
箱の中の羊。死者という持ち物。セリフのないほうの時間。【今日もコレカラ/第946回】
先日、是枝さんの新作『箱の中の羊』を見てきた。
死者について語ることを、私はいつも怖いなと思っている。
人の死を利用して自分の考えを語っているような気持ちになってしまう。そして、大切な人の死を消費しているような気持ちになってしまうのだ。
映画を見おわったあと、その罪悪感について考えていた。
死者は誰のものだろう。
死者の思想は誰のものだろう。
死者について好きに語って良いのだろうか。
死者を持ち歩いてよいのだろうか。
心の中で持ち歩くことと物理的に持ち歩くことはどう違うのだろう。
そして死者の死以降をアップデートして良いのだろうか。
多分ずっと忘れられないだろうと思うシーンがいくつかあった。ストーリーはそのうち忘れちゃうかもしれないけれど、このシーンはずっと記憶に残るだろうなと思う場面がいくつかあった。
一緒に行ったさわっちにそう話すと、「わかる。でも、不思議なんだけど、セリフはあまり思い出さなくない?」と言う。
たしかに。
今、見たばかりなのに、不思議とセリフは思い出せない。脳内に残るのは、映像ーー絵と音ばかりだ。
ホースから跳ねる水しぶき。踏切の音と電車の影。大樹と木漏れ日。発泡スチロールを切断する糸鋸。カンナに削られるヒノキ。
それともちろん、役者の表情。
きゅっと喉奥が締まるような映像がいくつもあって、こんなふうに今も思い出している。
そのうち、あったりまえのことに思い立った。
どんな人の人生も、「セリフを言っていない」時間のほうが長い。
声を出している時間は、生きている時間のうちの何分の1になるんだろう。
脳の中身のどれくらいが、外に発露されるのだろう。
心のうちのどれくらいが、表情に出て、声に出るのだろう。
かんじんなことは、目に見えないんだよ。
映画を見た日は、折しも、是枝さんの64歳の誕生日だった。
是枝さんは、私が社会人になるときに、最初に接した先輩だ。
是枝さんが私の今の年齢の時に撮った映画は何だったかなと調べたら、『そして父になる』で、ドラマ『ゴーイング マイ ホーム』が放映された年でもあった。
『ゴーイング マイ ホーム』は、見逃している。
さわっちが、『ゴーイング マイ ホーム』が大好きというので、ちょうど京橋の国立映画アーカイブでの4日連続上映チケットを手に入れた。
1話は素晴らしかった。今日は3話と4話、見てきます。
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