできない。一方で川や桜の枝、花びらを一枚一枚しっかりと描いた絵が、良いお手本として取り上げられたんです。今になって思えば、それは指導としては正しくないと思う。見えたものを「どう感じたか」が大事なんだから。
──先ほど、絵が上手くない人ほど芸術家としては成功していると。では、続けられる人とそうでない人の差には何があるんでしょうか。
田名網:好きか、嫌いかでしょう。
──上手いだけでは続けられない。
田名網:だって、下手でも好きな人は、なんとか上手くなりたいと思って一生懸命やるでしょう。だから向上していく。職人と言われる人たちもそう。器用な方がいいものをつくれるのか、続けられるのか、というとまったく違う。どうしたらうまくいくかを考える、その姿勢が完成度も上げるんじゃないかな。
「スランプ」は道を極めた人のセリフ。僕は絶対に言えない
──絵が「好き」という気持ちは子どもの頃から?
田名網:そう。だけど母親は、僕が絵を描くことを嫌っていてね。うちの父親は酒飲んで遊びに行ったまま家に帰ってこない、どうしようもない放蕩親父だったんですよ。母親は長年それでものすごく苦労したわけ。僕には、ちゃんとした会社に勤めて安定した給料をもらうサラリーマンになってほしいと願っていたの。長男だから余計に。
絵が好きだから美術大学に行きたい、と伝えたときはもう大反対ですよ、親戚中で。母親はすごく落胆して「あんたも結局、父親みたいになっちゃう」って。僕が若い頃にテレビに出ている芸術家は、みんな酒呑で親の金を食い潰す半端ものばかりだった。そのイメージもあってね。母親がテレビを見ていて、画家が登場すると「敬ちゃん、ちょっといらっしゃい」て呼ばれるの。それで「あんたも今に、絶対こうなる」と必ず言ってきた。毎回、毎回。絵描きになると、まともに生活できないと思い込んでいるわけ。
でも、母親が苦労してきた姿を知っているから、僕も強く言えないでしょう。だから絵で食べるようになっても、しばらくは隠れて描いてた。母親の足音が聞こえると、ぱっと絵を隠してね。
──先生の、絵が好きな気持ちは消えないものですか。飽きることもなく。
田名網:いや、それはわからない。明日飽きるかもしれない。だけど、今のところは飽きないね。描いていると、さっきの「絵の終わりがわからない」という課題も見えるし、描き続けるとその課題も解決していく。今のレベルより10でも20でも、なんとか上げたいと思うからずっと描いているわけでしょう。それが真理じゃないかな。
──60年以上活動されているので、回顧展ではかなり以前に描かれた作品も展示されますよね。制作当時の様子は思い出すものですか。
田名網:ないですね。絵を描く人には2種類いるんです。描き終えたら、その作品に興味がなくなる人と、いつまでも思い入れがある人。僕は前者。絵を描き終えたあとじゃなくて描いている時間、描く工程が楽しい。描いたときのことはもう全部忘れる。だから過去に執着しない。
──長く活動されてきて、「これだけはやっておきたい」ことはありますか。
田名網:そういうのはない。
──アーティストとしてこの年齢がいちばん楽しかった、というのは?
田名網:今がいちばん楽しい。そうじゃないと、描き続ける意味がない。過去の名声なんかにしがみついてもしょうがないよ。
人間って限りがある、年齢的にも体力的にも。スポーツやっている人は顕著に現れますよね。だけど僕は40代くらいから変わらないペースで描き続けられているんです。それは、ずっと五感を意識して生きてきたことも影響しているんじゃないかな。五感が弱ってきたら、インスピレーションも受け取れないでしょう。
長く続けていると、うまくいかないときに「スランプだ」なんて言う人もいるけど、それはイチローとか大谷翔平とか道を極めた人が言うセリフですよ。スランプなんて、ただの怠け。僕は絶対に言いません。自分の身のほどを知っているからね。だから、毎日一生懸命描いているんです。
──書き終える日っていつかきますよね。つまり、死ぬのは怖くないですか?
田名網:全然怖くない。その日その日で、僕なりにベストを尽くしてやってきたからね。毎日自分のなかで納得するラインまで考えてやってる。だから、明日死んでもいい。今日僕がやろうとしていたことは、すべて終わっているわけだから。(了)
田名網 敬一(たなあみ・けいいち)
1936年東京生まれ。武蔵野美術大学卒。1975年に日本版月刊『PLAY BOY』の初代アートディレクターに就任。1991年より京都造形芸術大学(現、京都芸術大学)で教授を務める。1960年代よりグラフィックデザイナー、映像作家、アーティストとしてジャンルを問わず横断的に活動、戦後日本を代表するポップ・アートの先駆者の一人として、世界的に高い評価を受ける。MOMAをはじめ世界の主要美術館が作品を収蔵。2024年8月より世界初の大規模回顧展が開催される。
田名網敬一 記憶の冒険
会期:2024年8月7日〜11月11日
会場:国立新美術館(東京都港区)
撮影/深山徳幸
執筆/高山しのぶ
編集/佐藤友美
取材協力/NANZUKA